競争のある世界で競争を意識せず生きる
学生時代から社会人に至るまで、組織は往々にして相対評価だ。
同じ学年、同じ学校、同期、同じ役職、など同列なものは特に顕著だ。
※そしてそこに、プライベートの指標が加わり、更にややこしいことに。
産休育休を取り、横並びの世界からイチ抜けしたつもりだった。
とはいえ、競争意識の高い人と話すと自然と意識が引っ張られる。
あの人と比べて、私はこれもこれもできてないと自分を卑下する感情が沸く。
いつだって隣の芝は青いものなのに。
木下さんのVoicyを聞いて、霧が晴れたような気持ちになった。
DieWithZero で言われていたように、人は金も地位も名誉ももって死ねないし、死んだらそこでおしまいだ。
私の、親友だった同僚は、他界するギリギリまで仕事をし、他者を気にかけ支援していた。
だけど、数年経った今、彼女の話が話題に挙がることはほとんどない。
どんなに素晴らしい人だって、死んだらそこでおしまいなんだ。
放送のコメント欄で、給与は下がったが、給与以外の報酬を得たという方がいた。
自分の人生の報酬はなんだ。
そしてそれを得るためには何が必要なのか。
そう考えると、自ずとやることが見えてくる気がする。
そしてそれは少なくとも会社で出世するとか、そういう類では全くないのだ。
放送にて気付きがあったコメントは、他者との競争だけでなく、過去の自分との競争も不毛ということ。
今まで、なんとなく、過去の自分よりブラッシュアップできてないとマズイように思えていた。
もちろん経験の蓄積はある。
だが、そもそも年齢が異なり体力などの手持ちリソースが異なる以上、今よりプラスプラスという雪だるま方式は現実的ではないはずだ。
どちらかというと、シフトチェンジが必要なのではないか。
それも含めて、自分には一本道と梯子しかない気がしていたけれど、踊り場があってもいいし、スロープのように緩やかに移動したり、山ではなく川にチャレンジするというように、自分が輝く場を変えてもいい。
よし、明日も美味しいもの食べてよく寝よう。
積読の読書を明日こそ。
そして余白を意識的に作って、考えていこう。今とこの先の未来を。