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妖瞞の国(完)

○同・河川敷
 豪雨の中、逃げだす野次馬達。
飛蝗の声「おいおいおいおい待ちやがれ!」

○同・中州
 鍔迫り合いをする飛蝗と綱光。

飛蝗「いいのか皆の衆! これは千年は見れぬ大鬼退治さ! この清めの戦、見ずして逃げるは一生の損だぜ!」
 
 飛蝗、力任せに綱光を弾き飛ばす。

○同・河川敷
 野次馬達、逃亡を止めて中洲を見る。

○同・中州
 斬りかかる綱光。
 鍔迫り合い。
 綱光の耳元で囁く飛蝗。

飛蝗「民の足は止めたぜ。身の潔白を示したいんだろ? 力を貸してやろうか?」
綱光「どういう意味だ」
飛蝗「なあ判官さんよ。俺にはちゃんと見えてるんだぜ。見えなきゃ詐欺師なんざやってられねえからよ」
 
 苦笑する綱光。

飛蝗「俺を負かしここから逃がしてくれりゃそれでいい。後は勝手にしな。そのかわり……痛くしないでね」
綱光「蝙蝠めが」

○四辻
 豪雨雷雨の都を逃げ惑う人々。
 たいおん、混乱に乗じ
 内裏へと駆け出す。

○鴨川・中州
 綱光、飛蝗を押し返し、
 続けて二の太刀。
 のけぞって交わす飛蝗。

綱光「その儀は不要。身の証を立てる価値も無き下賤ゆえな。されど下賤の一命を賭しても帝には目を見開いて頂く。簾越しでは無く、そのまなこにて我らが姿を見て頂く」
飛蝗「なんでえ交渉決裂かよ」
綱光「成立すると思ったうぬの阿保面がみっともない」
飛蝗「べらぼうめ!」
綱光「貴様の助力などいらぬ!」
 
 綱光の太刀が飛蝗を圧倒する。

飛蝗「さぶろうものども! 俺を助けやがれ! その弓は飾りか!」
 
 検非違使も武者も
 ただ弦を鳴らすのみ。

飛蝗「楽器かよ……」
 
 公卿達、
 ただ手を合わせて祈るのみ。

飛蝗「念仏もありがとうよ」
 
 綱光、飛蝗の刀を弾いて、
 地に組み伏す。

綱光「分かっていたはずだろう。全てを見通す言霊師どの」
飛蝗「……」
綱光「見たくないものは存在せぬも同じ。それが今の都。その都の名、教えてやろう」
 
 轟く雷鳴。
 綱光、太刀を振り上げる。

綱光「平安だ」

○内裏・典薬寮・外
 近衛府の武者達が応天門を出てゆく。
 薬殿から出てくるたいおん。
 その手には薬壺が握られている。

綱光の声「とこしえに」

○占星台・外
 豪雨。
 だが炎は益々燃え盛っている。
 印を結び呪文を唱え続ける安倍。

綱光の声「とこしえに」

○鴨川・中州
 飛蝗の頬すれすれに
 地に突き刺さる刃。
 飛蝗を見下ろす綱光。

綱光「とこしえに平安だ」
 
 綱光、飛蝗を背に社へと向かう。
 簾の奥で関白の影が震えている。
 綱光、御簾をひっぺがす。
 関白、悲鳴を上げ外へ飛び出す。
 社の中に一人残され、
 震えているみかど。
 関白、浅瀬に逃げるが、
 流れの早さに足を取られ無様に転ぶ。
 関白の目の前に、
 太刀を突きつける夷達。

関白「ひゃあ!」
若き夷「逃げるナ」
関白「何をしておるか! 検非違使! 陰陽師!」
若き夷「黙レ。鬼の王の御前であル」
 
 鼻先の刃から目を逸らせず、
 震え、押し黙る関白。
 社の中、うずくまっているみかど。

綱光「顔を上げられよ」
 
 綱光、みかどを引きずり出す。

綱光「人の王であろう! 顔を上げよ帝!」
 
 みかど、必死で顔を上げ綱光を見る。
 綱光の姿が赤鬼、朱点童子に変わる。
 その光景を見つめる関白。
 夷たち。
 公卿たち。
 滝口の武者。
 中原と検非違使たち。
 そして飛蝗。
 朱点童子、
 振り上げた太刀を静かに下ろす。

