『人生論ノート』メモ
毎年恒例、本棚を整理して、ミイラ取りがミイラになるやつ。
散文的だが、胸にしまっておきたい言葉がありました。
『人生論ノート』は著作権切れなので、こちらで読めます。
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・世間には「夢のようなことばかり言っていないで」と諭す人もいますが、夢は人生を拓く原動力です。理想には現実を変える力があります。
・成功は「直線的な向上」として考えられるが、幸福には「本来、進歩と言うものはない」。また、幸福が「各人のもの、人格的な、性質的なもの」であるのに対し、成功は「一般的なもの、量的に考えられるもの」であり、純粋な幸福は「各人においてオリジナルのもの」だが、近代の成功主義者は「型としては明瞭であるが個性ではない」。
・幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に満ちているのではあるまいか。(三木)
・ひとは何よりも多く虚栄心から模倣し、流行に身を委せる。流行はアノニムなものである。それだから名誉心をもっている人間が最も嫌うのは流行の模倣である。名誉心というのはすべてアノニムなものに対する戦いである。(三木)
・ひとは軽蔑されたと感じたとき最もよく怒る。だから自信のある者はあまり怒らない。彼の名誉心は彼の怒が短気であることを防ぐであろう。本当に自信のあるものは静かで、しかも威厳を具えている。(三木)
・自己は虚無の中の一つの点である。この点は限りなく縮小されることができる。しかしそれはどんなに小さくなっても、自己がその中に浮き上っている虚無と一つのものではない。生命は虚無でなく、虚無はむしろ人間の条件である。(三木)
・近代民主主義は、価値のある多神論から無神論へ--つまり虚無主義(内面的なアナーキー)へと堕す危険があり、それを最も深く理解していたのがニーチェだと三木はいいます。虚無主義、内面的アナーキーは、独裁政治を生む悪しき土壌です。
・孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。(三木)
・我々が孤独を超えることができるのはその呼びかけに応える自己の表現活動においてのほかない。(三木)
・習慣的な行為・思考から脱却すること、到達点ではなく過程を大切にすること。三木が言いたかったのは、この2つが人生においても重要だということです。
・三木清は、自然における我々の存在は「中間者」であるといい、自然における人間は、「無限に比しては虚無であり、虚無も比しては全体である、それは無と全との間の中間者である」というパスカルの言葉を引いています。
・人の期待に合わせている限り、孤独にはならないでしょう。自分の考えを抑えていいたいことをいわなければ人との結びつきは絶たれることはありませんが、そのような人との結びつきは真の結びつきとはいえません。