モノクロの写真

モノローグでモノクロームな世界        第一部 第二章 四

四、
 その日、僕は午前中の浄化プログラムを終えると、メトロに乗り込み自宅へと帰っていた。車内に乗り合わせたのは、白銀の杖を電車がごとごと揺れるのに合わせて一定のリズムを刻む老人と僕の二人だけだった。

それもそのはずだ。
平日の昼間ならば、多くの人が家や仕事場で忽忽と自らの仕事をこなし、衛生ポイントを稼いでいるのが普通なのだから。対して僕はと言えば、仕事場にもいかず、こうして地下鉄に揺られている。僕の衛生ポイントはここ数日で確実に目減りしているだろう。
 電車が揺れる度に、僕だけが社会から取り残されていくような錯覚を覚える。そう思ったのは今回が初めてではないけれど。

 僕の両親が死んだのは僕が十歳になった、丁度その日だった。

政府の高官だった父と衛生委員だった母。曲がったことが嫌いで正義感の強い母と、いつも大きな視野で物事を見通していた父。白いロングコートを颯爽と着こなす背の高い父と、白いスーツを着て優しく微笑む母。
そんな両親の姿は、子供の僕にとって自慢の両親だった。
 仕事柄、海外と自国を常に行き交う生活をしていた両親が揃って帰ってくる数か月に一度のその日を、僕は、僕の面倒をずっと見てくれていたお祖父ちゃんと一緒に指折り数えながらいつも待っていた。
 海外に足を運ぶ機会の多かった両親は、家に帰る時には必ず僕に外国のお土産を持って帰ってくれた。
今ではデッドメディアとして闇市でしか手に入らないような本や映画。名も解らぬ楽器。時にはどこから手に入れたのか、生の果物やスパイシーな香りを漂わせる香辛料や甘い甘いお菓子もあった。
 家の中には常に、両親が持ち帰る異国情緒溢れる品々で溢れていた。僕はよく寂しさを紛らわすために、それらで遊んだ。
書物や映画は僕を寂しい現実から解き放ってくれたし、甘いお菓子や香辛料は、僕を遥か遠い異国へと連れて行ってくれた。楽器から溢れる音は、そっと僕を包んでくれた。
 学問として、僕は他国の言語や文化を学んだが、他国の言語や文化と初めて触れ合ったのは、両親が持ち帰ってくれた本屋や映画、その他の品々だった。
 どこから広まったのか、両親が帰国する日は、どこからともなく近所の人々が集まり、ささやかな宴を開きながら、二人が持ち帰った品々を皆で眺めつつ、二人の話に耳を傾ける。そんないつの頃から始まった小さな宴はあの日を最後に、永遠に開催されることはなくなってしまった。

 その一報を聞かされたのは、学校からの帰り道だった。丁度、このメトロに揺られている時のことだ。いつもはメッセージを送るだけで、滅多に通話をしないお祖父ちゃんが、電話越しで取り乱しながら何度も断片の言葉を繰り返すその様子に、僕は子供ながらに事態を理解した。
 両親が乗っていたとみられるポッドが、サリティ国とガルーシャ国の狭間にある死の谷と言われる塩砂漠に頭から突っ込んでいるのが発見されたのは、彼らが消息を絶ってから七日後の事だった。遺品として僕らの手元に戻って来たのは、衛生歴では滅多にお目にかかる事の無い紙が一片と母が好んでつけていた白銀のネックレスだけだった。
「塩砂漠には私達では足を踏み入れることができません。サカイのワームに頼み、どうにか遺留品を回収することができましたが、遺体は劣化が激しいとのことで。本来ですと、遺留品に関しても、壁の外の物はご家族にお戻しすることはできないのですが、これだけはどうしても貴方に渡したほうがいいと思ったので。」
 父の同僚だと言う背の高い若い女性は、そう言いながら、僕の手に紙きれ母のネックレスを置いた。
 紙の束から無理矢理引きちぎったのか、紙きれの端はびりびりに破かれて、所々に塩砂漠の塩だろう、白い塩の結晶がこびりついていた。裏返されていた紙きれをそっと返すと、そこには僕の名前、ミハラケイとそして僕の生年月日がくねくねと激しく上下する筆跡で書かれていた。
「きっと、お父様は最後に貴方の事を思っていたのだと思います。」

 あれから幾月も経ち、僕はとうとう、この世界で独りぼっちになった。
毎日、決まった時刻に起き、毎日決められた仕事を淡々とこなす生活。
白い電車に乗り、灰色の空港で、他国から来た人々を受け入れ、他国へと出て行く人々に手を振り、また白い箱に戻る。その繰り返し。

 後何度、この繰り返しを繰り返せば、僕は解放されるのだろう。
 後何度、この繰り返しを繰り返せば、僕らは許されるのだろう。

この世界に生まれた限り、僕たちの未来は死ぬまで見えている。明日も明後日も、しあさっても、一年後も十年後も同じことの繰り返し。
 だけど、それでよかったんだ。
だって、安心で安全な人生なのだから。決まり切ったレールの上を、大人になるまで、否、死ぬまで疑問に思うこともなく、嫌、たとえ疑問に思ったとしても歩き続ける。
道を違えることも、逆走することも、停まることもこの世界では許されないだから。
誰一人として、例外はありえない。

それなのに。
それなのに、僕は今、今まで生きてきた莫大な量の同じ日常から逸脱しようとしている。たった数日、一緒にいた彼女の為に。
僕の目の前で死んだ彼女の為に。
僕の目の前で死んだ感情の為に。
彼女の最後の願いを叶える、その為だけに。

「なんて愚かなんだろう。」

無人のプラットホームに降り立った僕の背後で、扉が軋んだ音を立てて閉まった。


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