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卵アレルギーについて
私は卵アレルギーを持っている。
生まれつきのもので、未だ完治はしていない。
食物アレルギーは古代ローマ時代から記録はあるものの、臨床的に認識されたのは20世紀も半ば。
まだまだ解明されていない部分も多い、なんとも不利益な症状である。
現在は発症人数が多く確認されてきていることもあり、”アレルギー” と言えば大方通じる世の中にはなってきている。
しかしながら当然、アレルギーがある人とそうでない人がいるわけで、"ある側"として、それなりに生きるために考えてきたことが少しだけある。
ここでは私の食物アレルギー遍歴を思い起こし、
どのように生活しているかを書き出す。
同じく食物アレルギーを持っている人、
食物アレルギーを持つお子さんがいる人、
食物アレルギーについて知りたい人、
食物アレルギーの研究者などに、
ちらっと読んでもらえればこの文章は救われる。
はじめに
最初に述べた通り、私は卵アレルギーを持っている。
日本医学臨床検査研究所のアレルギー検査結果に基づいて正確に言えば、
19歳7か月時点で
・卵白
・オボムコイド
の反応測定値が基準値を上回っていた。
症状
まず大きな症状として、摂取から約1~2時間後に吐き戻す。
ある程度大きくなるまでは、食べてしまって、吐き気を感じて、喋らなくなって、全部カパァっと戻して、すっきり元気になる、
というのが一連の流れだった。
最近は、食べてから数分で「あ、これはミスった」と思う。
舌や口の中、特に喉の奥から耳にかけてかゆみに似た違和感を覚える。
(こういう時、大体冷たい水を飲んで誤魔化そうと頑張る。)
その後、不快な唾の供給が止まらなくなる。
元気な時のように無意識に飲み込んだりする処理ができなくなる。
(冷たい水で誤魔化す。スッキリするジュースを飲むことも有効だった。)
しばらくすると食道から胃にかけて変に動かしたらまずい、という感覚になり、単にトイレに行きたいのか?胃もたれか?
いや間違いなく"許容量"を超えたな、となる。
ここ数年は吐き戻すことは少なく、
「気持ち悪い!!!」と思いながらも無理やり寝付くことができれば、なんとかやり過ごせる。
"許容量"とは、自分が一度に食べられる卵成分の量で、明文化は難しいが、とにかく生活に支障の出ない摂取量である。
思いっきり卵の料理を食べることは今でもしないので、中に含まれている卵の、食べられる量という定義にしている。
幸いアナフィラキシーショックを起こしたことはなく、蕁麻疹が出ることもない。
最悪ひとりで黙って吐き戻してしまえば、大事にせずに済むという現状である。
遍歴
発覚と治療
卵アレルギーが発覚したのは、母曰く1歳半頃。
祖母が、「小さい子も食べられるだろう」と、
私に茶碗蒸しを食べさせたところ吐き戻したため病院に行き、卵アレルギーの診断が下りたそうだ。
父が、異なる食物のアレルギーを持っているので、納得はできるよね。
そこから、食べさせるものに気を付ける必要のあった母の大変さは察する。
卵なんて、そこらかしこの加工食品に重宝されている唯一無二の食物。
見えないのに成分は確実に存在している。
お腹を空かせてぐずっても、うかつに適当なパンを与えることもできない。
家庭はもっぱら米食となり、卵不使用の商品にやたら詳しくなる。
私が物心ついた頃に食べていたパンと言えば、
・超熟ロール
・カニパン
・コアラパン
(コアラパン、今はなかなか見かけない…)
Pasco-超熟ロール
https://www.pasconet.co.jp/products/29/index.html
三立製菓-かにぱん
https://www.sanritsuseika.co.jp/products/%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%B1%E3%82%93/
