モノローグでモノクロームな世界
第四部 第三章
一、
目覚ましの音で朝早く起きると、部屋に一つだけあるテーブルに向かいあって座り、朝食のトーストを一緒に食べる。
教科書を入れたバッグを肩にかけ、鉄の扉をすり抜けようとする私に対し、見送るように部屋の入口に立つ真飛は、ほっとしたような笑顔で手を振った。
家から出ようとしなかったあの頃の私に対し、彼は何かを言う事はなかったけれど、きっと心配をかけていたのだろう。
だから、騙すようで少し心が痛んだ。
通勤や通学でごった返す駅のコインロッカーに重たいバッグを放りこむと、ノートパソコンとお財布と携帯だけを取り出し、私は通学に使っている路線と真逆の電車へと飛び乗った。つり革にぶら下がり揺られる事、小一時間。
目的の駅に着くと、奇麗に整備された真新しい通路を歩き、視界の先に見えた真っ白な建物の中へと足を踏み入れた。
そこは、私が住む市の隣の市にできたばかりの図書館だった。開館したばかりの平日の図書館には、受験勉強さなかの受験生と思しき数人しか利用者の姿は無い。私は、個人席の一角に腰を落ち着かせると、持ってきたパソコンを起動させた。
始まりに書くという行為を選んだのは、やはりあの青い表紙の本に触発されてなのだろう。紙とペン、今ならばパソコンの一つでもあれば、言葉を思いを、綴る事ができる。書店員になる前から、本屋が好きだったし、人より少しは本を読んできた自負がある。故に言葉に対する恐怖心は少ないはずだ。何より、絵が描けるわけでも、音楽的才能があるわけでも無い私には、他にどうしようもなかった。この心の中で渦巻いている感情を表現する術が。
消去法で取ったその行為に、だが、私は頭を悩ませることになった。
さて、何から書けばいいのだろうか。
何をどうすればいいのか、全くわからないのだ。それが正直な感想だった。
レポートも論文もある程度、こなしてきた。だから、文章を作るという行為に対しては、それほど苦手意識は無かったというのに、同じ書くという行為でも、自分の心の中を、言葉として作品にするという行為は、全くの別物だという事に、始めてから気づくとはなんと浅はかなのだろうか。
結局、白い罫線が入った画面の一行も埋めることができず、書いてはデリートキーを押すという作業だけを何時間も繰り返し続けた。
正解の無いもの、それを全て、無から生み出す。
それがどんなに大変で、それと同時にどんなに尊い行為なのか。世の中に、数多ある創作物と呼ばれるものがそれ故にどんなに尊い物であるのかを、私は今、身を持って体験している。それが無性に嬉しく、また何時しか無性に楽しくなっていた。
一行、一行、一つ、一つ、一音、一語。
言葉を選び、句読点を打つ位置を決め、漢字と平仮名を使いわけていく。
名も形もなかったこの感情を、私自身の手により生み出された登場人物達と一緒に、分かちあう事ができる。
私は、作品の中で彼らと一緒に悩み、苦しみ、笑い、悲しみ、悦び、夢を見た。気づけば、時を絶つのも忘れる程、一心不乱に画面に文字を書き連ね続けていた。
それは、まるで、書く事により、救われるという祈りにも似た行為だっただろう。
早く真飛にこの物語を読んでもらいたい。
何故だか、そう思った。