危機管理能力
「あんたがそんな服着てるからでしょう。」
小学高学年の時、学校からの帰り道で変質者に遭ったことを
母に報告した時に返ってきた言葉だ。
もうすぐで家に着くという場所、
なんなら家はすぐそこに見えていた。
いつもと変わらない帰り道。
少し手前のアパートから、男の人が出てきたことは認識していた。
「反町隆史似のイケメン!?」
そんなことすら思いながら、ひとりで歩いていた。
「ねぇねぇ。」
突然後ろから声をかけられた。
振り向くと、先ほどの反町隆史似の男性が3メートルほど先に立っていた。
「…はい?」
「この先って何があるかわかる?」
指さされた先は、路地のような細い道。
その先には公園がある。
ただ、通り抜けはできない。
突き当たりの民家の柵の向こうに公園があるのだ。
詳細に説明するのは億劫だと思い、わたしは
「公園があります。」
とだけ答えた。
「公園まで案内してもらえる?」
…??
この時点で、何かおかしいなと思った。
「ここ真っ直ぐ行けばすぐですよ。」
そう答えて、その場を去ろうとした。
「あの!じゃあ!」
さっきよりも大きな声で呼び止められた。
怪訝に思い振り返ると、
「このマンホール、なんだと思う?」
???????
何を言っているんだろう。
マンホールはマンホールだよ。
これは怪しさMAX!
そう思い、
「すみません!急ぐので!」
と言い残して、残りの帰路をダッシュで駆け抜けた。
息を切らしながら家に帰り着き、
興奮冷めやらぬままに母に報告したところ
冒頭の言葉である。
その言葉を聞いた時の、絶望たるや。
“自分の身は自分で守らないといけないんだな”
そう強く思った。
その日の服装といえば、真夏だったので
ノースリーブの青いワンピース。
近所のお姉さんからもらったお気に入りの洋服だった。
…何がいけなかったのだろう?
小学生の着る服だし、スカートの丈も短いわけではない。
訳がわからなかった。
走って逃げ帰っている時、
ふと思い出された記憶があった。
小学校低学年の時、家の向かいのマンションの前で遊んでいた。
4歳下の幼稚園児の妹と妹と同い年の近所の男の子と一緒に。
マンションには半地下の駐車場があり、
その駐車場の入口に一台のバイクが停まった。
新聞配達のバイクだ。
特に何も思わず遊んでいたら、急に声をかけられた。
「ちょっと、こっちおいで。」
半地下になっている駐車場の入口で
バイクから降りたおじさんが手招きをしていた。
周りをキョロキョロしながら。
これはやばいと思った。
妹たちは何も気にしていない様子だったので、
「行っちゃダメだよ!」と手で制しながら
おじさんの様子を伺った。
おじさんは何度か手招きをしながら
「おいで」と繰り返していたけれど、
そのうち諦めたのかバイクにまたがり去って行った。
どっと力が抜けて、心臓がばくばくしていたのを覚えている。
その後、一度だけ家の前の道路をそのおじさんが
その姿のまま新聞配達のバイクで通り過ぎたのを見かけて
ヒヤッとした…トラウマになっていた。
それから数年後のマンホール事件。
新聞配達バイクの記憶が掘り起こされて、
すごく嫌な気持ちが続いた。
でも、その気持ちを詳しく説明する術を
当時のわたしは子どもゆえに持ち合わせておらず、
モヤモヤと不安な気持ちをひとりで抱え続けることに。
それからさらに数年後。
中学生の時。早朝の登校時。
友だちとの待ち合わせ場所に向かう途中、
路肩に停車しているセダンタイプの車があった。
よくある光景なので気にせず横を通り過ぎようとした時、
運転席に人がいて「ちょっと。」と呼び止められた。
声のした方を見ると、
わたしは車の左側を通り抜けようとしていたので
助手席側の窓が下げれていて、その向こうに人の姿が伺えた。
その人は手を広げて、わたしに見せた。
じゃんけんの「パー」の形で。
最初は訳がわからず、少し車に近づこうとした。
道を聞かれているのかもしれない、そう思ったのだ。
でも、違った。
その人は言った。
「5万でどう?」
その瞬間、ぶわぁ…って鳥肌が立って
脱兎のごとく逃げた。
いつもは誰かしら通っている住宅街だけど、
その時は朝早すぎて周りに誰もいなかった。
走っても走っても誰ともすれ違わない。
追いかけてくるかもしれない、という恐怖に駆られ
何度も何度も振り返りながら全力で走った。
いつの間にか、友だちとの待ち合わせ場所もとっくに過ぎて
気付けば友だちの家の近くまで来ていて、やっと合流できた。
でも、言えなかった。
なんだか汚らわしい気がして。
このあとしばらく、誰にも話せなかった。
それから、路肩に停められた車や後ろから近づいてくる車が
怖くて仕方なかった。
何かされたわけじゃないけれど、
「もしかしたら次は…」って考えると心臓がばくばくした。
そして高校生の時。
この経験が一番、わたしの中でのトラウマ比率が大きい。
当時テニス部で、部活が終わって帰宅しようと
学校の裏門からひとり帰路に着いた。19時過ぎだったと思う。
わたしは徒歩で通える高校に進学したので、
電車通学の友人たちとは逆方向の家から、毎日ひとりで通っていた。
裏門を出た時、目の前の道路を原付が横切った。
乗っていた人と目があった気がした。
ボサボサの明るい髪の毛に、作業服のような格好の男。
