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四神京詞華集/NAMIDA(14)

【妬にへばり憑かれたワタシ】

○尊星宮・拝殿(夜)
遠くで寺の鐘が鳴る。
欠伸を噛み殺しながら言葉を続ける穢麻呂。

穢麻呂「まあ、差し当たってはその年相応な恋模様から顧みてはどうだ?」
慧子「斯様な男と恋など…ぞっとします」
穢麻呂「早速思い当たったか」
慧子「でも恨まれる筋合いなどありません。はっきりと断ったし」
穢麻呂「それで割り切れぬが公家という輩の恋であろう。汝も拒絶した男がなお自分に纏わりつくことで、己の自意識を満たして楽しんでいたのではないか」
慧子「ぶ、無礼者! 侮るでない!」
穢麻呂「ふん」
慧子「……で、どうしたらよいのです? 呪いをかけた者を見つけたら」
穢麻呂「殺せばいい」
慧子「こ、殺す?」
穢麻呂「らしい」
慧子「ら、らしい?」
穢麻呂「以上」
慧子「い、以上? 何といういい加減な」

ふと、従者狛亥丸が咎めるような視線を主に送った。
それに気づいているのかいないのか、主は主で試すような視線を呪われた姫に向け続けている。
狛亥丸は穢麻呂の真意を測りかねた。
しかし恐らく穢麻呂自身も今、自分の心に沸き立っている感情を測りかねている。
何故俺は今この小娘を『試しているのか?』と。

穢麻呂「呪いが解けた者を見た事がない。みなこの街で紋様を刻んだ禍人として生きているか、呪いを解いたはいいが人殺しの呵責から狂って元の暮らしに戻れなくなり現世より消えたか。どの道覚悟せよ。もう、元の人生には戻れぬと」
慧子「そんな……」
穢麻呂「祓魔師などという異名は、単に穢人の悩みを聞いてやったり薬草を煎じてやったりしておる故付けられたもの。あとまあ、白虎街での喧嘩沙汰の仲裁など諸々のマガゴトを治めたりもしておるでの。ただ鬼を人に戻したことなど一度もない。出来るとも思えん」

慧子、膝を抱えて震える。

慧子「何でこんな事に。私はただ私の世界を広げたかっただけなのに」
穢麻呂「この世には足を踏み入れてはならない場所がある。そしてそれは、必ずしも遠く得体の知れぬ所にあるとは限らぬ」

ふと、慧子の脳裏にあの淡子の声が響いた。

「獣しかおりませぬよ。この世には」

慧子「いいわよ。戻ってみせる。元の人生を取り戻してみせる」
穢麻呂「ほう、修羅道に堕ちるか。仏の教えが聞いて呆れるな」
慧子「修羅にも夜叉にもなってやる! こんな街で穢れた生涯を送るくらいなら死んだ方がマシよ!」

と、閂のかかった境内の戸を叩く音が響く。

????「開けよ! 蝦夷穢麻呂!」
穢麻呂「誰だ。夜間外出禁止であろう」
????「白虎街に堕ちたる夜の住人、穢人が何を言う! 衛門府である! 疾く開けよ!」

穢麻呂、顎で狛亥丸に指示する。

穢麻呂「とっつあん自ら出張ってきたようだ。さすがは貴族の鬼だな」
狛亥丸「慧子様、こちらへ」

慧子、急いで向かおうとするも一旦穢麻呂に向き直り、深々と頭を下げる。

慧子「ありがとうございます」
穢麻呂「……急げ」

狛亥丸、幣殿への扉を開け慧子を通すと再び封印する。
穢麻呂、扉を開ける。
衛士を従え、武装した坂上武者麻呂が躍り込んで来る。

穢麻呂「夜分ご苦労様です」
武者麻呂「鬼を出せ」
穢麻呂「はて」
武者麻呂「調べはついておる。呪いをかけられ鬼と化した菅原慧子を匿っておるであろう。引き渡してもらうぞ」
穢麻呂「禍の紋様を占った後、今朝方放逐致しました」
武者麻呂「追い出したのか。まことか」
穢麻呂「はい」

