相手に期待を持って失望しないために〜幸せへの道〜ヨーガ心理学で知るわたし⑧
カウンセラーの資格を取得する際に、
カウンセリング実習があり、
そのとき先生から
「青と聞いて
どんな青を思いうかべますか?」
と質問されました。
8人くらいのグループで
それぞれが答えます。
群青に近い濃い青
海の青
空の青
ターコイズブルー
ラピスラズリの青
などなど
それぞれが違う答えです。
「青」
というひとつの言葉から
こんなにもバリエーションがあるわけです。
受け取り方が違うわけです。
だから、相手の「青」を理解するには、
話を聴いて、丁寧にすり合わせていくしかないわけです。
じゃあ「海の青」と答えたのならば
どこの海なのか、南の海と日本海では
青の色が全然違うわけです。
浜辺なのか深海なのか?
岸からの距離によっても青さが違います。
朝方なのか夕方の海なのか
色彩で言うならエメラルドグリーンなのか濃紺なのか
海の青、と答えたとしても
青はたくさんの種類の可能性を推測することが出来ます。
それくらいに、みんな同じではないんだよ。
そんな事をカウンセラーの実習中に学びました。
相手に自分の思いを伝える。
または相手の話から、相手が何を伝えたいのかを理解する、ということは
この話ひとつとっても、かなり難しいと言うことが分かります。
なんとなく分かった気になっている、というだけであり
本当に理解したということとは、実はかけ離れている場合が多いのではないでしょうか。
そんな人だと思わなかった。
分かってくれていると思っていたのに。
こんな事が人間関係で起こったりするのは
ここが原因だったりするのではないでしょうか?
ですから、「相手に察して動いて欲しい」「察して優しい言葉をかけて欲しい」という願望があったとしても、その人が自分の感じているように同じように感じて、自分のために動いてくれるかということが成就するのは、かなり難易度の高い事なのではないか、と容易に考えることが出来ます。
大事な言葉のやりとりがめんどくさいからと、細かい会話を省いてしまうと
自分の期待とは大きく外れ、分かり合えず、相手に怒りを抱いたり、失望したりします。
それは、本当に「気がつかない相手」が悪いのでしょうか?
客観的に見れば、自分で勝手に相手に期待して,勝手に傷ついている状態とも言えます。
相手も自分のように感じているはずだ、と思い込んでいるのは、
幼い考え方と言っていいでしょう。
私の思っている「青」はみんなに言わなくても分かるし、
みんなが思っている「青」は私と全く同じであるから、
私が「青」と言ったら必ず私の思うような青を差しだしてくれるはずだ、
と言っているようなものです。
「私の考えている青の色を、絵の具をパレットに色を混ぜて作って」と言ったら、
ロイヤルブルーなのか
ターコイズブルーなのか
コバルトブルーなのか
パステルブルーなのか
ミントブルーなのか
青の種類だけでも20種以上、細かく分類したら何百にもなるであろう青の中から
ぴったりなものを、一回で用意することは非常に難しいわけですよね。
だから言わずに分かるはず、ということはかなりハードルが高いわけです。
「青」などという色を表す言葉ですらそうなのですから、
「友情」や「愛」「つらい」など形のない言葉など、もっと自分と相手の価値観がかけ離れている可能性があります。
そのように個人個人の多様性が存在しているということを知るということ。
違って当たり前であると言うこと。どれがいいとか悪いとかではなく
このバリエーションの多様な世界で私たちは生きているということ。
そして、自分と違う何かを、正しいとか間違っているとかで
家庭や国レベルで争っているということ。
基本的に相手とは同じではなく、わかり合えない、という大前提を
まず受け入れるということ。
その上で、必要なことは伝え、聴いて
丁寧にコミュニケーションしていくということが
過度な期待を抱くことなく、その結果、失望もしないというための
知恵のひとつなのではないでしょうか。
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