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『脱企業経営者のもやもや日記』4.創業会長に辞表を提出
4.創業会長に辞表を提出
1月15日(土)仕事に対する気持ちの変化
取締役は委任契約であり、相互解除の自由が原則となっている。それは、解任・辞任がいつでもできるということ。任期途中の辞任は不本意ではあるものの、10年を超えてこの会社にお世話になり、これ以上、体調不調を理由に迷惑をかけられない。しかし、それは表向きであって内心のどこかで、もう潮時だと最近は感じていたように思う。特別不満があった訳ではない、それでも社長の仕事がマンネリ化していたように思う。もっと言えばアドレナリンが沸き立つような挑戦から離れたところで安住していることに嫌気がさしていたのかも知れない。まさに潮時、この病気をポジティブに捉えるとしたら、仕事のシフトチェンジをする良い機会が訪れたということだろう。
朝7時、能勢の別宅で目覚めた。外気温は0度、きりりとした冷え込みの中でも、薪ストーブを焚いて厚着でウッドデッキに出てると心地良い。妻が朝食を作ってくれたので一緒にデッキで食べた。こんな暮らしが愛おしく感じるようになれたことも病気のお陰かもしれない。
都心マンションの朝はこうはいかない。無機質な空間で否が応でも仕事のことが気になり、新聞を読んだりビジネス書を手にしたり、とても潤いのある時間にはならない。だからこそ、それなりに責任のある仕事に就くことができたし、家族を経済的に支えることもできた。それも今となっては子供が自立して意義を失った。
ライフステージを変化させる時を迎えている、そう感じるようになった。病気がなければ気づくことなく、ズルズルと仕事を続けて60代を迎えていたのだろう。
1月16日(日)長期入院に向けた準備
8時頃までゆっくり寝てから起き出して、朝食をとり、やりかけで放置していた庭の排水路を整えて完成させた。これから1か月以上は手術やリハビリで来ることができないだろう。DIYの後片付けや庭の手入れ、冷蔵庫内の整理をして江坂のマンションに向かった。夕食に行きつけの焼き鳥に向かったら、コロナ禍のため休業していた。退院後の楽しみがひとつ増えたと自分に言い聞かせた。
1月17日(月)取締役の辞表提出
江坂のベッドで起きて、阪神大震災の追悼番組を見ながら黙とうした。今日は妻の運転で会社に出勤した。朝の幹部会を終えて会長の部屋の扉をノックした。
長期間休んだ謝罪と病状を説明し、最後に体調不良による辞意を伝えた。普段は厳しい会長から思いがけず優しい言葉を頂いた。まずは治療に専念して、その後の体調次第で考えれば良い。辞表は会長預かりとなり即日の辞任はなくなった。逆に辞意をこちらから示さなかったら、即日の辞任を迫られたかも知れない。
ただ処遇が決まらないと後任の取締役選定の手続きが進まないため、辞任することを前提に対応するよう、管理本部長に伝えた。これで3月末をめどに代表取締役社長を退任し4月以降、非常勤取締役として任期を終える路線が敷かれた。
前職を含めて会社勤めは21年に及んだ。ようやく雇われ社長という看板を下ろして自らの力で歩んでいくことを決意できた。あとは病気と対峙するのみ。病気は自分で治すことはできない、それゆえ自分のタスクから切り離して考えることができた。アドラー心理学でいうところの課題の分離という感がある。自分の力が及ばないことに右往左往したり、心を取り乱されたりしないよう日頃から切り離す習慣が生きた。
『雇われ社長のもやもや日記』5
『雇われ社長のもやもや日記』1