四神京詞華集/ディスペルへの遠き道(7)
○しろいとらのあな
とは白虎街の近くに建つ悲田院である。
亡き光明皇太后が建設したもので、今となっては仏教都市のくせに全く慈悲を感じさせない四神京にあって奇跡の様な規模の大きさを誇る仏閣である。
それもそのはずバックには皇太后ゆかりの興福寺がついており藤原総領百永が『積善の藤原』よろしく全面的に支援しているからだ。
都には先のいくさいくさで孤児が多く、疫病もくすぶり続けている。
公共事業も滞り、働く気のない浮浪者やチンピラも徘徊している。
宮中の貴族はその全てを禍の地区白虎街に封じ込めて、その問題を悲田院に丸投げしている。
どれくらいの丸投げっぷりかというと。
○物部の舘
豪華な膳を前に、右大臣親子にひたすらオモネリ続ける貴族達。
貴族1「咲屋様、いや咲屋卿。納言任官おめでとうございます」
貴族2「いやいやむしろ遅いくらいじゃ」
貴族3「いやいやいやその出世、厩戸皇子も恐れおののきましょうぞ」
咲屋「我が廟議に加われば凡俗だらけの宮中も少しは活気づくだろう。我の活躍できっと民も喜び都も元気になる」
狩屋「さよう。若く聡明な咲屋が怪僧道暁に代わりて帝を補佐すれば、神仏これを寿ぎ呪いも病も雲散霧消に至るは明白ぞえ」
貴族1「加えて、悲田院を利用し貧民を意のままに従えるかの虫女比丘尼の邪望もこれまでよ」
貴族2「ただの風邪を大仰に扱い、藤原を通じて税を貪る偽善者め」
貴族3「いずれは白虎街も取り壊し、物部が都を清めましょう」
咲屋「おい。あまり悪く言うでない。美しいものも汚いものも全部ひっくるめて、この世は動いてるんだ。大切なのは努力、友情、勝利だ!」
貴族1「さ、さ、さ、さ、さすがは咲屋卿!」
貴族2「もうずっと感服し続けております!」
貴族3「嗚呼咲屋様! その器、最早宇宙!」
咲屋「今まで通り咲ボンでいいやい。お前達は俺のマブダチだからな」
侍女たち、無理やり目にハートマークを作りながら。
侍女たち「キャー! 咲ボン様ー!」
咲屋「自由こそが俺達の武器だ!」
狩屋「さて咲屋よ。これよりは親子ではなく御前会議に招集さるる同じ官人としてお前に問う」
咲屋「なんだよ? 親父!」
狩屋「いかに虫女尼の手下とて病に苦しむ者を前線で救う者共は紛れもなく勇者である。そんな彼らに我等貴族は今、何をすべきか?」
咲屋、フッと微笑むと懐中より銅拍子を取り出し、庭へと飛び出す。
「ハーッ!」とか「ヤーッ!」とか奇声を発しつつ鐘を鳴らし踊り狂う。
まさに狂態。
むしろ共感性羞恥態。
端目から見ればほとんどシンバルを持ったチンパンジーである。
当然、唖然となる一同。
だが父、狩屋だけは何故か感涙にむせびないている。
狩屋「見事……見事じゃ!」
貴族1、2、3、侍女たち「???」
狩屋「禍の世にあって懸命に働く看護僧たちに感謝の音曲! そう! 神の末裔たる物部の労いの舞こそが彼らへの何よりの協力となろうぞ!」
咲屋「がんばれーみんながんばれー! 俺もがんばるぞー! うおー!」
貴族1「さ、さすがは咲ボン様!」
貴族2「こは言霊の国! 良きこと口にすれば幸訪れん!」
貴族3「いくら卑小な悲田院とはいえ、これで百人力じゃろう!」
咲屋「貧民窟に届けー! 俺の元気ー!」
侍女たち「キャー! 咲ボン様―!」
狩屋「さあみなもの! 民に先んじて、歌い、踊り、寿ぐのじゃ!」
咲屋「宴だーーーーーっ!」
一同「どんちゃん! どんちゃん! どんちゃん!」
○しろいとらのあな
ナミダ「ウゲッ……」
並ぶ貧民達に汁を配っているナミダがえずく。
窯の粥汁をかき回しながら虫女尼が心配する。
虫女尼「どうしました?」
ナミダ「何だか脳裏に不快な音がギャーギャーと」
虫女尼「疲れているのですよ。薬を差し上げましょう」
ナミダ「いいですよ。貴重な薬だし」
ナミダはここ数日、白虎酒房への出勤前に悲田院にも出ている。
当初は玉藻の動向を虫女尼に伝えるだけであったが、現場の人手不足を目の当たりにして軽作業くらいだったらと協力しだしたのだ。
スパイ活動の傍らボランティア活動まで始めたのだから、この春先までの『口ばっかり才女』から考えてもえらい成長っぷりである。
もっとも、自らを忙殺に追い込んでいるような生活態度は見ていて痛々しいものもあった。
当然である。
自分は呪われ、父も死んだ。
鬱になって寝込むか働きまくって我を忘れるかしか精神を安定させられないのであろう。
穢麻呂は虫女尼にそっとしてやってほしいと願い出ている。
己もことさらナミダに厳しく絡むような真似は控えていた。
忘我こそが人を苦痛より解き放つ。
そう信じていたからだ。
しかしその思い込みが、もう一つの可能性を完全に見落としていたのもまた事実だった。
ナミダは未だ鬼、という事実を。
(つづく)