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おにぎりをもらった話

三寒四温、この言葉を春先に使うようになったのは最近のことだそうだ。

寒いような暖かいような中、公園で3歳の息子と過ごした。商店街で買った安いクレープを食べて。昼ごはんにした。鳩に囲まれながら。鳩に「あっちいって!」とか言いながら。クレープをちょうど食べ終わって砂場で遊ぼうかと言う話をしていたところで、知らないおばあちゃんから話しかけられた。
「よかったらおにぎり食べへん?」
いきなりのことなので、(なんだかよくわからないなあ)と考えていると「いや、そこのおにぎり屋さんでな一個だけ買うのは申し訳ないから2個買おうと思ってな。せやからもう一個食べてくれへんかな」と。【お願い】されるという形になってしまって。
「ああ。はい。ありがとうございます」と言った。
「まあでもこの子の食べるやろ?鮭でええか」と息子の方を見て言った。どうやら結局3個買うらしい。そして、颯爽とおにぎり屋さんにおばあちゃんは向かっていった。

3分ほどしたらおにぎりを手に戻ってきて「な、これ、食べ」と鮭のおにぎりを二つ手渡してくれた。クレープ食べたところなんだけど息子はバクバクとおにぎりを食べていた。

「ありがとうございます」 以外に特に言葉が出てこなくてとりあえずおにぎりを食べた。

「何歳なん」とか「可愛いね」とかいろいろ話しかけてくれて、それになんとなく返事をしていた。5分ほどそんな感じでよくわからないけど会話をして、
「実は旦那が先に亡くなってな。一人で家におっても退屈なんよ」と語り出したおばあちゃん。

「そうなんですか」なんだか返す言葉がない。

そしてまたふらっと他の人に話しかけに行くおばあちゃん。「おにぎり食べへんか」と。公園で遊んでいた小学生達に。小学生たちは「知らん人から物貰ったらあかんねん」というようなことをおばあちゃんに説明していた。おばあちゃんもいつもそうやって断られるようで、またこっちに来て「この子らな、学校でそうやって教えられているらしいわ」と僕に言う。

今度は小銭入れからありったけの小銭を息子に手渡し「これでな、お菓子でも買いに行き。お小遣いや」と言った。

申し訳ないのやら、寂しいのやら、悲しいのやら、同情のような気持ちやら。僕にはそのおばあちゃんの行為を断ることができなかった

おばあちゃんはまた違う人に話しかけに行った

せめてものお礼の形として、近くのコンビニに息子と行った。息子が好きなものを選びそれを買っておばあちゃんに見せよう。
「おばあちゃんにありがとうって言おうな」と息子と申し合わせて、また公園に向かった。

おばあちゃんはまだ公園にいた。よかった。

息子は「ありがとう。チョコ買ってん」と、
僕も「ありがとうございます」 と言った。
「じゃあまた」 と言って別れた。

自分の半径数メートルは今日も平和だ
知らないおばあちゃんにおにぎりもらって、お小遣いももらって
平和なんだけど、 でもその裏側には色んな思いがあって、色んな事情があって。言葉や行動。人それぞれの表現がある。
その表現の見えやすいところだけを見るんじゃなくて、少しだけその隠れたところ、見えにくいところ。もしかしたら相手にとっては見て欲しくないかもしれないけど。そういうところをしっかり見ていけるような余裕をいつも持ち合わせていたい。

おにぎりは塩がしっかりきいていて、鮭にも味がついていて、少し、しょっぱかった。お店で買ってるから、そんなはずはないんだけど、おばあちゃんが手作りしてくれたような味だった。


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