「いじめ」の小さな芽を断ち切る
教室にてレッスンをしていると、それはそれは毎回いろんなことが起こります。先日のレッスンでのこんなエピソードをひとつご紹介します。
ある年長さんクラスでの話です。年長さんは母子分離をしていて子どもたちだけのレッスンになっています(ここがポイント)
私が絵カードを見せながら、「今度は繰り返し一緒に言いましょう」と子どもたちに促しました。
すると、
Aちゃんはクラスのみんなにふざけてこのように言いました。
A「ねえねえ、先生の言うことを聞いちゃだめだよ。し~(静かにすること)だからね。無視しよう!」と。
すると・・・クラスメートのBちゃん、Cちゃん、Dちゃんは少し戸惑いの表情を見せながらもAちゃんの提案に賛成するべく、私(講師)の言うことを無視しました。
何となく雰囲気を分かっていただけますか?
こういったことは 園や学校で女子が集団になるとよく起こります。こういう小さなほころびがエスカレートをし、「○○ちゃんを無視しよう」「○○ちゃんと喋ったらだめだよ」ということにつながるのです。
ですので、 これを笑って見過ごすわけにはいきません。
親がいなくなった途端(=親の監視がなくなった途端)こういう態度に出る子は、比較されて育った、結果だけを見て評価をされた、基準が高くなかなか認めてもらえなかった、という子ばかりです。ほんとに。
当然、レッスンは即中断し、ただならぬ雰囲気を作りました。
私はAちゃんは放っておいて、BCDちゃんに向かって次のように諭しました。
私「良いことなのか、悪いことなのか、自分で判断しなさいね。してもよいと思ったのなら、そのようにすればいい。でも、お友だちに言われたから「いやだなと思うこと」をする、というのは良くないです。」
と。
人は人。自分は自分。
人の意見と自分の意見が違っている場合、意見の対立による喧嘩をするのではなく、人の意見と自分の意見は違うと認識するだけだ、と。
これを小さなときに 身につけさせてあげて欲しいと思います。
子育てにおいて、お子さんを誰かと比較して育てると、これが身につきません。身につかないどころか、自分よりも「声の大きい」人の意見に巻かれてしまい、自分の良心を隠し苦しい思いをしてしまいます。これほんとに重要。
BCDちゃんは、私の話を静かに聞いてくれました。
その後は自分で判断しレッスンに参加できました。
私「どう? 嫌だなと思うことをしていると心が暗いでしょう?人と違っていても、自分の意志で行動すると、清々しいよね」
B,C,Dちゃん「うん。(笑顔)」
Aちゃんはどうしたのかって?
何も触れず、です。諭すことも叱ることも無く、そのままです。
そして楽しくレッスンが続いているうちに「無視しよう」と言っていたAちゃんも参加し始めました。その時に笑顔で返しただけ。
ちょっとした一言を見逃さずその場で立て直す・・・ちょっとしたセンスが子どもの心を導きます。良い方向にも、良くない方向にも。
だから、
「小さい子どもたちと一緒にいる人、教える人」はいつも責任重大なのです。