著名人の訃報に触れ
今年に入って、相次いで(と言っていいかわからないが)訃報に触れている。
西田敏行さん。
そのお人柄と、長瀬智也さん主演のドラマ「俺の家の話」が大好きだった。
ご冥福をお祈りします。
少し前に母校の同窓会誌が送られてきて、何の気なしに捲っていたら、最後のページの訃報に同級生の名前があった。
彼女の在りし日の姿がフラッシュバックする。
死期は突然なもので予期することは難しく(大病を患ったり余命宣告されない限り)、人生がいつ終わるかわからない。
学生時代お世話になった教授や、産後に助けられたシルバー人材センターのヘルパーさん、年賀状でやり取りしているが、ご健在だろうかとふと不安に駆られる。
自分ももういい歳のはずなのに、両親が他界した後の人生が想像できない。
無条件で愛情を注いでくれて気に掛けてくれる人を失う喪失感と孤独感。あぁ、私はこんなにも血縁にしがみつくほど、自分に自信がないんだろうなと。
友人関係はどこまで頼ってよいのだろうか。
自立して1人でも平気で立ってないと人様に迷惑をかけると、本当は弱い自分に鎧を纏う。
期待して裏切られて失望するのが怖いんだ。
だから期待せずに強がりの自分でいる。
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今、自分は仕事で人に頼られ、家庭で幼い子供に頼られ、それをやりがいという名の生きる意味としているところがある。
仕事からも育児からも卒業した後の世界。
今当たり前のようにある日常も「当たり前じゃねぇからな!」と私の中の加藤浩次が吠える。
永遠と続くようにと願いつつ、時間が刻一刻と過ぎる以上それは叶わぬ願いだから、
せめて、今を大事に、そして半径数メートルの自分に関わる大切な人との関係性を大事に、
そして、ばあちゃんになっても生きられるとしたらその頃の生き甲斐を見つけられるように今から考えよう。なんとなくでも。
10 代の頃も 20 代の頃も今の自分を想像できていなかった。だから今から定年後を想像せよといってもナンセンスな話で、きっとその時はその時で楽しく過ごしてるよと、思いたい。