朱点童子「我は大江山の鬼朱点童子。かつては検非違使判官、坂部綱光なるもののふでありました。帝の臣にございました」
 
 怯えた目で、
 朱点童子を見つめるみかど。

○(回想)十七年前の森(夜)
 鬼達を斬りつけてゆく武者達。

朱点童子の声「幼少のみぎり、某は都に蔓延する疫病の禍根を断つべく父と共に鬼の棲む森に攻め込み、化生の者共を征伐致しました」
 
 子鬼を組み伏している綱光。

理忠の声「目を背けるな」
 
 子鬼の姿が夷の子に変わる。
 鬼達の姿が夷へと変わる。
 逃げ惑う子供達。
 腹に赤子を宿した女。
 人形の大燈籠が燃えている。
 茫然とその光景を見つめる綱光。

朱点童子の声「されど某は目を背けました」
 
 必死に頭を振る綱光。
 夷達が再び鬼に変わる。
 綱光に組み敷かれ、
 震えている子鬼。

綱光「我が都の名を教えてやろう……平安だ」
 
 子鬼に太刀を振り下ろす綱光。
 子鬼の頬すれすれの地面に、
 刃が刺さる。
 綱光、唇を噛み、震えている。

○鴨川・中州
 じっと朱点童子を見つめている飛蝗。

朱点童子「平安のため。とこしえなる平安のため。己にそう言い聞かせ目を背け続けました」

○(回想)竹林(夜)
 釘の刺さった藁人形が地面に落ちる。
 白小袖の珠子が綱光を見つめている。

珠子「ついに憎んでしまいました。呪ってしまいました。あの方を。関白様を……」
綱光「……」
珠子「殺して下さい」
 
 珠子の悲しげな顔に戸惑う綱光。

珠子「私が鬼と変わらぬうちに……どうか」
 
 綱光、藁人形を見つめる。

綱光「俺は何も見ておらぬ。かような丑の刻参りなど。全ては関白様の思い違いだ。女官どもの流言飛語だ。だから」
 
 珠子、静かに歩み寄ると、
 綱光の白刃を掴んで
 自らの胸に突き立てる。

綱光「そなた!」
珠子「私が人であるうちに。私が女であるうちに」
綱光「お前は鬼ではない! お前は……お前は……」
 
 動揺し、必死に頭をふる綱光。

綱光「……否……お前は……人ではない」
 
 珠子の姿が夜叉になって倒れる。
 
 綱光「きっと、そうだ」
 
 夜叉を見下ろす綱光。

綱光「平安だ……とこしえに平安だ」

○鴨川・中州
 朱点童子が泣いている。

朱点童子「それだけではない。何人も何人も殺しました。清めと称し、相手は鬼だと自分に言い聞かせ何人も何人も。まるで人身御供。いや、無益なる殺生だった。この姿は罰にございます。目を背け続けた神罰にございます。帝、我が姿を何と見られまするか? 我は未だ人にございますか、帝の臣にございまするか?」
 
 みかどの目には
 綱光が鬼としか映らない。
 みかど、震えながら呟く。

みかど「鬼じゃ……」
 
 みかどの目には
 夷もまた鬼としか映らない。
 朱点童子、ゆらりと立ち上がり、
 みかどの頭上に太刀を振り上げる。
 みかど、もはや目を逸らさない。
 関白、朱点童子を睨む。
 鬼達の隙をつき、
 検非違使に駆け寄る。

