モノローグでモノクロームな世界
第七部 第三章
一、
「外の調査のやり方を教えてくれたのも、満足に読み書きができない子供たちに言葉を教えてくれたのも、私達が自活できるように外の資源をどうすれば物資に変えられるのかも、教えてくれたのはミハラだった。
神代真飛がこのワームの全てを創った。そう世間では思われているけれど、彼は私達、行き場を失った者達に居場所を与えただけ。勿論、私達は皆、彼のことも大切に思っているわ。たとえ、それがどんな理由からだったとしても、私達には居場所が必要だった。それは事実だから。
そして、私達に意思を与えてくれたのが、副島博士だった。
ミハラは、私達がこの舟に辿り着いた少し後に、突然、私達の前に現れた。
名目は、ナインヘルツの役人として、副島博士、そして神代真飛の行方を調査するため。だけど、ここに初めて現れた時、彼は既にナインヘルツに対して反する意志を持っていた。
勿論、私達だって馬鹿ではない。最初は誰も彼の言う事を信じなかった。あの温厚な副島博士ですらね。でも、神代真飛だけは、彼の事を信じた。」
そこで一息をつくと、リトリは座っていた椅子から立ち上がり、部屋に備え付けられている小さな二段式の本棚から一冊の本を取り出し、ケイへと差し出した。
「これは?」
「中、開いてみて。」
彼女に言われるままに、白い表紙を一枚捲ると、そこには一面びっしりと字が書き連ねられた頁が現れた。
その字に、ケイは見覚えがあった。あの手帳と同じだ。
誰に尋ねるまでもなく、彼にはその字が誰の物であるか、分かった。
父は確かにここに居た。
この部屋で、今のケイと同じように、このベッドに腰かけ、きっとこのノートにペンを走らせたのだろう。
藍色。というのだろうか。どこか懐かしさを感じるその色で形づくられた父の字。その一字、一字を感じ取るように、そっと指を字に這わせる。
ざらざらとした感触。
インクの盛り上がった感触が、指から伝わってきた。
「なんて書いてあるの?」
流雨が彼の手元を覗き込みながら尋ねた。
「・・・・・・11ガツ4ッカ。
初メテワームノホンキョチデアル、母船ニノリコム。
思ッテイタトオリ、私ヲデムカエタノハ行方不明ニナッテイル副島ケイイチロウハカセト神代マトビケンキュウシャダッタ。
彼ラハ私ガミルカギリ、心身トモニケンコウソウダ。
カレラの様子ヲミテ、カクシンシタ。アノデモカラ、ココマデノ一連ノ行動ハ、ハジメカラ全テ計算サレタコトダッタト。」
「読めるのね、漢字。」
「ゆっくりでないと読めないんですが。幼いころ、父と祖父が教えてくれたんです。十月国が生まれるもっと以前から、この土地で続いている言語だと。」
「そう。やっぱり、貴方は彼の息子なのね。」
「貴方も読めますよね、漢字。いえ、貴方だけでない。この舟に乗っている人の多くが、読めるんじゃないんですか?」
「何でそう思ったの?」
「船内の案内や表示が全て漢字だったから。」
「当たりよ。ワームの船に乗っている者達の多くは、漢字が読めるし、ここでのやり取りは、十月国の元の国、日本という国の言語を使っているの。
ナインヘルツの人間でも、日本語や漢字を読むことができる者は、本当に極僅かしか存在しない。だから、この言語は、彼らからしたら暗号なのよ。たとえ、傍受されたとしても、彼らは何を話しているのかわからないでしょ?」
「何でサカイでは使っていないの?ルウ、自分の漢字も分からない。」
「サカイで日本語を使ったら、検閲の恰好の対象になるからよ。まぁ、それでも十月国のサカイでは、日本語を覚えていて自主的に使っている者も少なく無いけれど。
・・・・・・言語の共通化も、ナインヘルツの政策の一つだった。
言葉はね、その国の文化や歴史を映しているの。古来から脈々と受け継ぎ、息をするように、時代を反映させ、成長し続ける言葉を、彼らは嫌がった。
全てを同じようにするために、全てを平等にするためには、これ程、邪魔なものはないから。
日本という国の、十月国へと受け継がれた国の誇りも、自我も、ナインヘルツが言語の共通化を迫り、それが為された瞬間に失った。この国の国名が残っていることの方が、奇跡的だわ。
ナインヘルツがやった事は、人々から色を喪わせたことだけじゃない。
私達は気が付かない内に、沢山の物を失ってきた。
それに気づかない事こそが、一番の私達の罪なのかもしれない。
誰かによって編集され、切り取られた言葉、消えた言葉を取り戻すことは難しい。だから、編集者は何を守り、何を不必要とするのかの判断を誤ってはいけない。
ミハラは、私達に日本語を教えてくれる時、よくそう話していた。
彼は他の失われた言葉も教えたがっていたけれど、彼が知っている言葉は、生憎、日本語だけだったから。
ナインヘルツは、意図的に世界を編集しているのよ。だから、私達は、それに対抗する為に、違う文脈でこの世界を読み解く必要がある。
いいえ、読み解かなければならない。」
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