無印良品-コアラパン
https://www.muji.com/public/media/jp/doc/item/13_4550583274368_00001.pdf
そんな感じで幼少期は、多分家の冷蔵庫にすら卵はない状態であった。
少しでもましになれば、と思った母は、私を漢方内科で診てもらうことにする。確か4歳の時である。
ここの先生は本当に素敵な方で(通院していない今も気にかけてくれる)、私を連れてきた母に、アレルギー検査をしないことを勧めたそうだ。
症状はあるんだからわざわざはっきりさせる必要はない、と。
私は訳も分かっていないわけで、
とりあえず、飲むよう言われた漢方薬を服用することになる。
(うろ覚えだが、小学校にあがったタイミングで処方されなくなった。)
最初はその苦さに驚いたが、徐々に癖になって進んで飲むようになる。
(未だに風邪をひいたらとりあえず葛根湯。)
先生は母に、私が食べたいなら食べさせていいと言った。
今考えれば、食物経口免疫療法に近しいものである。
この時、先生も母も、卵成分が含まれるものを食べさせれば、勿論ある程度症状が出ることは覚悟していただろう。
しかし前述した通り、遺伝的に考えても完治しない可能性を見据えて、何を食べてもいいか、何を食べたら危ないのかを感知する”センサー”を養うという方向で治療方針を固めたのだと思う。
この”センサー”、
非科学的な私の直感としか言えないが、実はとんでもなく役に立っていて、今はこれで食の社会生活を送っていると言っても過言ではない。
それからというもの私は、
”自分が食べられると思ったら食べてみる”ことになった。
恐らくはじめは、パン一切れとかから食べてみたんではないだろうか。
とにかく色々食べまくって、時々失敗して、
しかし6歳の頃には、パサパサになるまで焼いた目玉焼きの黄身を2,3口は食べられるようになる。
除去食(幼稚園-小学校)
述べた治療は、必ず家庭で、家にいる時に行っていた。
幼稚園、学校の給食ではどうしていたか。
アレルギー児用に作られる除去食にお世話になっていた。
4歳から幼稚園に通い始めたが、一年目はまさかの一人だけ毎日お弁当。
母が園に相談した際、
「何かあっては困りますから!!!」
という園の先生の激押しによって、受け取った給食メニュー表に合わせ、同じく受け取った、給食と同じケースにお弁当を毎日詰めていたのである。
(自分が親なら絶対無理。)
母はそんな一年を経て、翌年から除去食を申し込むことにする。
卵を使用したメニューだけ代替品が入っていた。他はみんなと一緒である。
(除去食あるなら、最初から提案してくれよ、先生。)
除去食を利用していたのは、同じクラスにもう一人だけだった。
除去食仲間のりんなちゃん(仮)は背の高い子だった。
白い紙が付いた(多分”除去食”と書かれていた)お弁当ケースを受け取り、少し恥ずかしい気持ちでいる私をよそに、りんなちゃんは堂々とそれを受け取って食べていた。
ちょっと違うおかずもあるけど、
「普通にみんなと一緒に、”給食”を食べていいんだ!」
と思った記憶がある。
ただ卵アレルギー関係なく、食べるスピードが遅かった私。
「卵入ってないでしょ!?なんでそんな時間かかるの!?」
と担任によく怒られていて、それはあまり楽しい記憶ではない。
(しかもこの担任、前年に母にお弁当を勧めた本人。なんじゃこの担任。)
小学校も低学年の時は、除去食を申し込んでいた。
校内で給食を作っている学校だったのが幸運だった。
卵料理が出る日は、そのメニューだけ卵が入っていない私の分が別皿に配膳された状態で、温かいまま教室に届けられた。
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お饅頭バースデーケーキ
通常給食(小学校-中学校)
高学年になると、
「自分が食べられるものと食べられないものは判断しておいで。」という母の方針のもと、除去食の申し込みを辞める。