関白「射よ! 悪鬼朱点童子に射かけぬか!」
中原「しかし近くに帝が」
 
 関白、一瞬躊躇し、告げる。

関白「……帝は鬼に触れられた。穢れてしまった。お清めをせよ」
 
 絶句する検非違使達。

関白「これは清めじゃ! うち祓え検非違使!」
 
 検非違使達、
 意を決し弓矢を構える。

検非違使たち「祓えたまえ清めたまえ祓えたまえ清めたまえ祓えたまえ清めたまえ」
 
 鬼達、検非違使に襲い掛かる。

若き鬼「この外道ガ!」
 
 朱点童子とみかどに向けて、
 無数の矢が放たれる。

○同・河川敷
 叫び、目を背ける野次馬達。

○占星台・外
 火輪壇の炎が大きく巻き上がり、
 消える。
 安倍、印を解いて深く息をつく。

安倍「マヤカシはアヤカシによって封じた。これで用済みだ。言霊の詐欺師よ」

○鴨川・中州
 目を開くみかど。
 地面には矢の雨が刺さっている。
 みかどを庇い、
 背に矢を受けている朱点童子。
 さらに。
 その二人の前に
 仁王立ちをしている飛蝗。
 胸には一本の矢が突き刺さっている。

○空
 降り注ぐ雨が小降りになってゆく。

○右京・破屋街
 蓆の上に瘡を患った童が横たわる。
 薬壺を手に童に駆け寄るたいおん。
 童はすでにこと切れている。
 たいおん、童を抱きしめる。
 暴れ回る夷達。
 太刀回る武者達。
 逃げ回る襤褸の者達。

たいおん「……何が平安じゃ」
 
 叫ぶたいおん。

たいおん「何が平安だ!」

○鴨川・中州
 飛蝗、呟く。

飛蝗「全く。どこが平安でえ」
 
 飛蝗、振り返りみかどを見つめる。

飛蝗「おい小童。何が見えている?」
 
 みかど、まっすぐ前を見る。 
 みかどを庇う綱光の姿。
 不安げに見つめる夷達の姿。
 綱光、
 背に刺さった矢を引き抜くと、
 みかどに微笑みかける。

綱光「お怪我はござりませぬか?」
 
 みかど、
 言葉をかける事なくうなずく。
 倒れる飛蝗。
 綱光、立ち上がって飛蝗を支える。

飛蝗「おう。いい流れだな。今こそ身の証を立てろ」
綱光「らしくない事をするな。気色の悪い」
 
 綱光、飛蝗を支えながら、
 繋がれている武者の馬に
 向かって駆け出す。
 激昂する関白。

関白「何を呆けておる! 逃がすな! 穢れをここで食い止めよ!」
 
 弓を下げ
 ただ綱光を見つめる検非違使。
 綱光に駆け寄る夷達。
 縄を切られた咎人たちも続く。
 飛蝗を背に馬に跨る綱光。
 関白、誰彼かまわず怒鳴り散らす。

関白「討て! 征伐せよ! 清めよ! 清めよ! 清めよ!」
みかど「やめよ!」
 
 人々、光の中に
 凛と立つみかどを見つめる。

みかど「やめよ」
 
 みかど、
 駆け去る綱光と夷達を見つめる。
 雲が流れ、太陽が辺りを照らす。

○道1
 飛蝗を背に馬を走らせる綱光。

綱光「すまぬ。帝の首は取れなかった」
 
 馬の傍を走る夷達、
 黙したまま。
 蒼白の飛蝗が綱光の背で呟く。

飛蝗「餓鬼を騙くらかすなど造作もねえのに……体張っちまうとは」
綱光「ぬしのねじくれた性根で童は謀れぬ」
 
 力無く笑う飛蝗。

飛蝗「童か」

○(回想)十七年前の森(夜)
 夷の子に向けて矢が放たれる。
 理忠、子を庇って矢を受ける。

飛蝗の声「俺は餓鬼だったな。思うがままに野を駆け、文字も言葉も学ばぬ子鬼だった」
 
 理忠、幼き飛蝗丸に何事かを呟く。

飛蝗の声「ある時初めて言葉を学びたいと思った。喋りたいと思った。言葉を交わさねば分からぬ事が、喋らねば分かりあえぬ事があると知った」
 
 理忠、何度もその言葉を呟く。

理忠「人か? 鬼か?……お前は人か? 鬼か?」
 
 飛蝗丸、理忠の言葉が分からない。

理忠「教えてくれ。俺には分からぬのだ」
 
 理忠、答えの出せぬまま息絶える。

○道2(夕)
 馬上の飛蝗、息が上がってくる。

飛蝗「あの男は俺に何を言いたかったんだ? 俺は一体何と答えりゃ良かったんだ?」
綱光「この後に及んでよく喋る」
飛蝗「ここでいいや。降ろしてくれ」
綱光「黙れ」
飛蝗「秋も終わる。バッタは土に還らねえと」
 
