アラベスクもしくはトロイメライ 16
第三章 七
櫻井 道隆。
一ヶ月前、探偵だ、何でも屋だと名乗っていた男は、一ヶ月後、私たちの前に現国の教師として颯爽と現れた。しかも、極めつけは怪我の為、一週間前から療養中である担任の代理として、私達1Bの副担任に就任した事だ。お陰で、その年最後に行われた期末考査は、過去最悪の出来だった。
「いいじゃないか、それでも全体の十位なんだろ?ほら、見た前、君。こちらは、英語と数学以外、赤点だよ。」
「華唯は勉強しないだけでしょ?やれば出来るんだから、一夜漬けでも何でもいいから、やればいいのに。」
何故か誇らしげに、朱色に彩られた答案用紙を見せびらかす華唯といつもの帰り道を一緒に歩きながら、私たちは試験終わりの偽物の解放感を味わっていた。
あの夜の海岸で話して以来、示し合わせたかのように風花の事も、事件の事も、あの海岸での会話の事も、今も続いているであろう、櫻井先生の調査の事も私達は話題にすることはなかった。だから、華唯の前で風花の話題を振るのは一ヶ月振りとなる。
「こんな風にね、風花と帰っている時に、風花、私に言ったの。」
砂奈ちゃんは、物語を作れる人でしょ?
私、知っているよ。図書室で砂奈ちゃんが、物語を作っていること。誰にも見せるつもりじゃないことも知ってる。でも、お願い。私、砂奈ちゃんから貰った事も誰かに話したりしない。だから、私に言葉を頂戴。私だけの物語が欲しいの。
初夏の日差しが眩しい日の事で、くらくらの頭で、私は風花のその言葉を安請け合いした。
いいよ。
その三文字を返した時の風花は、泣き笑いにも似た表情で私にありがとうと言った。
背の高い立葵の下で、彼女は沢山の色の中に埋もれていた。
今思えば、あの頃の風花は沢山の色の中から、自分の色を探し続けていたのだろう。だから、私の拙い話にも馬鹿みたいな賭けにも、真剣に向き合い続けた。そこに、本当の自分の色を探すために。
私は、自分が作り出した物に、真正面から向き合ってくれる彼女が嬉しくて、ほんの少し眩しくて、故に、付き合っていただけだと言うのに。
嘘でもいい。
そう話した風花の秘密を、私は本当に沢山の嘘で彩っていった。
一つ一つ、無垢な花が開く度に、それを嘘の色で塗り潰していく。
「君は風花の秘密をくだらない嘘で上書きしていったんだ。
あの子はそれをどんな思いで見ていたのだろうね。」
風花に私の秘密、本当は誰よりも死を願っていることを暴かれないように、その為だけに、私は風花の秘密も私の秘密も、気づかない振りをして嘘の話で上書きしていった。
気づけば、私達は悲劇的な主人公となり、天涯孤独となり、ある時は失われた王国の最後の生き残りとなり、またある時は隠された任務を遂行するために、この学園に遣わされた暗殺者となった。私達は、二人でその話を読み、笑いあっていた。だが、ある時を境に私達は、二人で笑いあうことができなくなった。
「本当は知っていたくさに。
風花の本当の秘密を。」
そう、私は知ってしまったのだ。
彼女が私に暴いてほしいといった、その秘密を。
あの時からだ。その後ろめたさや嘘がばれる恐怖から、風花と一緒に笑うことも風花と話をすることも避けていった。
そして、彼女が死ぬその時まで、私は知らない振りをし続けた。
見上げた空は、視界一面を、青一色に染め上げていく。
もしも、私の拙い話の中に、彼女の思い描く色があったならば、風花はそこで満足してくれただろうか。バイバイなんて言いながら、冬の海に飛び込んだりしなかっただろうか。
『私の秘密を嘘で彩って。本当の事が誰にも解らないように。
ただ、それだけが、私の最後の願いだから。』
「華唯、私、風花の秘密を書く。風花が願ったように、嘘の秘密を。誰かが、本当の彼女の秘密を知ってしまう前に。……それだけが、私が風花にしてあげられる事ができる、唯一のことだから。」
そう話す私を華唯は黙って見つめていたかと思うと、やがて、口の端を歪めながら、話始めた。
「ふぅん、砂奈らしいね。風花の事なんて、本当は別に好きでも何でもないくせに、頼まれると断れない。
あはは、あぁ、可笑しい。ねぇ、それって、罪滅ぼしのつもりかなんかな訳?うわ、怒んないでよ。だって、そうでしょ?知らない振りをし続けたのは、風花の秘密を知ったと自分で認めてしまったら、砂奈は自分の秘密を風花に打ち明けなければならなくなる。例え、風花との賭けに勝ったとしても、自分の秘密をあんたは、風花に打ち明ける。フェアじゃないとか、下らない偽善的な理由で。
結局のところ、君は君自身に関する事しか見ていない。それなのに、他人のために一生懸命になろうとする。本当に、両極端だよね、君は。まぁ、いいけど。それが、樋賀砂奈なんだから。
さぁ、ここで、クイズでーす。風花に秘密を与えたのは、一体、だぁーれだ?」
路地にできた隙間にすっぽりと覆われて立つ華唯は、あの夜、海岸で見た華唯のように今まで見てきたどの華唯にも当てはまらない。楽しそうに高尚する彼女を見つめながら、その事に気づいた私の背を、恐怖が這い上がっていく。
「一つ、言っておくわ。
花園風花はね、何も知らなければ、きっと、今も変わらずにただのクラスメイトの一人、だったの。
あーぁ、可哀そうに。
私達に会わなければ、彼女に見つからなければ、この学園に来なければ、あの子は、きっと悩みなんて無く、人生を謳歌する事も出来たのに、ね?」
オレンジ色の強い光が私の目を刺した。
秘密を知るには不釣り合いなのどかな放課後。
それは、いつかの教室の中。
下校時刻が迫る中、忘れものを取りに戻った教室で、私の机に腰かけながら校庭を眺めていた華唯が笑いながら振り返る。
おいでおいでをするその手に握られていた白い一枚の紙。
華唯の白い手が私の手にその紙を握らせる。
『ねぇ、知ってる?花園風花は偽物なの。』
くすくす笑いながら、私の耳元で囁く華唯は、やはり私の知っているどの華唯にも当てはまらなかった。
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