少女と子豚と裏薗のお話⑦
子豚はどんどん何かに追われ、汚されていくような気持ちになりました。なぜでしょう。白いキレイなキャンバスに色々な色をのせつづけた結果、真っ黒になってしまったような気分になりました。それは、多分、本当は子豚のどこかの端っこに、ただ優しくて小さな小さな少女が座っていて、それに子豚が見ないふりをしていたからだからかもしれません。
子豚は中学生になってから、部活動というものに参加しました。それは子豚の中の少女が望んだことなのかもしれません。参加した部活動は吹奏楽でした。子豚も音楽は大好きでした。どんな音楽でも、どんな詩でも大好きでした。子豚を音符にのせて、どこかに連れて行ってくれるような、そんな錯覚ができたからです。
子豚はコントラバスを弾いていました。あまり希望の楽器はなく、コントラバスをなんとなく見惚れていたら、吹奏楽部の顧問の先生から
「君はコントラバスが好きな手をしている。それにコントラバスが弾けるようになったら全ての弦楽器が弾けるようになる」
と言われたことも大きなきっかけで、それからはコントラバスの虜になりました。子豚の溶けてしまった鼓膜の中にも、確かに響く音色があって、その音色を子豚の変色した手自体が直接創り上げていると思うと、余計に惹き込まれていったのです。
弦を張替え、楽譜を読み、子豚は背が小さいのでコントラバスを身体にくっつけて、弓をキリキリと引き締め、松脂を緩やかに塗り、1弦へ弓をあてる。そしてそのまま横に腕を動かして、旋律を奏でていく。自然と子豚の中にはもう無かったはずの心臓が破裂しそうなくらいに動き出し、子豚は顔まで真っ赤になり、そのまま五線譜の波にのる。この行為は子豚にとって本当に幸せなことでした。このときだけは子豚ではなく、自分は少女なのではと思うほどでした。実際、コントラバスを夢中に弾きながら、鼻血を出すことは日常茶飯事で、それくらい子豚の死んでいた何かが生き返っていく感覚がしたのです。
音楽を聴くとき、1番使う部分は耳の中です。目をつぶっていても音楽は聞こえてきます。だから、子豚の身体に沢山の自分や他人からつけられた傷があっても、沢山の涙が溢れていたとしても、誰かに音楽は関係なく届き響き渡るのです。これほど素晴らしいものはないでしょう。
中学生になり、学校での人間からの不可解な行為や子豚の新しいお父さんとやらの吐き気がするような行為が増え、大きくなればなるほど、今度は子豚ではなく少女の主張が強くなりました。子豚の中の少女だけはまだ小さく息をしていたので、もっとたくさんの息を吸い込みたいと主張しだしたのです。
それから少女は吹奏楽だけでなく、美術にも興味を持つようになりました。日常の9割が子豚に乗っ取られてしまっているので、学校にいる時間ぐらいは少女でいたいと考えたのでしょう。
教室に行く時間よりも、美術室に行って絵を描く時間を優先することにしたのです。
少女は絵を描いている時も少女として存在することができました。キャンバスの上で少女の思うままに絵の具をのせていきます。ペインティングナイフがキャンバスをなぞる音がとても落ち着きました。少女が描く絵はとても純粋で、心のままに描いた絵が多く、少女はたくさんの優しさをキャンバスに創り上げていきました。絵の具だけで遊ぶこともあれば、ステンドガラスのようなものを作って遊んだり、本当に沢山の気持ち良いことを好きなようにできる時間でした。
そして、少女は大胆になります。
子豚で生きていたくないから、子豚のような感覚が無くなってしまうまま生きていたくないから、少女の主張が強くなり、もっと様々な色を目に焼き付けたいと思い、少女は口を開いたのです。
新しいお父さんとやらにされている行為、少女を殺していく行為すべてを、第三者に発言したのです。
これは子豚にとっても少女にとってもとても大きな出来事になりました。
良くも悪くも、大きすぎる少女の主張になったのです。