 激しく咳込む飛蝗。
 綱光、手綱を引いて馬を止める。
 山を背にした草むらに
 一本のひょろ長い木が生えている。
 木の根元にもたれかかる飛蝗。
 天を仰ぐ飛蝗の前に、
 集う綱光と夷達。

飛蝗「なあ、ひとつだけ心残りがあるんだけどな」
綱光「なんだ」
飛蝗「俺の代わりに最後のマヤカシを頼む。これはアヤカシにしか出来ぬ、マヤカシだ」
 
 雲は晴れ、夕日が姿を見せている。
     ×  ×  ×
 馬上の綱光、毅然と飛蝗を見下ろす。

綱光「さらばだ」
 
 去ってゆく綱光と夷達。
 飛蝗、静かに瞳を閉じる。


○羅城門・門の外側(夕)
 門前へと至る綱光と夷達。
 門の向こうから、
 都人達の「鬼は外」
 と叫ぶ声が聞こえてくる。
 馬を降り、
 門をくぐる綱光と夷達。

○羅城門(夕)
 楼閣から縄梯子を伝い、
 おりてくる茨木。
 綱光達と合流し朱雀大路を睨む。

○朱雀大路(夕)
 瘡の童の亡骸を抱え
 羅城門へ向かってくるたいおん。
 たいおんを守る様に歩く夷達。
 その後ろから、
 罵声と礫を投げつける都人達。

都人2「穢らわしや穢らわしや!」
都人3「餓鬼の骸と共にはよう消えい!」
都人4「鬼は外! 鬼は外!」
 
 荒れる都人に戸惑うだけの武者達。
 たいおん、虚ろな瞳で歩き続ける。
 たいおんに駆け寄る茨木と綱光達。

綱光「お前達」
夷2「我らも鬼。都人もまた鬼」
夷1「鬼の都。作りたければ勝手に作レ」
夷2「我らは我らの新しい道を探ス。あるがままにナ」
夷1「平安などいらヌ」
 
 夷達、童の亡骸を見つめる。
 人々の罵声。
 太刀を抜き、
 都人に向かおうとする綱光。

茨木「もういイ。戦は終りダ」
綱光「……」
 
 立ち止まる綱光。
 茨木、小刀で胸の五芒星を切る。
 夷達、茨木に習い五芒星を切る。
 たいおんに手を差し伸べる茨木。
 茨木に童の亡骸を託すたいおん。
 綱光、獣の様に雄叫びを上げる。
 怯える都人達。
 都人達の後ろから、
 襤褸を纏った右京の民が現れる。
 襤褸の民、
 綱光と共に雄叫びを上げる。
 綱光、都に背を向け羅城門を出る。
 綱光の後を追う夷達。
 たいおん、茨木を一瞥すると、
 もと来た道を戻ってゆく。
 たいおんを取り囲む武者達。

