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四神京詞華集/ディスペルへの遠き道(1)

権力者の大事なお仕事の一つにシステムを複雑化させるというものがある。
責任の所在を曖昧にするためだ。
己はもとより己に近しい関係者各位に配慮しまくり、彼らの眼下の遥か下、塵芥ほどの小さな存在に最大限責任をなすりつけて、何か事が起これば万能パスワード
「KIOKUNI-GOZAIMASEN」
或いは
「HISYOGA-YARIMASITA」
しかる後に
「FUTOKUNO-ITASUTOKORO-DEATH!」
でクリアするそのシステムの名を、現実はさておき少なくとも四神宮内では『衆議を尽くす』と呼んでいる。
システムは二段階に分かれている。
参議や各省庁のトップによる開かれた会議(名目上)を上奏会議。
そこで裁可された議案を帝同席の下、右大臣、左大臣、ものもうすのつかさ(大納言、中納言、少納言)の五人によって審議し採決する御前会議。
見るからにタチの悪い制度である。
そもそも参議そのものが二十人にも満たないのだからこの二段階方式がいかなる理由で作られたのか推して知るべしであろうし、さらには発案者が蘇我物部と彼らの恩恵を受ける地方豪族であるというところが公案意図を明白なものとしている。
元々国政など全く興味なく、己と己の周りに如何にして金をばらまくかしか考えてない田舎豪族は、中央政庁の連中と直でやりあいたくないのだ。
いかに知識や教養といった政治に関する欠落の何もかもを強面による人脈と面倒見のみで補っているだけのヤクザものとて、宮中のインテリ連中に口で敵わない事くらいは自覚している。
ゆえに御前という密室に引きずり込み集団でボコる。
(勿論必ずしも比喩的な意味に留まらない)
当然これは高御座が無人となってから彼らが勝手に作りあげたシステム。
さらに言えば御前会議に出席できる参議は上奏提出者一名のみ。
つまり紫宸殿は現在、神のいない天上で思いのままに振る舞う粗暴な賊徒共によって都人の代弁者が集団リンチされる場所になり下がっている。
とにもかくにも、これからタチの悪いパイセン達が待ち構える校舎裏にステゴロで赴く男一匹ナントカ大将の如き橘不比等はそう解釈していた。

○四神宮・紫宸殿
鳳凰を頂く金色の高御座に向かい、笏を手に正装の不比等。

不比等「参議、橘不比等、すめらみかどに申し上げまする!」

必要以上に高らかに、不比等は上奏する。

不比等「長らく都を脅かしたる朔の神隠し。真相は熊襲蝦夷から生じ全土にはびこる野盗による人身売買と判明致しました。更に驚くべきはその首魁、大和各地の野盗と通じ国内の情勢を一手に牛耳らんとする者の正体こそあろうことか中納言、蘇我有鹿なり。この上は、すめらみかどの名において厳正厳罰をもった御聖断をお下し頂けますよう都人の総意として上奏仕ります」

赤柱白壁すべて黄金で統一された金具が、差し込む陽の光をまばゆく照らす紫宸殿。
ここは人が神に謁見できる、顕現した天上界そのもの。
だが聖域は既に十分すぎるほど人によって蹂躙されてきた。
かくいう不比等の父もまた聖域を踏み荒らした者の一人であり、ゆえに彼は天津神の血を継ぐ橘の御曹司ながら、いち参議に甘んじてきた。
紫の袍に身を包む殿上人たち。
その眼光の矢玉を背に受けつづけ、だが不比等は身じろぎひとつせず朗々と上奏した。
とはいえ彼の背後で睨みをきかせる帝の重臣は今、五人ではなく、たったの二人。
不比等はこの状況に安堵よりも、むしろ物足りなさを感じている。
このあたりが喧嘩上等バッチ来いのカリスマ参議たる所以であろう。
以下、説明。
少納言、物部灰麿は半死半生の老人で出仕不可能(もちろんはなからそれを見越しての人事である。密室政治の参加者は少なければ少ないほどいい)
中納言蘇我有鹿は犯罪行為の当事者であり謹慎中。
また、本来絶対に参内し、不詳の倅に成り代わり必死の弁明を行わなければならない左大臣蘇我大連も、まあ大方の予想通り突然の体調不良により舘で療養中。という知らせを受けている。
無論、不比等にとっては何もかも想定の範囲内であって、むしろ左大臣自ら正面きって喧嘩を買ってこられたらかなり面倒臭い事態に陥ることとなる。

「密室政治を利用するのはお前達だけではないぞ」

そう言わんばかりの不比等の堂々たる背を、内心はどうあれ粛々と見据える四つの眼。
うち二つは不比等刎頸の友、かの百屋さんこと大納言藤原百永。
あとの二つは右大臣、物部狩屋。
このみてくれだけは不気味に福々しい肥満体の成り上がり大臣こそ、此度の議論の相手となろう。

「超余裕」

不比等はすでに勝ち誇っている。
今は横柄に弛緩しきっているが性根はゴリゴリの武闘派でもある蘇我一族と違い、神官の趣のある物部一族は、いにしえの崇仏戦争の敗北以降基本的に穏健派であり今回の中央政界進出も大連にそそのかされただけとも取れる。
良くいえば名家の理想主義者、悪くいえば稚拙な哲学者。
二言目には「大和に楽園を作るのだ!」だの「心の自由こそ正義だ!」だの「努力!友情!勝利!」だの眠たい文言を親子揃ってのたまい続ける、絵に書いたような偽善者、その実成り上がりバブルに浮かれ騒ぐ田舎の大金持ちといった所である。
帝より賜った節刀にて叛徒と化した父を討ち果たしたほどの豪傑たる不比等の相手ではない。
タイマンならば名ばかりの右大臣など議論でも暴力でも一刀両断である。
しかしこれまたまことに馬鹿馬鹿しいシステムであるが、いかに無人の玉座とは言えここは御前の会議。
都人たる彼らにとっては帝は今なお眼前の高御座に鎮座しているというテイで廟議を進めなければならない。
不比等は右大臣に向き直り得意のメンチ切りで震え上がらせたい衝動を押し殺しつつ、帝の御聖断を待つ。
この場合帝はここにいないのだから、当然聖断とはナンバー2たる蘇我大連自身の敗北宣言を意味する。
自分の口から率直にゴメンナサイをするのが死ぬほど嫌な人種だけが権力の頂に立てるものなのだろうか、大連も世の例に漏れず内心舎弟扱いしている右大臣狩屋の口から自分の決断を告げさせようとしていた。
御聖断を騙る左大臣の意向こそ現時点での御前会議の最終決定事項となる。
いかに天孫族の後裔とて物部右府如き、今や左府大連の代弁者に過ぎない。
そのカーボンコピー男は高御座の前に進み出ると、仰々しく奉書を広げた。

狩屋「これより帝の御聖断を伝える」

(つづく)

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