特に気にせず、学校の隣の公園に停めていた自転車に乗って
いつも通り公園の中を通って帰っていた。
公園の中のゲートボールをするような、
地面が土の少し広いスペースを横切ろうとした時
後ろからライトが近づいて来た。
振り返ると原付がすぐそこにいた。
普通ではありえない距離感に恐怖を感じ、
自転車の軌道を変えようと必死になったけれど
原付の早さに敵うはずもなく。
原付に乗っている男は、奇声をあげながら接近して来た。
その瞬間「殺される」と思った。
無意識に叫び声が出ていた。
周りは薄暗く、人の影などひとつも見えない。
原付はわたしの右横に付き、
横からわたしの胸を鷲掴みした。
男はなおも奇声をあげながら走り去って行った。
その後ろ姿を見ながら、
完全にパニックになっていたけれど
頭の端では冷静な自分がいて、
(あの先の分かれ道でバイクが右に行ったら、わたしは引き返そう。)
そう考えながら、バイクの動向を観察していた。
わたしの家は、分かれ道の先右方向にあった。
もしバイクが右に行ったなら、
その先の道でまた鉢合わせしてしまうかもしれない。
そうしたら、わたしは学校に戻って先生に助けを乞おう。
いろいろな思考が一瞬のうちに巡っていた。
幸いにも、バイクは左方向に走り去って行ったので
前後左右を常に気にしながら、自転車を飛ばしてなんとか家に帰り着いた。
家に着いてからも心臓のばくばくはしばらく治らなかった。
気持ち悪くて、掴まれたところをお風呂で何度も何度も洗い流した。
親には言えなかった。妹にも。
どう話せばいいのかわからなかった。
唯一話せたのは、同級生の友だちで
それも少し軽い感じでしか話せなかった。
そのあと少し経ってから親と担任の女性の先生に話すことができた。
それからしばらくは、父が高校まで車で送り迎えをしてくれた。
父が来られない時は、母が自転車で迎えに来てくれた。
もう15年以上前の出来事だけど、トラウマになっていて
未だに後ろから来るバイクや車には身体が強張って
心臓がばくばくしてしまう。
車の横を通る時や車線のない道で後ろから車が来た時は、
必ず車の左側を歩くようにしている。
運転席側からできるだけ離れるように。
左ハンドルだったり、複数人乗っていたら意味ないのだけど。
電車でも、満員の時には自分の立ち位置に異常に気を使う。
新幹線の座席も通路側の時には、横を通り過ぎる人の気配を感じるたび
心臓がばくばくする。刺されるかもしれない。
わたしは、毎日
「今日が命日になるかもしれない」
そう思いながら生きている。
こんな世の中だから。
無差別に人を傷つけてしまうような怪物が蔓延っている
こんな世の中だから。
自分の身は自分で守るしかない。
痴漢や変質者って、被害に遭った人じゃないと
事の重大さとその恐怖はわからないんだと思う。
「怖いよね。」「気をつけないと。」
そう口にしていても、心のどこかでは
“自分には起こり得ないこと”
と思っている部分が少しはあると思う。
実際わたしの妹は、かわいくてスタイルも良くて一年中生足出してるけど、
一度も変質者に遭ったことないからなのか、
どんなに暗くて人通りのない夜道でもイヤホン爆音で音楽聴きながら歩いてる。
でも、一度でも被害に遭った人は、その瞬間から
「次は殺されるかもしれない。それは今日かもしれない。」
そう思ってる。わたしはいつも思ってる。
夜道をイヤホンで音楽を聴きながら歩くなんてとてもできないし、
自分の後ろを歩く人物が男性だと背中に全神経を集中させる。
その場合走って距離を広げるか、相手の歩くスピードが早ければ
体全体の全神経を集中させたまま、追い越してもらう。
痴漢だけじゃない、後ろから刺されるかもしれない。
本当に怖い。毎日怖くて怖くてたまらない。
大体の人に「毎日命日だと思ってる」と言うと、
「それはおおげさだよ」と笑いながら返されることが多い。
わたしは数年前 “不安神経症” という診断を受けた。
おそらく、人より不安になりやすい性質なのだと思う。
でも、おおげさなんかじゃないと思う。
これだけ危機感持ちながら行動していても、
被害に遭う時は遭ってしまう。
だけど、被害を最小限に留めることはできると思う。
ただ普通に歩いているだけなのに。
ただ普通に電車に乗っているだけなのに。
ただ普通に生活しているだけなのに。
ひとりで外に出る時は
恐怖心と緊張感を常に持ち合わせていないといけない。
そんな世の中。
ある人に、言われたことに妙に納得してしまった。
「変質者に遭いやすい人っているんですよ」
なるほどね。
どれだけショーパン生足で夜道歩いても一度も危機に面していない妹と、
ロングスカート+厚着の完全防備でも何度も変質者に遭うわたし。
母にも「あんたばかりなんでそんなに変な人に遭うんだろうね」と言われる。
そんな体質?全然嬉しくないし、なんなら不幸すぎる。
外を歩いている時は、誰の目にも留まらなければいいのにって
いっつも思ってる。
本当に本当に嫌なんだよ。
日本は比較的安全な国だと言われているし、
わたしも日本に生まれて本当によかったと思う。
でも、毎日恐怖を感じながら道を歩かなければいけないのは
心も身体もひどく疲弊してしまう。
何の心配も、不安もなく外を出歩ける
そういう世の中になればいいのにな。
いつかなるといいな。