武者麻呂、食い散らかされた椀を一瞥する。

武者麻呂「……哀れよな。お前ともあろう者が餌のごときゆうげとは」
狛亥丸「左様です。私ども穢人は日々の食い扶持にも困る有様にて呪われし禍人ばらを匿う余裕などございません」
武者麻呂「ものいうな蛮人」
狛亥丸「ははっ」
穢麻呂「武者麻呂殿も機会があれば食を絶ってみるとよい。さすれば米の味、草の味、命の味がよく分かる」
武者麻呂「抹香臭い物言いぞ。遂に大臣禅師に膝を折る支度か?」

穢麻呂の表情から薄笑いが消える。

穢麻呂「大臣禅師が如何した」
武者麻呂「内々の話だが先々東龍寺にて先帝の法要が行われる。無論、帝も保良宮よりお出ましになられる。あの生臭坊主を伴ってな」
穢麻呂「何が言いたい」
武者麻呂「鬼をとらまえるに手を貸せ。さすれば法要の際、うぬを衛士に紛れ込ませてやってもよい。いいか、取引きは互いの誇りを守る口実だ。俺もあ奴には思う所がある。うぬも俺如きに借りは作りたくあるまい。答えよ。菅原慧子はどこだ?」
穢麻呂「……」
武者麻呂「何を躊躇う。禍の鬼女はうぬの止まった時を動かすために現れた化生と思えばいい」
穢麻呂「いつから言葉遊びなぞするようになった。まるで白粉貴族だな」
武者麻呂「子が生まれればどんな無様な真似も出来るようになる」
穢麻呂「汝の立場など知ったことか。疾く去れ」
武者麻呂「逃げるならば何故戻ってきた?」
穢麻呂「……」

武者麻呂と衛士たち、踵を返して去る。

武者麻呂「ともに鬼退治ぞ! キヨメの穢麻呂どの!」

穢麻呂、武者麻呂が出てゆくのを認め、幣殿への扉を開く。

○同・幣殿(夜)
月光の差し込む室内にはおびただしい数の供物が安置されている。
いや、安置というより放置に近い。
そして供物というよりガラクタに近い。
割れた伎楽面、破れた書物、木簡の欠片、穴の開いた太鼓に折れた笛。
そして出来そこないの貴族の娘、は、何故かそこにはいなかった。

狛亥丸「慧子殿、一体どこに……」
穢麻呂「どうでもよい。これよりはあの小娘の問題ぞ」
狛亥丸「ならば何故炊きつけたのです? 慧子殿も復讐鬼にしてしまうおつもりですか?」

穢麻呂の手中、その呪物をじっと見つめる狛亥丸。
顔中に呪いの紋様を刻み込まれた男の似顔を。

穢麻呂「それが呪われし禍人の行く末ならばな」

○白虎堀河(夜)
しかしまあ遠目に見ても不気味な街だった。
何十何百という小屋同士の屋根が繋がり、まるで巨大な瓦礫の箱である。
小屋の窓から屋根の隙間から、赤い灯と煙が混ざり合っては火事のように、笛太鼓や弦の音が混ざり合っては嬌声のように、漏れ響いている。
白虎街はまさにキメラだった。
慧子はつくづくこんな街に飲み込まれなくて良かったと安堵した。
同時に、呪われた日の夜に穢麻呂に会えたことを感謝した。
勿論穢麻呂その人に対しては一切感謝などしていない。
そもそも祓魔師などではなかったし。
なんか普通の怪人物だったし。
だけど呪いの種類も分かったし、多分呪いの解き方も分かったし。
感謝はあくまでも仏に対してだ。
そう、これは仏のお導きというものだ。
翻って、読書や学問によって手に入れた私自身の徳というものだ。
「私は私にマジ感謝。南無」
である。
あとは自分の力で呪いを打ち払うのみ。
見張りの消えた白虎堀河に架かる橋を渡り、再び洛中に戻る。
慧子は幣殿にあった熊だか猪だかの毛皮を羽織り、拝借した短刀を懐に忍ばせると呉女なる伎楽面で顔を隠した。
修羅道へと堕ちるやも知れぬ鬼のすっぴんを。

(つづく)

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