モノクロの写真

モノローグでモノクロームな世界    第一部 第三章 五

五、
 中を開くとそこには初めて会った時にマドカが書き綴っていたノートが一冊と、使い古され所々傷がついている黒い革の手帳が入っていた。
その他に彼女の身元を示す物は何も無い。黒い革の手帳は、誰かの愛用の品だったのだろう。所々傷はついているものの、手に馴染むしっとりとしたその肌触りといい、良く手入れされていることが持つだけで感じ取れた。表紙を捲ると中には、どの頁にもびっしりと文字が書き綴られていた。まるで空白を嫌うかのように、空間という空間を埋めつくす直線と直線で構成される文字の大群。
「そっか、これ、漢字だ。」
 僕らが今暮らしている十月国の国名にも使われている漢字。だが、特に衛生歴で生まれ育った世代には、漢字は古い遺物の学問とされ、あまり馴染みがないのが現状だ。なぜならば、現代の人々が日常使う言葉は、世界の標準語とされるアルファベットを使用した英語と西洋数字が基本だからだ。世界規模での言語統一が図られてからはより一層その動きが強まり、どの国の教育機関でも同じ言語、同じレベルでの教育を施すことが各国に課せられている。更に、システムや機械の発達、発展により、どの国の人々とも言語の違いを気にすることなく、気軽に通信や会話ができるようになった現代において、他国の言語を学ぶ必要性も、自国の文化や言語を学ぶ魅力も著しく失われていった。故に、衛生歴生まれの人間が国の八十パーセントを越える現代において、恐らく、十月国という国名を正式に書ける人間は少ないだろう。

 僕はと言えば、自国の文化を知らずに他国の文化を理解することなど出来ないと、生前常に話していたお祖父ちゃんのお陰で、読むことは問題なくできるが、それでも自身で書くことは非常に難しいという状況だ。無論慣れない言語故に、特に漢字を解読し、その意味まで理解するのは沢山の時間が必要だろう。漢字が羅列された頁を前に、僕は軽く溜息をついた。
 そもそもこの手帳は誰の物だろうか。僕が知る限り、マドカが使っている言語は、僕と同じ英語であったし、彼女が書き綴っていた文字もやはりアルファベットだった。それにここに書かれている文字は、その筆圧や筆跡から成人した男性が書いたように思われる。
 思案に暮れながら頁を捲る手は、最後の一枚で止まった。
「・・・・・・これって・・・・・・」
ぎざぎざに破られ、切り取られた頁の跡。
その破れ方を目にした瞬間、僕の記憶が『同じだ』と叫んだ。
 もしかして。
いや、でも、まさか。
まさか、そんなことがある訳がない。
否定と少しの可能性を愛混ぜにしたまま、気が付けば僕は思考を放棄し、自室へと駆けこんでいた。
机の奥に永らくしまったままだった小さな箱をそっと取り出す。
『大切な物は、何故だか鍵のついた箱に入れたくなるものなのよ。
この箱をケイにあげるわ。貴方の大切な物を沢山、しまってね。』
そう話していた母の優しい面影が脳裏にちらつく。
僕はいつも首からかけている真鍮の鍵が付いたペンダントを取り出すと、白いその小さな箱の鍵穴へと刺しこんだ。

カチリ。
微かな振動と小さな硬い音と共に開いた箱の中は、鍵をかけたあの時のまま、沢山の記憶の欠片が僕を待っていた。
 両親が持ち寄った異国の品々。
お祖父ちゃんから貰った掌サイズの小さな紙の本。
母が残したペンダント。
白黒映画のフィルムの断片。
それらは全て、僕の大切な記憶だった。
そして、一番奥底にしまわれた小さな紙片。
「・・・・・・やっぱり。これは、この手帳は。」
父が最後に残した紙片はマドカのスーツケースに入っていた手帳の破られた頁にぴったりとはまった。
僕は再び思案にくれる。
これは一体どういうことだろうかと。
 マドカは僕の両親と、少なくとも父と会ったことがある。
そう結論づけるのは、早計だろうか。だが、あの用心深く、頭の切れる父が自分の手帳をおいそれと知らない人間に渡すとは思えなかった。それに両親が死んだ場所は、死の谷と言われる場所だ。そこは一度迷いこんだ人間は、二度と戻れないと言われている場所だ。まさか、そんな場所にマドカが行ったとも思えない。
それに、彼女は僕と初めて会った時にこう言ったではないか。
『待っていたの』と。
あの時、僕はその言葉を聞いてもそれが僕に向けられた物だとは思わなかった。だが、今は、確証がないが彼女が僕に会いに来た、何故だかそう思える気がした。

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