たいおん「何をする。我は太一、北極神にも通じる式神じゃ! 無礼を働けば呪い殺すぞ!」
 
 武者達、
 たいおんに気圧され道を開く。
 茨木、遠く朱雀門に向かって
 去ってゆくたいおんを見つめる。

茨木「あやつもまタ。いつの日か同じ所に住んでいたのやも知れヌ」
 
 襤褸の民、おずおずと茨木に近づく。

茨木「我らは鬼。まつろわぬ者。山を駆けル。森に潜ム。獣を狩ル。人を襲い人に疎まれル。泥と血に塗れやがては野垂れ死ヌ」
 
 襤褸の民の顔に生気が宿っている。
 茨木、一瞬だけ優しく微笑む。
 襤褸の民、
 茨木と羅城門を出てゆく。
 高らかに歓喜の声を上げる都人達。

都人「平安万歳! 平安万歳! 平安万歳!」
 
 穢れと呼ばれた全ての者達が
 都を去る。
 夕日が落ち、都に夜の帳が下りる。

○暗転

○土御門殿・母屋(夜)
 一人眠っている関白。
 突如その口が塞がれる。
 引きずり起こされる関白の眼前、
 廂の向こうに広がる庭に
 鬼火が揺れている。
 関白を羽交い絞めにし、
 その首筋に短刀をあてがう綱光。
 鬼火と共に鬼達が関白を見ている。

綱光「見えませぬか? 関白様に踏みにじられし人々の怨念が」
関白「見えぬぞ……アヤカシもマヤカシも見えはせぬぞ……ただの下郎がおるだけじゃ」
 
 鬼火が松明に変わり、
 鬼達は夷となる。

関白「分かっておる。お前達は人じゃ。身分卑しきただの人じゃ。力なき、薄汚れた、醜く無様で哀れな人じゃ」
 
 と、鬼達の中に混ざり珠子がいる。

関白「珠子」
 
 関白、かぶりを振るう。
珠子「一夜は一夜」
 
 消える事無く
 関白に向かってくる珠子。

珠子「一夜は一夜。一夜は一夜。一夜は一夜」
 
 一転、怯えはじめる関白。

関白「見えぬぞ。見えぬ。何も見えぬわ」
 
 珠子、夜叉と化し関白に寄り添う。

夜叉「共に常闇へ……」
 
 関白、絶叫する。

○四辻(夜)
 逃げてくる綱光と夷達。

綱光「すまぬな。些末な事に突き合わせて」
 
 綱光、息をきらせ虚空を見る。

飛蝗の声「これはアヤカシにしか出来ぬマヤカシだ」

○(回想)道2(夕)
 飛蝗、木に凭れかかり
 蒼白のまま笑う。

飛蝗「人を蹴落とし踏みにじり弄んだ所で、やはり人の所業。罪の呵責までは偽れえ。だからどいつもこいつもマジナイで誤魔化すんだ。てめえが他人に与えた悪行の一切を鬼にすげかえ、穢れの札を付け、マジナイで帳消しにして、忘れるんだ」
 
 飛蝗、
 綱光の胸倉を掴み懇願する。
飛蝗「珠子殿の想い。消させてなるものかよ」

○四辻(夜)
 鬼面を被った
 白小袖の女がやってくる。
 面を外す女、正体は茨木。

茨木「あやつには何が見えていたのダ?」
綱光「さあな」
 
 綱光、
 面を茨木から受け取って被る。

茨木「本当にいいのカ? 綱光」
綱光「連れて行ってくれ。俺は、朱点童子だ」
 
 綱光と茨木、
 夷達と共に闇に消える。

○一条戻橋・橋の下
 枯れ葉の舞う寒空の下、
 小屋の前で肩をすぼめて並ぶ人々。

都人4「鬼も消え、右京の襤褸共もいなくなったというに。相変わらず景気が悪いのう」
都人5「新たな瘡の者が右京に移されたらしいぞ。検非違使も情け容赦がなくなったわ」
都人6「陰陽師どもは何をしておるのだ」
都人7「マジナイといえば聞いたか?御堂関白様が出家なされたそうじゃ」

○御堂(法成寺阿弥陀堂)・中
 扉の全ては閉ざされ、
 何百という蝋燭の灯が
 大伽藍を緋色に照らしている。
 九体の阿弥陀像の手に
 五色の紐が括られている。
 やつれ果て僧形となった関白が
 九本の紐を掴み、
 目を閉ざし必死に経を唱えている。
 関白の傍らに夜叉が寄り添っている。