例えば卵とじスープが出れば「それはいらない」といい、「他のものをちょっとだけ多めにちょうだい?」と交渉するようになった。
次第に、量を減らして卵料理も食べるようになり、ちゃんぽんに入っていたうずらの卵は一つ食べてみる、など今考えると怖いもの知らずな試し方もしていた。
そのスタイルは、中学校の給食まで続いた。
一回だけ学校で失敗したことがある。
小学校3年生の冬、
なぜか給食に、業務用(?)のハーゲンダッツが出された。
みんなでまさかのアイスクリームに喜び、
私は「アイスなら大丈夫だろう」と何も考えずに食べた。
しかし昼休み後の授業が始まる直前、
「ああ、これだめなやつだ」と悟り、見事に全戻しする。
同級生の人混みからぱっと離れ、手の中に戻して、いつも通りの処理。
気づいて介助しようとした先生が驚いていたのを覚えている。
今、先生と同じ歳になってみて、クラスで一番小柄で、誰よりも幼く見える児童が、自らの体調不良に何も動揺していないのは、おかしいと思うに違いない。
しかしながらあの頃は、今よりも吐き慣れていた。
アレルギー児にはありがちなことなのだろう。
ただ、「どうしてみんなと同じように美味しく食べられないんだろう」と、はっきり思った日だと記憶している。
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父はこの特注で近所のケーキ屋さん顔パスに。
高校生
高校に上がって、新たな問題に直面する。
高校生になると大方みんなするようになる、買い食いである。
「クレープ食べに行こう~」
「ドーナツみんなで買わない?」
「食堂のチュロス今日80円だって~」
そんな言葉が避けられなくなってくる。
家で色々試してきたとはいえ、買い食いするものは未知のものが多い。
しかも、体調を調整する自由の利かない、外で食べるのである。
逃げ場はなく、その場の雰囲気のためにも楽しく食べなくてはならない。
逃げていては楽しめないし、解決しない。
そこで私が気を付けた点は、本当に簡単で2つ。
一番食べられそうだと思うものを選ぶこと。
量は減らしてゆっくり食べること。
例えば、ミスタードーナツに行くとする。
友だちはエンゼルクリームとココナツチョコレートを選んだ。
私は悩んだ末、ポンデリング一個にする。
加えて、保険に水を付けてもらう。
食べる時は1ポンずつ(ポンデリングの”玉”をポンと呼んでいる)、試しながら食べる。
もし無理そうなら友だちにあげよう。
そのためにも、自然にあげられるキャラで普段から振舞う。
こんな感じで高校生の買い食い文化に適応していった。
そのおかげで食べられると分かったものは格段増え、許容量もより明確になり、ちょっと肥えた。
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友だちと食べた31アイスケーキ
大学生
環境が変わると、やはり新たな問題が発現する。
大学生は、
”ご飯に行く” ”呑みに行く”
ということが遊びに行くことの大半を指すようで(違っていたらごめん)、様々な飲食店に行く機会が増えた。
”3回の食事でなんとやら~~~”という定説もあるほどで、少し大人になると外食の重要度も増してきたのである。
そこで問題になったのが、
どんなお店に行くかで食べられるものの幅が全然違うこと。
極端な話、
ポムの樹なんて連れて行かれたが最後、何も食べられないのである。
(ポムの樹が悪いと言っているわけではないです。あのかわいらしい外観はとっても好き♡)
最近は視覚的にも楽しい卵料理が世の中を席巻していて、確かにそれは黄色くて可愛らしい。
私が考えた対処法がまた2パターンある。
1つ目は、
自らが楽しめそうなお店を選ぶ側に素早く回る。
インターネットで自分が食べられそうなお店を探し、メニューが載っていればざっと確認。
