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人生の転機になった、8年前のホワイトデー

3月14日は、ホワイトデーでありながら、私の人生の大きな転機となった日でした。

毎年3月の初めには、真冬日に戻ったように寒い日があります。
年によっては、雪が降る。今年もそういった日がありました。8年前の3月上旬、その日も雪が降っていました。

インフルの息子と雪の朝のゴミ捨て

その日、長男がインフルエンザで学校を休んでおり、朝から咳き込んでいました。熱もまだ38度ほどありました。
その頃、夫はアルコール依存症になっており、息子への当たりが異常に厳しくなっていました。発熱した息子を見て、「お前、どう見ても暇にしか見えねーんだよ。ゴミ捨てに行ってこい!」と言いました。

38度近い熱が残っており、まだ咳き込んでいる長男に対して、それはあり得ないことでした。

しかし、その状況下で、私が長男を庇えば、それ以上に長男が責められることが、感覚的にわかっていたので、あからさまに庇うこともできず、心の中で謝っていました。

そして、「まだ熱があるから、私がゴミ捨てに行くね」と言って、それとなく長男を庇ったら、「甘えるな!俺は解熱剤を飲んで仕事に行っている。お前もそのくらい飲んで学校に行け!」と長男に詰め寄りました。

もう手がつけられませんでした。

どう言えば長男が責められずに、事態が悪化せずに収められるか、安全策を探しながら、「インフルエンザは登校不可なんだよ」と言ってみたら、それなら仕方がないと納得してくれました。

それはもはや虐待以外の何物でもありませんでした。

病気の息子の島流し

その夜、まだ熱が残っていた長男は、眠れずに起きてきました。
「眠れないなら、一緒にテレビでも見ようか」と隣に座らせたら、それを見た元夫が、「甘えすぎだ」と冷ややかに一瞥しました。

その頃、長男はもう、それ以上食い下がっても事態が悪化するだけだということを、悲しいほど感じ取っていたように思えます。
かわいそうに、黙ってまた寝室に戻っていきました。

その時、元夫が信じられないことを言いました。

「あいつは甘えすぎだから、アメリカに送る」

は?

何を言ってるんだ?

その時は、冗談扱いして何とか流しました。

しかし、恐ろしいことに彼は、次の日も、またその次の日も、その次の日も、朝、仕事中、夕方、帰宅後、メール、電話、あらゆるタイミングにあらゆる手段で、いかに長男をアメリカに送らなければいけないかを、私に訴え続けました。

彼がいかに甘えていて、私がいかに彼をダメにしているか。
一緒にいてはいけない。
彼をどこか遠くに送らなければいけない、と。

それは正気の沙汰ではありませんでした。

しかし、そのままでは本当にやりかねない。
息子が死んでしまうかもしれない。

そんな恐怖がよぎりました。

極限状態の私を救ったカウンセリング


そんな日が何日か続いて、私の精神が限界に近づいた時、一人で抱えきれず、会社を早退してカウンセリングを受けることにしました。

世の中はホワイトデーで、我が家は夫の誕生日でした。

元夫の長男への当たりの強さだけではなく、彼の異常さが恐ろしく、もうこれ以上家族を守りきれないという危機感を強く感じていました。

ただ、家族を壊すという選択肢もなかったため、子供も守りつつ、夫も変わらない、という条件下で、自分が何をするのがベストなのか、その解が欲しかった。

連絡したのは、長男の学校のスクールカウンセラーでした。
困った時に何度かお世話になった先生でした。

学校に電話をしたところ、その日はもう既に予約がいっぱいで、相談が受けられないと断られましたが、父親からそうした扱いを受けていた息子もまた限界だったのでしょう。
珍しく問題行動を起こしていたらしく、担任の先生とカウンセラーが気にかけていたようでした。

そんな折に私からカウンセリングの依頼が入ったため、時間外に時間を空けるから来てください、と電話がかかってきました。

学校に着いた時、入り口のところで立って私を待っていてくれた先生の姿が忘れられません。
その姿を見た時に、どれほど頼もしく感じたことか。

当時の私は、息子と夫のことを考えるだけで、仕事中にも涙が出てしまうほど追い詰められていました。

なので、相談室に入って話し始めた時、涙が溢れました。

そして、その時起こっていたことを話した上で、

「家族のために、私はどうしたらいいでしょうか?」

と聞きました。

すると、先生から予想外の言葉が続きました。

「お父さんのしていることは、精神的虐待であり、DVです。
そして、お母さんと長男君は、被害者です。
お父さんは今非常に危険な状態にあります。今すぐ逃げてください。」

逃げ出してよかったんだ。

呆然としながら、何度もつぶやいていたのを覚えています。
ずっとサンドバックにされることが当たり前になっていた私には、それほどの衝撃でした。

皆がつないでくれた必死のSOS

後で聞いた話では、当時、そのカウンセラーの先生はすでに異動が決まっており、その日は先生の勤務の最終日でした。

カウンセリングを受けようという決断が一日でも遅れていたら、思い立って早退しなかったら、長男が普段通りに過ごしていたら、担任やカウンセラーと学校の連携がうまくいっていなかったら・・・

どれか一つでも欠けていたら、あの日はありませんでした。

長男が、あのタイミングで問題行動を起こしたことは、彼からのシグナルで、限界に近いところまで追い込まれた彼が出した、必死のSOSでした。
それを学校がしっかり受け止め、カウンセラーが虫の知らせで何かを感じ取り、ギリギリのところで私につながった。

それが8年前のこの日でした。

長男をはじめ、いろんな人の思いや好意に、私は助けられていました。

それから数年後、不思議なご縁は続き、私はカウンセラーになり、あの時の先生から指導を受ける立場になりました。

8年前は子どもたちの父親の誕生日だった今日、我が家はホワイトデーの話題だけで、父親の誕生日を振り返る子は一人もいませんでした。

いつも通り、暖かいリビングで各々が好きな事をする、落ち着いた時間が流れました。

その当たり前が、私にとっては感慨深く、心ひそかに当時を振り返る、そんな記念日になっています✨

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