関白「何も見えぬ。何も見えぬぞ」
 
 その二人を、夥しい数の
 公家の怨霊が取り囲んでいる。

関白「なみあみだぶつなむあみだぶつなぶあびだふつだぶあびたむつだぶだびだぶだぶたぶだびだぶだぶだびだぶだぶ」

○一条戻橋・橋の下
 話す都人達の前を、
 小屋から出て来た小袖の女が
 号泣しながら走り去る。

都人4「氏長者が仏門に帰依されたとはな。陰陽師の時代も、もう終わりかのう」
たいおんの声「はい次の人! 早くなさい!」
 
 都人4、小屋に入ってゆく。

○一条戻橋・橋の上
 黒い被衣で顔を隠した
 水干の男が、
 橋の下を見下ろしている。

水干の男「……」

○朱雀大路
 歩く水干の男の後姿。
 行き交う市人市女、
 棒手振りに混ざり、
 今は徒歩の公家が
 少しばかり見うけられる。

○占星台・中
 扉が開かれ外の光が差し込む。

安倍「鬼を戻さねば。鬼を増やさねば。鬼を造らねば」
 
 散乱した部屋の中、
 一心不乱に書物を見て
 注釈を加え筆を走らせる安倍。

安倍「違う……この解釈は龍脈の流れが宋と同じになっている。だからだ……都ではむしろ辛酉に祠を立てるべし。さすれば、まつろわぬ者共は再び都へ戻り我が手足となる」
 
 安倍に歩み寄る水干の男。

安倍「どこへ消えていたたいおん。まあいい。今度は病となった者を全部鬼に仕立て上げ」
水干の男「アヤカシとマヤカシを操り都を統べる」
 
 安倍、ぎょっと驚く。

水干の男「ですが、まつろわぬ者達はそのどちらからも解き放たれたようにございまするぞ。マジをかけようと銭や宝物をチラつかせようと、もはや都には戻って来ぬと存じます」
 
 被衣を脱ぎ正体を現す飛蝗。

飛蝗「今日は御暇乞いに伺いました。いやはや鬼どものいない場所は、マジナイ師にとってもまた住みづろうて住みづろうて。何せ難癖をつけるものがありませぬゆえ」
安倍「飛蝗。どうして生き……いや、ここにいる?」
飛蝗「陰陽頭様もお人が悪い。私が目障りになったならば幾ばくかの銭で口を噤んで目の前から消えましょうものをわざわざ嵐の日を選んで穢れ流しを行わせ、処分しようとは。さほどにこの口が忌まわしゅうございますか?」
安倍「飛蝗……」
飛蝗「あるいは偉大なる安倍一族の験力が雷電を呼び邪なる詐欺師に天誅を加えたか。まあそれも宜しかろう。左様な面倒臭さもまたアヤカシゆえ」
安倍「どうしてここにいるかと聞いてる!」
飛蝗「面倒臭いといえばさすがは陰陽頭様の調伏。見事、関白様を破滅させましたな」
 
 訝し気に問う安倍。

安倍「私が関白様を調伏? おぬし何を言っている」
 
 飛蝗、髪を一本抜き虚空に翳す。

飛蝗「恐ろしや恐ろしや。マジナイは髪一本とて刃に変えまする」

○(回想)飛蝗の小屋・中
 飛蝗に抱きつき泣いているたいおん。
 その指が飛蝗の髪を一本引き抜く。
 飛蝗、たいおんの腕を捻り上げる。

飛蝗「おい、禿げたらどうしてくれるのだ」
 
 涙を浮かべ飛蝗を睨むたいおん。

飛蝗「陰陽寮の評判も上がった事だし、ここで詐欺師には消えてもらおうってハラか?」
 
 うずくまり塞ぎこむたいおん。

飛蝗「何でこう都の連中は心を閉ざすかね? あれか? 秘めたるものの無き人間は雅を解せぬとでも言うのか? かっこよろしいな。さすがは都人。いや人知を越えし神の使い式神様であらせられましたか」
たいおん「うるさい! お前に私の何が分かる! 何も知らない癖に適当な事ばかり喋りおって! お前など大嫌いだ!」
 
 対峙するたいおんと飛蝗。
 飛蝗、懐から一枚の懐紙を出す。
 懐紙に挟まれた一本の髪。

飛蝗「どうせならこっちの髪の毛と交換しねえか。なに、悪いようにはなんえさ」
たいおん「それは誰の髪だ」
飛蝗「神の使いなら一度くらい人の役に立てよ。少しはその気も晴れるかも知れんぞ」
 
