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モノローグでモノクロームな世界

第七部 第二章
二、
 人がはけた後のホールはがらんとして、どこか物寂しさを覚える。
それは、熱気の後故に来る感情なのだろうと、ケイは思った。

だが、それ故に気が付いたこともあった。

ホールの白い壁一面に描かれた絵だ。人がいたため、今まで気が付かなかったが、それはこの空間を取り囲むように四方の壁一面に描かれていた。
 最初の絵は、黒い髪を風に揺らし、どこか遠くを見つめる女性の横顔とその視線の先に、壁に囲まれた小さな世界が描かれている。白い壁にぼんやりと浮かぶ女性の顔を除けば、壁も世界も真っ黒でそこには一切の色という色が無かった。恐らく、白と黒の差はあるものの、この壁の中の小さな世界は、現実のナインヘルツが支配する世界を意味するのだろうと、ケイは思った。
 更に絵は続く。興味を持った彼は、続きの絵を見ようと壁の近くまで歩み寄った。時間の経過を表しているのか、一枚の絵のすぐ横に同じように描かれた絵が続いていく。
 次の絵には、一番最初の絵に出てきた黒い髪の女性が丘の上に立ち、壁に囲まれた小さな世界に向け、息を吹きかけている様子が描かれていた。
白い息はやがて、黒い夜空を輝く無数の星へと変わっていき、小さな世界を一つ、また一つと灯していく。
 三枚目の絵には、灯りが灯された小さな世界の小さな家から、人々が顔を出し、夜空を輝く星を見あげる様子、更にその次は、星々が繋がり、巨大な月へと変わり、月から零れる月光が小さな世界を優しく包みこむ様子が描かれている。
 そして、最後の絵には、淡い光に包まれた人々から、無数の夢が零れ落ち、世界を色とりどりに変えていく様子が描かれていた。

「昔、この世界には沢山の色が当たり前のように溢れていた。」

後ろからかけられたその声にケイは振り返りながら答えた。
「マドカから聞きました。」
「そう、あの子は覚えていてくれたのね、私の話を。
マドカもね、今の貴方と同じようにこの舟に乗っていた時、よくこの壁の絵を眺めていたわ。貴方達は、そんな所もとてもよく似ているのね。
貴方は、マドカの事が好きだったの?」
「・・・・・・正直な所を言えば、よくわからないんです。
僕らが一緒に居たのは、たった一週間です。気持ちを確かめる前に彼女は行ってしまったから。でも、会うことが出来るなら、会いたい。」
「そういうことは、時間の問題ではないわ。
たった一瞬でも、たった一度きりでも、全てを賭けてもいいと思える出会いはあるものよ。その反対も、またしかりだけど。
でも、そうね。何もかもを伝えるのには、一週間は短すぎたかもしれないわね。」
「・・・・・・マドカは何者なんですか?父と何か関係はあったのでしょうか?」
「どうして?」
「彼女のスーツケースから、これが見つかったから。マドカの事を知りたい。でも、それと同じくらい、僕は父の事も知りたい。」
マドカのスーツケースに入っていた父の手帳をリトリの手の平の上に置く。
革製の手帳。壁の中ではモノトーン一色だった父の手帳は、壁の外の僕の目に、本来の革の色を映す。所々擦り切れた傷も、茶色一色でないその色も全てが新鮮であり、また、愛おしかった。
彼女は手の中の物に一瞬驚いたような表情を見せた後で、そっと開き、文字が書かれた頁の上に白い手を這わせた。何度も何度も往復し、まるでそうすることで時間を巻き戻すかのようなその仕草を見つめる。

 その間、流雨もリトリも。
誰も口を開かなかった。
そこに、言葉はなかった。
だが、ここで出会ってから初めて見せる彼女のその表情に。
悲しむような、慈しむようなその表情が、
全てを語っているような気がした。

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