育児で他者の目を意識する
育児とは、出産してから切れ目なく継続し、それぞれの年齢の母としては常に初心者であるものの、やり直しができるわけではなく、不可逆である。
その時々で、乳児健診時の保健師さんや保育園の先生や学校の先生に、育児や発達の相談ができても、継続して見れるのは親しかいない。
そういう責任のもと、親として育児を担っている。
1番身近で見ているのだから自信を持っていればいいという思いと、とはいえ育児のプロじゃないしと自信をなくす思いと、日々ブレながら悩みながら。
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親や義理の家族や親戚や、ママ友の前で、
なんとなく「育児の見られ方」を意識している自分に自己嫌悪に陥っている。
普段の自分だったらそこまで注意せずに放っておいているところを、なんとなく視線を感じて注意してしまう。
例えば、食事の好き嫌い。
私は自分がそこそこ好き嫌いがあるため、我が子といえども食べるように言うのは傲慢のように思えて苦手だ。
「食べた方がいいよ」というなんともマイルドな言い方をしてしまう。
なのに、他者と一緒にいる時は、義理の母の視線や、ママ友の視線を勝手に感じ取って、普段と違う振る舞いをしてしまう。
怒るべきか、怒りすぎはよくないのか、ブレブレだ。
で、冒頭の話に戻ると、
他者が見ているシーンはスポットなだけで、継続して続く日常を見れているわけではない。
今後もそういうシーンに遭遇することはあるだろう。
本人に学校の支度を任せると、最初は失敗するので、一時的に忘れ物が多くなり、担任の先生の生活評価は悪くなるかもしれない。
でもそれを乗り越えないといつまで経っても自立して準備できるようにはならないし、失敗経験も積めないんだ。
その年の担任の先生の評価は悪くても、親の私は数年越しの成長を知っている。
それはきっと育児だけでなく、自分にも言えることで、私の今のパフォーマンスは他者と相対評価されるけれど、過去の私からの成長は私が1番よく知っているし、私の人生の幸せは他者に判断されるものではない。
最低限を線引きしたうえ、人の目を意識せずに人生を歩んでいきたい。
今の私にはまだ少し難易度が高いものではあるけれど。