モノローグでモノクロームな世界 第一部 第一章 三
三、
それは僕らが出会って丁度七日目の夜の事だった。
彼女は僕の目前で、教会から飛び降り死んだ。
白い地面に打ち付けられた不自然に歪む体からは、夥しい赤い血が瞬く間に溢れ、白い世界を真っ赤に染め上げていった。
月光に照らされ、白い皮を破り生れ出る赤。
「・・・・・・あ・・・か・・・・・・。」
そうだ、あれが赤だ。
赤、赤、紅、深紅、真紅、赤、RED、Rouge、アカ、朱、赫、あか・・・・・・。あれが色だ。
僕の記憶が僕に告げた。
あれが色だと。
あれが赤という色だと。
それは今まで僕が見てきた光景の中で一番美しかった。
月光の下で露わになったその色は、忘れていた僕を罰するかのように、僕の体内の血液と呼応していく。
こめかみを押さえる指を内側からどくどくと勢いよく押す物の正体。
そうだ。
僕らの中にもあの色が隠されている。それなのに、僕らはそれをいつの頃からか忘れてしまった。
『ママ、世界は真っ白なのに、なんで僕の指は赤いの?』
指先の傷口を染める血の色に、僕は戸惑いながら母に尋ねる。
だって、それまで僕は教えられてきたのだ。
この世界に『色』は存在しない、と。
この世界にあるのは、『白』と『黒』だけだと。
「ケイ、何を言っているの?あなたの指は白い。そうでしょ?アカなんて、そんな物はこの世界には無いの。いい?絶対に人前でそんな事を口走っちゃだめよ。」
「でも・・・・・・。」
「色なんて、無いのよ。」
遠く宙を見つめたまま微笑む母の顔に、僕は何故かそれ以上反論する事が出来なかった。
僕らは色を持ってはいけない。
母があの時、僕に諭したように、この世界は感情を露わにすることを良しとしない。
色も、そして音楽も絵画も詩も小説も。
全てが禁忌とされた。
哀しみも、喜びも、後悔も、快楽も、
全てが禁忌とされた。
誰かを愛することも好きになることも、情熱も、熱情も、憎しみも、懺悔も。
強すぎる感情は僕ら自身を滅ぼす。
僕らはそう幼い頃から教えられてきた。
だから、強すぎる感情に繋がる物も、自らの感情に支配されることも、
愚かで醜い。そう教えられ、育ってきた。
色づく世界は、いけない世界だ。
物心つく頃には、僕らは皆一様にそう考える。
だから、僕は『色』を知らない。
現に今まで見てきた世界は全て白かった。記憶の中の両親の顔も建物も、僕らの国を取り囲む背の高い壁も偽りの空も全て白い。
誰も『色』を見たことは無いし、誰も『色』を知らない。
ただ、どこにでも例外があるように、時々、この世界には知らないはずの『色』を知っている子供がいた。
僕がそうであるように。
強すぎる感情を生まれながらに持つ、下劣な子供。
僕らは常に禁忌の対象として育ってきた。
僕も家族も、僕が普通に暮らしていけるように、何年もかけて暗示のように色を感知しないように、脳や記憶や瞳に無を刷り込んできた。
『色』という感情を記憶を、細胞から排除していく。
西暦から衛生歴へと変わった人々がそうしたように。
僕らは全てが白く見えるように、色を忘れていく。
それは、成功したはずだった。
少なくとも、昨日までの僕は、否、マドカの血を見るまでの僕は、そう信じ込んでいた。
それなのに、今、僕は何年もかけて捨てたはずの『色』に、あろう事か目を奪われている。
あってはならないこの事実に、直ぐに目を離し、記憶から排除するべきだとあらゆるシステムが僕に警鐘をしていた。
だが、結局。
僕は、もうそれから目を離すことができなかった。
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