モノローグでモノクロームな世界
第八部 第一章
二、
ポッドで壁の外を飛行する度に、私達は様々な発見をした。
その中でも大きかったのは、壁の外の大地に僅かながらも芽吹いていた植物の存在だろう。
死滅したと思っていた大地は、傷つきながらも確実にあの時から生き続け、人間の手を借りることなく、再び立ち上がろうとしている。
無論、その僅かな存在があったからといって、今すぐ壁の外で住めるという保証ができるわけではない。だが、その可能性があるということは、我々ワームだけでなくあの惨事から生き残った全ての人々にとって意味のあることだった。
『壁を壊し、西暦時代と同じように、壁に囲まれない地で、誰にも縛られることなく暮らす。』
それが私達が望むものだ。
未だ壁の外は、極寒の荒れ果てた大地が続いているが、私達ワームは、いつかその望みを叶えることを共通の目的とし、地道に活動をつづけた。
ポッドの中で実験的に植物を栽培し、その一方で、壁の中の人々の意識を目覚めさせるためにどうすればよいのか考え、また一方で、ナインヘルツに対抗できるような軍事強化を図り、更にワームやサカイの人々が日々の生活を送れるように環境を整え、物資の調達をする。
私達はそれぞれ、各々の出自も知らないような烏合の衆であることは確かだ。だが、その一方で、虐げられ、蔑まれ、苦しんできた過去を大小の差はあれど、皆、同じように持っていた。だからこそ、言葉も通じず、見た目も年齢もてんでばらばらだった者達が、同じ場所で寝食を共にすることができたのだろう。
私達のポッドは、そういった者達の集まりだというのに、不思議な程、笑顔に溢れていた。それは私に関しても同様だった。この衛生歴になって初めて、心から笑うことができた、唯一の場所だった。
ミハラがワームを訪れたのは、ワームが機能して、半年程経った頃だった。
彼が訪れた名目は、ナインヘルツに騒ぎを起こし、失踪した神代真飛と副島博士の行方を調査するためという物だったが、彼の訪問の仕方は、まるで旧友を尋ねにふらりと立ち寄ったという方がぴったり合うような印象だった。
そんな飄々とした態度といい、気が付けば相手の懐に入り込んでいる巧みな話術といい、外交官という彼の立場を考えるならば、成る程、納得ができるものだった。
ナインヘルツを抜け出してから、彼らの情報を全くといっていい程、得る手段を失っていた私達にとって、彼の存在は貴重だった。尤も、最初は、皆、彼のことを警戒していたのはしょうがない事であろう。
彼自身、それは承知のうえで、頻繁にワームを訪れ、私達に物資や情報、そして様々な支援をしてくれた。その効果か、あるいは彼の持前の素質か、気づけば瞬く間に彼はワームの面々と打ち解けていった。
そうこうしている間にも、ナインヘルツによる人々の選別は厳しさを増し、ナインヘルツの手がかかりにくいという理由で東方の国に一つしかなかったサカイも、ダームシティとナインヘルツの本拠地がある衛生国ヘルツを抜かした七か国全ての隣接する地に、次々と生まれていた。国から追放された者は後を絶たない。サカイに入りきれない人々はそれぞれのポッドへと逃げ込み、結果、ワームのポッドが増えていった。
ワームやサカイの人間は様々な理由から国を追われた人間が殆どだ。
中には、自ら国を棄てた者もいたが、彼らの殆どは、小さい頃から国を転々としてきた為、禄に字も書けないという者が少なからずいた。
その頃のワームの基本言語は、壁の中と同じ英語だった。
そこに日本語という文化を持ち込んだのが、ミハラだった。
彼はナインヘルツに、簡単に見破られない言語が必要だと私達に説明をした。無論、その説は正しい。確かに、彼が言うように我々ワームの通信を傍受される危険性は高い。予め、傍受されることを想定し、それに対する対策を取る必要があった。その手段として、暗号を使うという手もあったが、言語が同じという点において、暗号は簡単に見破られてしまうだろう。
それに毎回毎回暗号を解くというのは、我々ワーム側にも負担だった。
だからこそ、既に消えてしまった文化圏の言語を使うという彼の案は、確かに有効だった。
私にとって、その言語は懐かしいと同時に、李鳥との事を否応なく思い出させるものであったことは事実だったが、私は彼に、最終的に日本語をワームの人々に教えて欲しいと頼んだ。
彼は一つの文化が失われていくことに対し、並々ならぬ危機感を持っていた。それ故に、我々ワームに、消えつつある言語を教えることで、その命を繋ごうとしたのだろう。
考えれば不思議なことだ。
国を追われた人間が、こうしてその国本来の言葉を覚えようとしているのだから。
私自身は、無論、日本という国で生まれ育ったのだから、日本語を使うことに、造作はない。だが、本心を言えば、今の私はどこかで日本語を使うことを恐れていた。
その理由は自分でもよく解っていた。
思い出してしまうのだ。
否応なく、日本人として、生きていたあの頃の事を。
似鳥 李鳥と出会い、そして傷つけ、傷つけられ、喪ったあの日々に引き戻されてしまうのが、怖いからだ。
それ故に、私は当初、ミハラがリトリに日本語を覚えさせようと提案してきた時、ワームに来て初めて反対をした。
だが、それは、リトリがワームにおいて私の代わりとして、中心となり、組織を束ねる一員であった以上、無理な事だった。
そんな事を百も承知だった私が、何故、反対をしたのか。
ミハラは、いつか私にそんな質問を寄越した。私はその時、上手く誤魔化せたであろうか。今となってはよく分からない。
リトリを創った私にとって、彼女が日本語を使うこと自体が恐怖だった。
李鳥と同じ事をそこに求めたというのに、私はリトリと李鳥が同一でないということに、どこか安堵感を抱いていた。
リトリは私が創った。
だから、もう二度と彼女は私を裏切らない。
裏切って、一人で死んでいかない。
この世界に、私一人を残して、遠くに行ってしまわない。
だが、もしも言葉を覚え、
リトリが李鳥になってしまったら?
私はまた、呆れられる。
私はまた、見透かされる。
そんな事は無いと分かっていても、それが怖かった。
私は結局、何者でもない。
ただの大嘘つきなだけだ。
リトリに与えた唯一の使命を、私は誰にも教えていない。
彼らは、今もリトリはこのワームを、私の代わりに導くためだけに居る存在だと認識している筈だ。
私が与えた使命を知っているのは、この世界中で私とリトリだけだ。
私達は、その使命により、何処に居ても繋がっていられた。
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