 たいおん、
 指で髪をつまんで受け取る。

たいおん「おぬしの言霊、信じてよいのか?」
飛蝗「稀代の大悪党の髪さ。有効に使ってくれよ」
 
 飛蝗、あやしく笑う。

○占星台・中
 笑う飛蝗に愕然となる安倍。

飛蝗「氏長者を大悪党とは言い過ぎ……でもねえか。今となっちゃ」
安倍「何故、関白様の御髪をうぬが」
飛蝗「珠子様より預かり申した。一夜の思い出に頂戴したが、持っておればよからぬマジナイに使うてしまうやも知れぬと言われ。珠子様は清らかな方にて、代わりに誰ぞにその無念を晴らして貰おうと思いましてな」
安倍「違う! 我が呪法はうぬを……いや、この私を謀ったか飛蝗!」
 
 掴みかかる安倍を軽々とかわす飛蝗。

飛蝗「なんのまだまだこれからですぞ。身共の言霊の威力は」
 
 と、検非違使を率いて
 中原別当が乗り込んで来る。

安倍「おお検非違使! 早くやつを捕えよ!」
中原「陰陽頭安倍平昌。御堂関白様調伏の嫌疑これあり。すみやかに縛につくがよい」
安倍「私は謀られたのだ! 私に関白様の髪を掴ませたはこの男」
中原「この男? ワシには何も見えぬがの」
安倍「見えぬだと……?」
 
 縄打たれる安倍。

中原「陰陽寮に引き籠っておる故知らぬだろうが、そなたによる関白様調伏の『噂』は都中に広まっておる。もはや言の葉が紡ぎし『網』より逃れられはせぬぞ」
安倍「網だと! 下賤の噂話に何の理がある! 私は陰陽頭! 森羅万象の力を宿す賢者であるぞ!」
飛蝗「今の時代『噂の網』こそがまことにて」
安倍「黙れ!」
飛蝗「はてさてその力で次は誰を呪い誰を陥れるおつもりだったのか。げに恐ろしき験力ですな」
安倍「言葉尻を捕え理を歪める悪党め! 離せ! 全ては奴のマヤカシだ!マヤカシだ!」
 
 安倍、検非違使に連行される。
 中原、飛蝗に一瞥をくれ、
 去る。
 一人残った飛蝗、冷たく呟く。

飛蝗「せめてアヤカシと呼んでくれよ」

○飛蝗の小屋・中
 甲羅に色彩の施された
 小さな子供の亀が
 毛せんの上を歩いている。
 亀の甲羅を叩く棒切れ。
 農夫、ゴクリと喉を鳴らす。
 たいおん、農夫を見据える。

たいおん「はっきり言っていいかい?」


○同・外
 農夫、
 不貞腐れながら小屋から出る。

農夫「このやろう、言いたい放題言いやがって! 二度と来るか!」
たいおんの声「何じゃと! 呪い殺すぞ!」
 
 行列は途絶えている。

○同・中
 たいおん、
 子亀を掴んで睨みつける。

たいおん「あやつが言ってた通りにやっておるのに。やはり大嘘つきじゃ」
 
 子亀、大あくびをする。

○道3
 見晴らしのいい野原を一人歩く飛蝗。
 道がふた手に分かれている。

○(回想)道2(夕)
 木にもたれ倒れている
 矢を受けた飛蝗。
 突然、
 その閉ざされた目をカッと開く。
 胸に刺さった矢がぽとりと落ちる

○道3
 飛蝗、懐から神亀様を取り出す。
 ひびの入った甲羅に、
 布が張られている。

飛蝗「いやいや、助かり申した」
 
 飛蝗、神亀様を道に置く。
 右手の道をのそのそと進む亀。

飛蝗「ありがたやあやりがたや。アヤカシもマヤカシも皆、ありがたや」
 
 飛蝗、神亀様の後を歩きはじめる。


(おわり)

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