オムライスの卵は何個にしてる?
先日、オムライスを作りました。
卵を割りながら、ふと、昔のことを思い出しました。卵がもったいないからと、自分の分だけ卵を減らしていたことを。
最近は、一人に2個を使って包んでいるのですが、以前の私は自分の分だけ1個とか、半個とか、もっと昔の超貧困時代には自分の分は卵で包まず中身だけ食べる、みたいなことまでしていました。
今となっては、そこ何十円節約するくらいなら、お菓子を1回我慢する方がよくないかって思うのですが、その当時はそういった発想すらなくって、「自分だけが我慢すれば良い」って思ってました。
節約が悪いというわけではありません。ただ問題なのは、そうやって、自分と家族に”差”をつけてしまっていたということ。
自分と家族に”差”をつけてしまうことで、無意識に”壁”も作ってしまっています。その壁がときとして、家族への攻撃の対象になってしまうのです。「あっち側とこっち側」になってしまい、「私は正しい」「あの人達はなにもわかっちゃいない」のような意識を作ってしまうのです。自分だけ卵を少なくして我慢して、自分を家族より下のような扱いを自分でしておいて、実は、私だけは正しいのように、家族より自分が上、みたいな意識になっているのです。自分が下とか上とか、そういう風な思考でいると、取り返しのつかない喧嘩だったり、衝突になってしまいます。
では、なぜ、自分だけは卵を減らして我慢して、自分を下に扱っているようで、家族から一歩離れた場所から、家族を下に見てしまうのか。
その「自分だけが我慢すれば良い」の感情の奥底にきっと何かがあるのだろうと思います。
顕在意識の攻撃的な感情の奥底の潜在意識では、何か別の感情が潜んでいます。
それは
悲しみでしょうか
さみしさでしょうか
苦しみでしょうか
我慢を続けてもその先には何も良いものはうまれない
だけど
その我慢の理由には、なにか問題解決の課題があるはず
だって、オムライスの卵が自分だけ少なくても平気というか、何も気にもならない人もいるからです。そこは我慢でも自己犠牲でもなく、ただ多くは食べられないだけだったり、他の人に美味しいものを食べさせたい、その一心で、たまたま個数が足りなくて、自分の分を減らすということになっただけかもしれません。
でも、私の場合は、その卵に、”我慢”とか”自己犠牲”が含まれていました。そういう感情の奥底には、私だけの”何か”ひっかかるものがあるのです。
いまだにその答えはわかりません。だけど、今は、家族の分が2個なら、私も2個にしています。それは、決して裕福になったからとか、そういうことではないと思います。また、自分のことを大切に扱えるようになったとかそういうことでもない気もしています。
ただ、自分と相手を平等に捉えられるようになったのかもしれません。平等に【扱う】までは難しいけれど、平等に【捉えられる】ような、そんな感じです。壁はまだあるけれど、その壁を認識できるようになった感じ。
それだけでも、一歩前進なのかもしれません。
そんな言っておきながら、実は、夫と喧嘩してしまいました(;゚ロ゚)
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