モノローグでモノクロームな世界
第九部 第三章
二、
白い壁に映しだされる映像。
羽を背に宿したアレグロとハナ。
巨大な迷路のような蜂撥。
アレグロとハナが運ぶ手紙が空を舞う。
大小のテント小屋にいるのは、髭を生やした小太りのサァカス団の団長や、
蛇の鱗を纏う女。
そこに映し出される映像は、ケイが子供の頃に見て以来、探し続けていた作品だった。
束の間、懐かしい同窓に出会ったかのような郷愁と愛おしさで胸が一杯になる。
「アレグロは、壁の外へ行けたと思いますか?」
片翼を失いそれでも壁の外へと行きたがっていたアレグロに、自分の翼を差し出して消えたハナが、子供心に可哀そうでしょうがなかった。
子供の時、何度もこの作品を観る度に、ケイはハナが闇に吸い込まれるように消えていってしまうシーンを見るのが切なくて嫌いだった。
ハナを置いて、一人で行ってしまうアレグロはなんて身勝手なんだとスクリーンの中の話に憤りまで感じていた。
「李鳥が書いたのは、ここまでなんだ。だから、私もアレグロが最後にどうしたのかはわからない。ハナの元に戻ったのかもしれないし、自分だけ壁の外へ、天上へ行ったのかもしれないし。
李鳥・・・・・・似鳥李鳥とは、よく翼の話をしていたんだ。私の神代真飛という名前にも似鳥李鳥という名前からも鳥や翼は連想しやすかったからね。それに、私達は二人とも、あの街でどこか二人きりの生活に、息苦しさのような物を感じていたのだろう。その事を口にした事はなかったけれど。
誤解しないで欲しいんだが、私達は二人共、お互いを大切に思っていたことには変わりはなかった。だが、一緒になってはいけなかったんだ。近すぎて、遠すぎる。故に私達は、お互いがお互いを傷つけあってしまった。
あの私達の世界が突然、終わりを遂げた日。
あの日、似鳥李鳥は、爆風に巻き込まれて死んでいった。漸くみつけだした彼女の遺体には、その時の傷が無数につき、片方の腕は肩から先が無い酷い状態だった。
私には、その姿がまるで翼をもぎ取られたように映った。私は必死になって、瓦礫の街で彼女の失われた腕を探し続けた。だが、結局、見つけだしてやる事が出来なかった。
私は、今でも彼女をあんな風に死なせてしまった事を許せないでいる。
誰がなんと言おうと、あんな惨劇が無ければ、彼女は今もきっとどこかで生きていただろう。
その為の選択として、私達はあの日、別々の道を歩み出すことを決意したのだから。
私は、たとえ私の隣でなくとも、彼女がこの世界のどこかで生きてさえいてくれれば、それでよかった。
それなのに、あんな結果をまねいてしまった。
一番許せないのは、私自身だ。
あの時の事は、今でもはっきりと覚えている。
李鳥は。
あの時、よりにもよって私なんかを助けるために、私を突き飛ばし、自分が犠牲になった。爆発の閃光の中で、手を伸ばす李鳥の姿。
それが、私が見た彼女の最期だった。
私は、彼女の命を奪ってまで生きるに本当に値するのだろうか。
ミハラ君、私はあれから何度も何度もそのことについて考えているが、一向に答えに辿りつけない。
彼女は私と居たばかりに、犠牲になってしまったのではないか。私さえいなければ、今も生きていたのではないか。
結局、私が彼女を殺してしまった。どんな事情があれど、その事は変わらない事実なんだ。
アレグロが彼の望み通り、壁の外、天上の世界にまで辿りついていようが、それともハナの元に戻っていようが、彼のせいでハナが死んだことは変わらないように。
あの話は、私にとってはそういう話なんだ。」
真飛は、一気にそう話すとそれっきり、口を閉ざしてしまった。
俯き加減で膝の上で組まれた手をじっと見つめる彼の姿。その姿は、初めて彼を見た十月国のポッドの時と、寸分違わない。
だが、あの時のどこか飄々とした雰囲気を今の彼から探し出すことは難しかった。
今、ケイの瞳に映る男は、まるでこの世界に疲れ果てた旅人にしか見えない。その姿のどこにも、精悍さどころか、生きる事その物への意志すら感じられなかった。
まるで、壁の中の人々と同じだ。そう思った。
「この作品。アレグロ・バルバロは、貴方への手紙、なのかもしれませんね。」
「手紙?」
「僕は、似鳥李鳥という人を知りません。だから、これは映像を見て、貴方の話を聞いた僕の勝手な推測にしか過ぎないと思って聞いてください。
僕は、この作品を観てからずっと、アレグロが嫌いでした。ハナが可哀そうでしょうがなかった。でも、今日見て、わかったんです。ハナは全て承知のうえで、それでも、あぁしたんじゃないかって。貴方が言うように、アレグロがした事には変わりがないかもしれないけれど、それもハナは分かっていて、それでもその選択をしたんじゃないかって。寂しいですけどね、それって。」
「・・・・・・ハナは身勝手なアレグロの事を、怒っていないかな?」
「少なくともスクリーンに映る彼女は、ほら、微笑んでますよ。」
白い壁に映しだされるハナは、優しく微笑みながら闇夜に溶けていく。
彼女が居た証。一枚、また一枚と消えていく翼の羽根が最後の灯火のようにぽうっと、闇夜に灯りを灯していく。
モノクロームの映像の中で、その灯りはケイの目にふんわりと優しい赤色を伴って見えた。
漆黒の夜はやがて、全てを隠すかのように彼女の傷ついた翼も最後の笑みも、その体も、小さな羽根の灯りも飲みこんでいってしまう。
だけど。
だけど、僕らは知っている。
彼女が生きていた事を。
彼女がした事を。
彼女が何を思い、何を考え、何を見ていたのかを。
彼女が誰を想い、誰の事を考え、誰を見ていたのかを。
『その熱を消さないで。』
聞こえないはずのハナの聲が耳の奥で響いたような気がした。