自分から相手に提案すれば、わざわざアレルギーに関して伝えずとも、私も含めみんなで手放しに食事を楽しめる。
2つ目は1つ目が実行できない場合に発揮される。
大抵食事の約束が出来上がると、
「お店選んで送るね!苦手なものある?」みたいなメッセージが来る。
「お店選ぶね!」と言った内容だけの時もあるが、そのような時、私は
「ありがとう!オムライス専門店以外でお願い!笑」と返すのである。
そうすると大抵相手は
「え?なにそれ笑笑」
「そのリクエストは初めてだわ笑」
みたいな返事をして来る。
詳しく聞かれれば、明るく卵アレルギーである旨を伝えればいいし、別に伝えなくてもいいパターンもある。
先に「卵がアレルギーなんだ…」と深刻に話し出すと、「気を遣ってください」という圧として捉えられかねないし、なんとも微妙な空気になってしまう。
そのためワンクッションとしての手段に、私はこの戦法を使っている。
多分このやり方は賛否あるが、私のキャラ的には恐らくこれが最適。
それもこれも、多少の含有量なら、食べられるようになったことが功を奏している。
賄いと差し入れ
色々と避けて逃げて誤魔化してきたが、
アレルギーで色々と制限されるのは少し腹立たしい。
私は一つの挑戦として、飲食店でアルバイトを始める。
アルバイト先の店長や先輩、仲間はとても優しく、食物アレルギーがある先輩もいたので、卵が食べられないと伝えることは、予想していたよりも容易だった。
大方は卵を含まない賄いを作ってもらうことができた。
(ここの賄いでまた肥える。)
一度だけ、賄いに含まれていたイクラを少量食べてしまった時は、
帰り道で戻した。あれは失敗したな。
問題は、
個人飲食店ならではの、お客さんからの差し入れである。
一見さんはもちろんだが、常連さんも多く来店される勤め先だった。
「スタッフのみんなで食べて!!」と色々持って来てくれるいい人ばかり。その善意は、まかないに付け加えられるデザートになっていた。
何が差し入れされるのか。
ケーキ。
タルト。
シュークリーム。
どら焼き。
間違いなく美味しいスイーツたち。
予想は付く。
世の中のスイーツは、美味しいものほど卵がたっぷり入っている。
(個人の見解です。)
このようにいただく差し入れは、
カウンター席に座る常連さんの前で、美味しそうに食べることが流儀。
他のスタッフが食べていても、
「アレルギーで食べられないんです。」と言って避けることはできるし、自分の身を守るためには、多分それが正解。
しかし一度そう言えば、そのお客さんは、
「あの店、スタッフがなんか食べられないって言ってたな…」と記憶する。
(大抵、他人が何を食べられないかなんて、厳密に覚えていない。)
すると、そのお客さんは
「じゃあ、差し入れ持っていくのやめとくかぁ。」
と考えてしまうのではないか!!!
折角持って来てくれるのに、他のスタッフは食べたいのに、私のせいでめんどくせえことにしたくないぞ…。
そのような思考に至った私は、
「これはちゃんと食べるとやばそうだな…。」というスイーツに対して、次のような対応を考えた。
1. 一口は美味しそうにちゃんと食べる。
2. 美味しいこととお礼をちゃんと伝える。
3. 水かお茶をしっかり飲む。
4. 一口食べた後、それ以降食べていなくても不自然ではないぐらい、めちゃくちゃ働く。
5. お客さんが帰る。
6. 他スタッフに食べてもらうか、処分。
もしこれを読んでいる人が同じアレルギー持ちであるのなら、この方法を実行することを、断じておすすめしない。
その一口で許容量を超えたら、一発アウトになるからである。
(差し入れたものを食べないより、食べて吐かれる方が良くないよね。)
正しい方法であったかはさておき、
とりあえず私は4年間のアルバイトをこれで乗り切り、同時に、気持ちを受け取ることは大事だなぁと学ぶ。
たらればの話だが、もし食べない選択をしていたのなら、常連さんとあれほど話し込んだり、お世話になったりすることは、私の力量ではできなかったのではないかと思う。
