アラベスクもしくはトロイメライ 6
第二章
『それは世界の終わりを夢見るように単純なこと』
一、
葬儀会場となった教会を出ると、空は今にも雨が降り出しそうな気配に変わっていた。足下のアスファルトを映し取ったかのような空の色は、風花が飛び込んだ真冬の冷たい海を思い起こさせる。
「さーな。」
空を見上げながら物思いに耽る私の名を、舌っ足らずな口調で呼んだのは、ストレートのロングヘアーが印象的な背の高い少女。出てきたばかりの教会の門に背を預け、ファッション雑誌のモデルのように無造作に足を投げ出し、腕を組むその姿は、今し方、同年代の級友と永遠の別れをしてきたとは思えない程、悲壮感や寂寥感が全く感じられない。
志摩 華唯(しま かい)。
学年で、いや、恐らくこの学園内で彼女を知らない人間はいないだろうという程の有名人であると共に、彼女は私の数少ない親友にして幼馴染だ。取り立てて特徴の無い私とは異なり、容姿端麗、学園の理事の娘というオプション付き、その上、中等部時代には、萬年、地区大会で初戦敗退がデフォルトにまでなっていたバスケ部を全国大会で準優勝にまで導いた絶対的エース。その人を惹きつける容姿から、白薔薇の騎士なんて馬鹿馬鹿しい渾名まで拝借する強者だ。誰がつけたのか解らない通り名だが、確かに均整の取れたすらっと伸びた体型と大きな切れ長の瞳に筋の通った鼻梁が特徴的な顔は、我が友人なれど、黙っていれば、私だって美しいと賞賛した事だろう。
黙っていれば。
「一体、何のつもり?」
私の額に、ひんやりと冷たい掌を押し付ける華唯へと視線を移しながら尋ねる。
「親友を亡くした幼馴染を慰めているんじゃないか。」
「余計なお世話。自分で処理できるし、それに……そもそも、風花は親友なんかじゃなかった。友達と呼べるかも怪しいぐらいよ。」
「へぇ、それはまた、君、何とも薄情な。いや、失敬。
だったら、彼女は君の何なのさ。」
「知り合い以上親友未満。」
「アハハハハ。やっぱり、砂奈は砂奈だね。
いや、悪い悪い。馬鹿にしてるんじゃないよ。それに砂奈のその答えは予測できたしね。
だが、君。少なくとも、向こうはそう思ってなかったみたいだよ。」
「どういう意味?」
「一度、花園風花に聞かれたことがあるんだ。砂奈とどういう関係なんだってね。どういう関係も何も、女同士なんだから、最上級でも親友がいい所だろうに。全く、あんたの周りの人間ときたら、男も女も関係なく、あんたに執着しすぎる。その度に、ただの腐れ縁っていうだけで、一々詰問されてちゃ、こっちの身がもたないよ。」
私の額から離した手を無造作にスカートのポケットに突っ込み、前方の制服の群れへと歩き出す華唯の後ろ姿を見つめる。
志摩華唯の最大にして最悪的な特徴。
それは、その口調にある。独特な話し方だけでなく、彼女はその時の気分により、その口調をころころと変化させるのだ。ですます調で丁寧な言葉遣いで話していたかと思うと、次の瞬間には舌っ足らずで甘えたように語尾を伸ばし話だし、かと思えば、次の瞬間にはべらんめぇ調で喰ってかかる。端から見ている分には、一人芝居のようでそれなりに面白いのだが、彼女との会話に慣れていない者からすると、頭がこんがらがるらしい。よって、私の元には、そんな苦情と共に、華唯への伝言の依頼が日々舞い込んでくるという訳だ。
そして、華唯のこの口調が最悪的なのは、彼女自身が意図的にそれを行い、会話の相手が戸惑うのを楽しんでいるからだ。
故に彼女の通り名には続きがある。
『白薔薇の騎士、その棘には気をつけろ。』
「華唯、あんた、私に文句を言うために待ってたの?」
「えー、違うよ、砂奈ちゃん。それって、ちょっと酷くなーい?
でもさぁ、今回のことでよーく解ったでしょ?」
「何が?」
「アハハ。決まってるじゃん。砂奈ちゃんと花園風花は、他の人から見たら、友達、ううん、親友に見えたってこと。だから、誤解を与えるような発言は、気をつけた方がいいよ?
あのね、パパが言ってたの。来週から、始まるんでしょ?
死んだ人間の秘密探し。」
何が面白いのかケタケタ笑いながら話す華唯の言葉に、私はまた天を仰ぎ見る。
花園風花の秘密。
それが何なのか、私は未だ解らないまま。それどころか、彼女が死んだ理由ですら、実際の所、皆目、見当がつかないままだ。
この学園で彼女と出会って、数か月という短い時間かもしれないが、それでも同じ時間を共有する中で、私たちは確かに同じ物を見て、同じ思いを共有していた、筈だった。それとも、あの過去の日々は嘘なのだろうか。
悪趣味な提案をした彼女に対して、私が彼女を避けるようになってからも、風花は私に対して屈託なく笑いかけてきた。それは時々、悪趣味な提案をしてきたのが彼女ではないのではないかと思える程、一点の曇りの無い無邪気な笑顔で、少しだけ私はその笑顔に救われた。それは、とても狡い理由だけれど。そんな日々でも、私は頑なに彼女と言葉を交わすことを避け続けた。
白紙に書かれた文字だけが、あの時の私達の唯一の交流。あの時、風花は私と話したかったのだろうか。私の目の前で、見せつけるかのように、冷たい海へ飛び込んだ彼女。お互いがお互いに宛てた一方通行同士の言葉でも、彼女と解りあえている気になっていた、これは私への罰なのだろうか。
「 」
「え、何?」
小さくつぶやいた私の声に反応した華唯が振り返る。
私は、華唯に首を振って見せる。
何でもない。そう、伝えるために。
それなのに、どうして思い出はいつも忘れた頃にやって来るのだろう。
瞳から勝手に零れ落ちていった涙が、黒いアスファルトの中へ静かに染み込んでいく。
華唯が泣いている私を隠すように、抱き締めた。
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