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負のエネルギーに支配されてどうしていいかわからないとき - はじめの一歩は?

前回は負のエネルギーそのものの定義について書きました。

今回は負のエネルギーの発祥、そもそも何が発端で負のエネルギーが現れて、自分を完全に支配してしまったのか、その過程を考えていきたいと思います。

私の場合は離婚。『人生は変化があって当たり前』『その変化それぞれに喜怒哀楽が伴うのも当たり前』『よって人間には感情の起伏があって当たり前』という前提が、ある意味で揺るがされた人生の大きな過渡期でした。

そもそも私は人生の読みが甘かったから、価値観がブレたのだと思っています。それだけ浮き沈みのない恵まれた環境で、ぬるま湯に浸かっていたわけですが、なぜ肝心な人生の過渡期に適応できなかったのか。

人生で困難なことに当たり、それを臨機応変に対処して適応できる力をResilience=立ち直る力、と言われています。この立ち直る力を究極に阻むのが負のエネルギーなのです。

ではこの立ち直る力をフル回転させるにはどうしたら良いか。負のエネルギーに支配されずに支配する側に回るにはどうしたらいいか。それは、負のエネルギーを支配する立場になることなのです。受け入れるのもよし、払拭するのもよし、とにかく自分が負のエネルギーと客観的に向かい合って、あ、今負のエネルギーに支配されているな、と理解できれば立派な初めの一歩だと考えています。

負のエネルギーを支配するにはどうしたらいいか。それは物事の上っ面だけでなく、真実を突き詰めていくことだとやっと気が付きました。ここまで長かったです。それだけ自分が上っ面の人間であることが、やっとわかりました。わからないで死ななくてよかった。これが不幸中の幸いです。

それは、個人としての人間が定める真実、でいいのです。世の中の偉い方が言っていることを聞いて、『じゃあ、私だったら…』と考える程度でいいのです。自分で突っ込んで考える”態度”が大切だからです。

考える、というと難しく聞こえるかもしれませんが、実はここでいう考えるというのは理論だけでなく、感情で考えることだと思います。世の中、IQ(頭脳レベル)だけでなくEQ(感情レベル)が、実は社会や人間の真意・真実を見極めるのに大事な能力だとわかりました。

例えば、他人の感情・気持ちを理解するEmpathy『同感』する力。同感、というのは自分がまるでそれを経験した事があるかのように、『他人と同じように感じ取ること』です。これはSympathy『同情』する力、他人を可哀想と思う心とはちょっと違います。

Empathy同感する力。これがなかったから、自分に不幸が起こった時に、その出来事そのものを否定するしかなかった私。今まで離婚をした友人にはSympathy同情するしかなかった私。だとすると、自分自身に予期せぬ離婚が発生した場合、自分に同情することしか反応できなかったのです。可哀想な私、と。

同感する力があれば、今までに離婚したお友達の話を真剣に聞いて、小説や物語を読んで、自分だったらどうするか、どう対処するか、心の中で潜在的にリハーサルして、"what if" =こうなった場合、の層を常に重ねていって、自分の価値観を潜在的に何年も何十年もかけて固めていたと思います。

そのような心のリハーサルの積み重ねがないから、価値観が脆く、価値観が覆されるような出来事を受け止めなければならないときに、基礎からバラバラと崩れていったのだと思います。家に例えるなら、基礎が脆い価値観。雨が予想以上に降ると地下室に水が入り込んで、自分ではどうしようもない状態、オロオロするしかない、情けない状況です。

ではEmpathy同感をもう少し突っ込んで考えていきます。こちらでは Putting yourself in someone else's shoes  - 人様の足に自分の足を入れてご覧 →人の立場になって考えろ - を育む力が習慣化されておらず、幼い頃から断然弱かったと反省しています。

小説や映画でドラマチックな話の展開を見ても、同情はしました、が心のどこかで『そんなこと実生活であるわけない』と無意識に否定していたような気がします。そんなことを想像するだけで胃がひっくり返そうになるからです。ある意味で自己防衛なんでしょうか。そうすることによって『自分は大丈夫』と安堵させていたのでしょうか。だから考えませんでした。

例えば、私の時代には母子・父子家庭がとても少なかったのですが、ある意味でトラウマ的になっている経験をした事があります。小学生低学年の頃、近所のお母さんが病気で亡くなった時、その子供は3歳と5歳ぐらいの兄弟でした。自分の母親が亡くなったら自分はどうするんだろう、いやそんなことはあるはずない、いやそんなことがあってはいけない、と完全否定する考えで頭がぐるぐる回っていたのを鮮明に覚えています。それは子供としては当たり前の反応だと思います。あえてその境遇に自分を置いて深刻に考えべきかどうか…それはある意味で心の疲労であって、非現実的、無駄なこと、だと片付けていたのだと思います。それだけ人間は無知で無力ですから。

今ならどうでしょうか。全く違います。楽しい経験だけでなく寂しい経験もしました。寂しいときはこうして欲しい、こうしてくれたら嬉しい、という経験もしました。今だったら、子供の私でも出来ること、お母さんが亡くなった兄弟をうちの夕飯に呼んであげようよ、自分の両親に懇願して一緒に折紙で遊んであげることもできたでしょう。

それは同情Sympathyではなくて共感Empathyができるようになったからです。

話を負のエネルギーに戻しましょう。私はなぜ離婚を受け入れるまで時間がかかったのでしょうか(正直言ってまだ心の中で腑に落ちない点がたくさん残っています)。それは『人生の変化』を素直に受け入れることができなかったから。それは何故か。それは自分に共感する力が弱かったから、離婚が発生する事が考えられない、その事実を受け付けられない、心が頑なに拒否をしていたからです。ではなぜ、基盤が弱かったから。それは結婚の概念の基礎が脆かったのだと思っています。

そして、自分が決めた結婚の概念のしがらみに縛られていて、それが結婚の多様性を受け入れられなかったのではないか。それが人生いろいろの概念を否定するようになって、共感することもなく、考えることもなく、自分の信じる道を猪突猛進に、盲目的に進んでいったのではないか。それをまっとうすることが幸せのレシピである、と。

では、結婚概念という足枷で、価値観に凝り固まったために、現実が受け入れられず、感情が麻痺をして、負のエネルギにーに支配された、という仮説であれば、私の結婚概念とは何だったんでしょうか。

1回目の結婚が終わって離婚をすると、それが鳥瞰図のように見えてきました。私の結婚の概念って何だったんだろうか?と。皆さんは、どんな結婚概念をお持ちでしょうか。それがある日突然ひっくり返った時、信じていた伴侶が別の道を歩もうとした時、皆さんは結婚概念を調節する能力をお持ちでしょうか? 次回は私の結婚概念がどのように形成されて、どのように変化をしたのかお話ししてみたいと思います。

今、結婚・離婚で悩んでいる方へ、結婚しても子育てが不安な方へ、離婚して子育てに苦労している方へ、暗いトンネルの先に、太陽の兆しが見えるような読み方をしていただければ幸いです。少しでも多くの方に人生の暗いトンネルの先の光が見えますように。


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