ここまで長々と書いてしまったが、
20数年間、ギリギリを攻めて、何とか生き延びてきた次第である。
思索
自分へ考えること
物心がついた時から、卵を食べられなかったので、特段悲観することはなかった。
しかしやはり、何も気にせずに食べられる友だちやほかきょうだいを羨ましく思うことはあった。
美味しそうだと思う気持ちと、これは食べられないと感じる勘が、自分の中でせめぎ合って、考え込むことは常だった。
逆に、アレルギー物質を少しでも摂取すれば重篤な症状が出る人がいる、ということも知っていた。
それに比べてしまうと、少しずつ許容量を増やすことができた私はまだ、”生きやすい”のだろうと納得させてきた部分もある。
総じて、卵の摂取を容認した主治医の先生と母親の判断には感謝する。
アレルギーとどう生きていくかを考えた上の判断だったのだろう。
アレルギー物質を摂取して、亡くなる子どももいる。
保護者が気を付けなければならない時期もあれど、アレルギーと付き合っていくには、自分で判断することが必須だ。
少量でも食べられないなら、食べないと判断するように教える。
食べられる可能性があり、意思があるなら、程度の判断を覚えさせる。
むやみに箱入りにして、現実を伝えず、守り切ることもできないことが一番の悲劇ではないかと思う。
無論、自らの方法が最適解であったとは思わない。
一歩間違えれば危なかっただろうし、性格故にやりすぎた場面もあった。
ただ、
選んできたことが正解だと捉えるしかないし、
生きているだけでとりあえず大勝利としないか?と口角を上げておく。
周りへ考えること
非常によく言われたこと、未だに言われることは
「かわいそうだね」
「大変だね」
という言葉。
否定はしない。その通りだ。
そりゃ、アレルギーなんてないに越したことはない。
一瞬でも想像してくれてありがとうという気持ち
言わなくてもいいんだよ、という気持ちの共存。
無反応よりは優しいと思っていることは本心だ。
タイミーを使って行ったアルバイト先で、賄いをいただいたことがある。
様々なお肉料理を扱うお店で、
「苦手なものある?」と聞いてくれた優しい店員さんがいた。
「卵料理がだめなんです。」
アレルギーがあること、つなぎ程度なら問題ないこと、いつも通り伝えた。
その店員さんは、
・ハンバーグは食べられるのか
・カツは食べられるのか
・ポテサラは食べられるのか
様々なメニューに関して問うてくれた。
私は嬉しく思いながら、
・ハンバーグ程度の熱の通し方だと危ういことがある
・カツのように高温で揚げていると大丈夫
・ポテサラは少量なら問題ない
と一つずつ答えると、その店員さんはボソッと、
「んん、難しい子だなぁ。」と呟いた。
素直に、「そうだよな。」と思った。
中途半端に食べられたら、他人が判断することはできない。
自分自身でも難しいのだ、別の誰かが完全に把握できるわけない。
しかし、
こう言われたことを鮮明に覚えているくらいにはいい気はしなかったし、”大変”という自認識とは別に、”難しい”と思われる他認識があることを突き付けられた。
思う選択肢は自由だ、故に言葉に出す選択肢もある。
まだまだ可能性のある子どもには、できれば言ってあげて欲しくない。
最後に一つ
慰め程度にしかならないかもしれないが、大事にしている考え方がある。
”食べ物の美味しさを、私はよく知っている” ということ。
卵が含まれていない食べ物の美味しさも、
卵入りの食べ物を食べられた時の美味しさも、
アレルギーがある私だったから、知ったことである。
時々、「○○が食べられないなんて、人生3割くらい損してる!」と、アレルギー持ちに言い放つバケモノもいる。
そんな奴には、
アンタなんかより私の人生は豊かだし、
ゴキブリでも喉に詰まらせてくたばっちまえ!と吐き捨てたい。
そんな明るい気持ちである。
一部画像はChatGPTにて作成しました。