モノローグでモノクロームな世界
第七部 第二章
三、
「不思議よね。
人間と違って、私には、本来湧き上がるような感情も、
記憶を懐かしむことも、
誰かを失って悲しいと思う事も、
嬉しいも苦しいも、
寂しいも恋しいも、
全て無い筈なのに。
それなのに、今、こうして、
ミハラ、彼の事を思い出すと悲しかったり、懐かしかったりする。」
そう話すリトリの自室は、舟のほぼ真ん中に位置していた。
それは彼女の存在がこのワームという組織の中で、それだけ重要だという事を示しているのだろう。
「ここはね、元々ミハラが滞在をしていた部屋なの。
ミハラが死んだ時、貴方はまだ幼かったでしょう?
ケイ、貴方は、お父様の事をどこまで覚えているのかしら?」
そう尋ねた彼女に対し、ケイは自分が覚えている限りの父の記憶を、父との思い出を話して説明をした。
世界中を飛び回り忙しそうにしていた父。
帰る度に珍しい品々をくれた父。気難しいところはあったが、いつもケイに優しかった父。
「それ、ピアノですか?」
父が滞在していたというこの小さな部屋は、白いベッドと小さな机だけが置かれた簡素な部屋だった。唯一特徴的な物と言えば、奥の小さな机の上に置かれた白と黒の鍵盤がついた楽器だけだ。
「まぁ、知っているの?
ワームの人間でも知らない者の方が多いというのに。」
そう話すとリトリは机の上に載っていた小さなピアノをケイと流雨の前に置いた。
「昔、見た映画に出てきたんです。それで、父に何と言うのかと尋ねました。あの、これ、音は出るんですか?」
「えぇ。本当のピアノよりも少ない鍵盤数だけれど。
壁の外で唯一見つかった楽器だったの。」
「リトリ、音、聞かせて。」
流雨が鍵盤を覗き込みながらリトリにせがむ。
流雨の言葉に、彼女は微笑むと、白い指を白と黒の鍵盤の上にそっと置いた。
そして、小さく息を吸い込むと、指を動かす。
リズミカルに指が鍵盤の上を滑っていく。そこから紡ぎだされていく音色に、暫し息をするのも忘れる程、音に溺れていく。
魔法のように。世界を彩っていくその音色に。
何もない空間に色を描き出すその指先に、耳も心も奪われる。
そっと流雨が耳打ちをする。
「言ったでしょ。リトリはこの世界で生み出すことができる人だって。
だから、大切なの。
この世界で何かを生み出すことができる人は、もう少ないから。」
それは不思議な感覚だった。
彼女が一音、また一音、音を紡ぎだす度に、白い部屋に色が溢れていくような感覚にケイは襲われる。壁に描かれた星の光を繋げるように、リトリは音によって人々に光を与えようとしているのだ。何故だか、ケイにはそう思えてならなかった。
弾き終えたリトリは小さく頭を下げると、まだ惚けている二人に向かって言った。
「ありがとう、聞いてくれて。
二人に言っておきたいの。
壁を壊すのは、『壁の中の人間』でなければいけなかった。
自分達が作った壁を壊せるのは、自分達だけだから。
だから、マドカでもリトリでも駄目だった。
ルウ、ここまで彼を連れてきてくれてありがとう。
私達には、そして真飛にとっても、彼が必要だったの。」
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