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なぜ、ライズ学園だったのか? 2
もう1つの理由
1983年から1999年まで、私は英語教師として公立中学校に勤務していました。当時、不登校や LD(Learning Disabilities / Differences)などとされる状態にある子どもたちには、学びの機会はおろか居場所さえないに等しい状態でした。
「ならばいっそのこと、もう1つの場を自分自身で立上げられないかと…」と思ったのが、39歳で退職したおもな理由ですが、理由は他にもありました。
1つは、私自身にも手で文字を書くことに、困難があったことです。当時はもう「ワープロ」が普及していましたが、通信簿の所見などにはずいぶん苦労をしました。書けないこともないのですが、読めるように書くためには人一倍時間がかかります。力が入り過ぎて肩が凝り、自分の字を見ることでさらにストレスが積み重なっていきます。
出席簿も、子どもたちの顔を見ながら記入することはとても難しくて、欠席や遅刻早退だけでも記録しておこうとすると記入欄を間違えてしまいます。書いては消しを繰り返すうちに、用紙を破いてしまったこともありました。
教務主任に…と言われて
そうして30代も後半になったとき、「ぼちぼち教務主任に」と声がかかりました。教務主任になれば、職員室の前面にドンっと据えられた「行事予定黒板」に全職員の出張予定までびっしりと書き込まなければなりません。自分のスケジュール管理すら満足にできない私に、教務主任など務まるはずがありません。
クラス担任を外れて学年主任になってからは、副担任の先生やワープロに助けられ得意を生かせるようになっていた私ですが、
「とても無理です。どうかこのままで置いてください」という私の言葉は、謙遜としか受け取られなかったようです。ひどい肩こりや片頭痛に悩まされていた私は、
「そんなことになれば死んでしまうかもしれません」と学校長に訴えましたが、最後には「ふざけているのか!」と怒りを買う始末でした。
学校は今?
あれから四半世紀が過ぎて、不登校や LD についても理解は広がったように思います。しかし多様な子どもたちを「不登校児童生徒」として一括りにしてしまうような風潮はどうなのでしょうか? 「無理して登校させなくてもいい」という保護者が増えたという人もいますが、いじめなどの人間関係に悩んでいる子もいます。出席簿も DX化 され、「行事予定黒板」などは姿を消しつつあるそうですが、LD と診断されても適切な支援を受けられないままに、または合わない学び方を押しつけられるなどして、自分らしくあることが困難な状態にある子どもたちもいます。
「不登校の要因は無気力」などと聞かされれば、問題は子どもたち自身にあるかのような印象を受けます。実際に、「不登校は甘え。子どもたちには適応指導が必要だ」と思っている人もいるかと思います。
「学校のあり方を見直しませんか?」と言えば、「私たちがやって来たことを否定するのか !?」と責められたことも何度となくありました。しかし本当に「適応指導」を必要としているのは、むしろ公教育制度の方ではないでしょうか?
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今日はライズ学園でも仕事始め。年末に体調を崩していたスタッフも、元気な顔を見せてくれて一安心。素晴らしい仲間に恵まれていることに、改めて感謝しながら新年をスタートすることができました。子どもたちと接する機会は少なくなっている私ですが、これまでに学ばせてもらったことなどを同じ思いをもって活動を続けている全国の皆さんとシェアし、より多くの子どもたちの学びに役立ててもらえるようにしていきたいと思っています。
新年が穏やかで幸せな一年でありますように。
今年も、よろしくお願いいたします。
2025年1月
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