コントロール可能という幻
「OK Google」が流行っていますね。
それを使いこなす子どもたちの様子がツイッターのタイムラインで流れてくると、頼もしいなぁと思う。
私が小さかった頃、家にあったテレビにはまだリモコンというものがなく、チャンネルを変えるのも音量を変えるのも、テレビのところに行ってボタンを押していた。
(あ、音量調節についてはダイアルだった気がする。)
洗濯機も二槽式というやつで、洗濯と脱水で入れる場所が違ったんですよ。
母が洗濯完了音とともに、洗濯機の中身を脱水槽に入れ替える後ろ姿は今でも思い出せる。
あれは新潟の社宅アパートだ。
と、今日は昔懐かし話をしたいわけではなく。
昔は人間の労力をかけてやっていたことが、
今や、
テレビのリモコンがあるために座りながらチャンネルと音量が変えられる。
洗濯機のスイッチを入れたら脱水までして呼んでくれる。
これが数年後には、
「OK Google」的な指示で全て完結できるようになる。
さらに、今よりもっと細かい調節ができるようになって、ますます人間は動かなくて良くなる。
人間がたやすくコントロールできるものが増えて、人間の生活が便利になるのは素晴らしい。作ってくれた人ありがとう。最高だぜ!
でも、人間がコントロールできるものって、“人間がコントロールできるように、人間が作ったもの”だけなんだよね。
だから、
天気とか、
植物とか、
生き物とか、
他人とか、
つまりは自分の子供とか、
そして自分自身とかってものは、
そもそも人間がコントロールできるものじゃない。それを忘れてしまうことがよくあります。
とくに、「自分自身」については、「自己管理」とか「感情のコントロール」とか言われるから厄介ですね。
確かに「自分自身」については、気持ちの持ちようで誤魔化すことができる範囲ってありますね。
でも、誤魔化しているだけでコントロールできているのか?…そもそも人間をコントロールした状態とはどんな状態か…
悶々。ボンっ(思考停止音)
まあ、人間がコントロールできるという幻から抜け出せば、
私なんて私自身もコントロールできないくらい非力という自覚があれば、
物事に対して謙虚な好奇心が湧いて、より真理に近づけそうだなと思った今日の話。
風の向くまま 気の向くまま。
人間は非力だよ。
を、知っているという人生。