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モノローグでモノクロームな世界

第十部 第一章
一、
 祖父の論文は、要約するとこうだった。
『TheBeeの共鳴装置が発生する共振動音。これにより、人々にある種の幻覚のような症状を引き起こし、言わば一種の集団催眠のような効果を壁の中にもたらしている。
 壁の中には、一定間隔毎に衛生管理やエネルギー循環を行う必要があるため、TheBeeが設置されているが、この一定間隔に設置されたTheBeeはこれらの環境管理をする一方で、満遍なく壁の中に共振動音を発生していた事になる。
 人々の多くはこれらの装置により、集団催眠のような状態に陥っているが、まだここには、少なからず希望が残されている。その希望とは、壁の中に暮らしているにも関わらず、催眠にかかっていない者達である。
 数は少ないがそういった人々は、検査ではじき出されている以外にも一定数居る事が我々の調査で判明している。彼らの話をヒアリングした結果、共通項として挙がった意見は、壁の中の世界は、私を含め多くの者が見ているような、『真っ白で綺麗な世界』ではなく、あの世界史上最悪の日から変わらずに世界は、荒れ果てた灰色の大地が続いているだけという物だった。
 そして、彼らの話を聞いていて驚いたのが、彼らは私達のように無彩色の世界を見ているのではなく、表現として用いられる色の表し方が実に多彩であった事だった。ここから推測するに、彼らは、有彩色として世界や景色を見ているという事だ。この事から、色はこの世界から消えていないという事が考えられる。

 TheBeeがナインヘルツによって導入された背景には、トリプル・システムによる管理とも密接に関係をするが、共に自殺者の増加が加速度的に増加したことが原因である。ナインヘルツの政策により、自殺者の増加を減少させる目的で取り入れられたこれらの政策は、具体的には、トリプル・システムによる投薬あるいは、感情コントロール、そしてTheBeeの共振動音による共感覚を利用した集団催眠が挙げられる。これらの政策の果ては、一体どこに向かうのか。ナインヘルツは、全て、世界を安定に保つためだと説明をする。全ての人々が病気や怪我を起こす前に、高度な予防措置を行うトリプル・システムと壁の外の有害な空気、危険なウィルスや生物といった危険因子を取り除いたクリーンな環境を維持するTheBeeのシステム、生活圏の治安維持を守る人々の個人情報のデータ化。これらは、確かに今や我々の生活に不可欠である。これらが無ければ、この壁の中で人々は、これほどまでに、快適に暮らすことも、そしてこれほどまでに急速な復興や発展を成し遂げる事も無かったであろう。だが、人々の感情や意志をすべて管理する必要は本当にあるのだろうか。今やこの世界の進むべく方向性に、絶対権を持つナインヘルツに対し、我々はこの先、その是非を問う事すらできなくなる可能性があるこの管理は、果たして本当に正しい事なのだろうか。

 これまでにも、ナインヘルツが是と認めない人々に対し、彼らは、衛生面でも安全面でも命の保証が何らされない、壁の外へと追いやる『政策』を取って来た。数値化されたデータだけで、一体、何をどう判断するのだろうか。そして、そのデータの為に、人々は、この世界はどう変化していくのか。

 私はこの現実に、そしてこの先の未来に警鐘を鳴らすため、今この筆を執っている。』

「カラン、この世界は綺麗か?」
「は?何ですか、急にそんな質問。
そんなの当たり前じゃないですか。なんたって、衛生面でも安全面でも、壁の中の世界は安心安全に決まっているんですから。
 そんなの生まれてきたばかりの子供ですら、知ってますよ。
だから、僕らはここまで生きてこれたんじゃないですか。壁が無かったら、すぐに有害な毒やフォールアウト、変異した動物とかにやられて人類は滅亡してますって。」
「あぁ、そうだな。そうだったな。」
先程のワームとの戦闘で、流れ弾でも当たったのだろうか、小さな皹が入った装甲車の窓越しに、副島が見る景色は、灰色の建物ばかりだ。
 どんよりと厚く覆う雲に、荒れ果てた地。
その中で世界を分断する壁だけが、透明に輝いて見えた。そのどれを取ってみても、副島の目には、陰鬱さしか映らない。
 だが、きっと今彼が見ている光景も、カランの目を通してならば、光輝く美しい世界として、脳が認識をするのだろう。
「え、ちょっと、何泣いてるんですか、副島さん。
・・・・・・どうしたんですか?さっきからおかしいですよ?
やっぱり、さっきの検閲で、どっか撃たれたんじゃ?」
「いや、すまん。大丈夫だ。
・・・・・・悪い、ここで下ろしてくれ。少し、歩いて行くよ。」
「え、は!?歩いて行くって、まだ支部まで大分距離ありますよ?」

 車内から彼を引き留めようとするカランの声を背に受けながら、副島は乗っていた車から外へと飛び降りた。
白く輝いて見えるはずの世界は、相も変わらず彼の目には灰色の陰鬱な世界としてしか映らなかった。
 


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