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自己紹介 - 進路:高校時代〜大学時代 -

前回は高校入学にあたり、名古屋から家族で仙台に引っ越しするところで話が終わりました。

今回はその続き、高校時代のお話からです。

東北高校というブランド - スポーツ名門校 - 

前回の投稿になぜ東北高校に進学したかについて触れたと思いますが、念のためこちらに前回の投稿のリンクを貼っておきます。


高校1年生の入学直後、1番最初の試合はパプリックの予選でしたが、そこで大叩きした後に目が覚めました。当時東北福祉大学のショートゲームの練習場を東北高校の生徒は使わせて頂くことができたので、学校が無い日は朝から晩までその練習場に入り浸っていました。
(余談ですが、名古屋から引っ越して来た際のお家選びは、このショートゲーム練習場から徒歩5分の距離だったという事で、そこに移りました。)

その甲斐あって、東北高校選手権、全国高等学校東北予選と2連勝することが出来ましたが、全国大会のメンバーには選んで頂くことが出来ず、その後少しゲームが低迷します。

東北高校は全国でも有名なスポーツ名門高校であり、部活動はとても盛んで有名な卒業生の方の名前は挙げきれない程です。さらに女子ゴルフ部はその当時、全国大会の団体戦3連覇中という最強の女子ゴルフ部でした。

先輩や同期の数多くの選手がアマチュアとしてもプロとしても活躍し、その一世を風靡した(している)方ばかりです。それに加え、クラスメートはスポーツは違えどみんなが上を目指していました。そんな中で三年間、先輩、後輩、仲間から刺激を受け、日々切磋琢磨できたことはすごく幸せだったと思います。

高校二年生は低迷していましたが、高校三年生の頃にやっと自分のゲームが戻ってきて、初めて日本女子アマチュアゴルフ選手権に出場することが出来ました。
初めての日本女子アマチュアでマッチプレーに進出することが出来ましたが、初めてのマッチプレーに少し困惑して、序盤一気に5 down。そこから巻き返したものの時遅し。1 downで1回戦敗退、ベスト32止まりとなってしまいました。

進路 - 自分との会話-

夏の大会も全てが終わり進路を考える時期になった時に、進路に関してとても迷いました。進路を考える上で沢山の要素を考慮しなければならなかったのです。
実際にどんなプロセスを踏んだのか順番に見ていきましょう。

Step 1. プロテスト or 大学

まずはプロテストに挑戦するのか、大学に進学するのかで迷いました。

ゴルフだけで無く、将来のことも考えきちんと勉強をしておきたかったこと。次に、同い年の3人がナショナルチームに選ばれて海外派遣などに行って活躍していたのに対し、自分は何の海外派遣にも行ったことがなかったこと。そして、海外の選手と戦う機会が欲しかったことが主な理由で、この時点でプロの道に進むという選択肢は自分の中のから消えました。

Step 2. アメリカ or 日本

次のステップは、どこの国の大学に進学するのか、でした。アメリカに行くのか、日本に残るのか。

元々タイガー・ウッズ選手に憧れていて、小学校の卒業論文にはマスターズで優勝すると書いてしまっているほど、海外志向だったので、将来的にはLPGAでプレーしたいと思っていました。(成長してから女の子はマスターズに出場できないと知り、ショックを受けます🤯)
出来ることならばアメリカの大学に進学をしたかったです。

しかしアメリカの大学に行くには以下のような様々な障害がありました。

アメリカ🇺🇸
1. 英語が話せない。
2.行きたくても誰にコンタクトをしたら良いのかがわからない。
3.大学数がありすぎてどこが良い大学、自分に合った学校なのかもわからない。
4.アメリカの大学はお金が相当掛かると思っていた。
5.調べるどころか英語すら読めない。
6.ゴルフ及び学力に対する成績の基準がわからない。


ということでアメリカの大学進学は諦めざる終えませんでした。

Step 3. ゴルフ最強校 or  六大学

そして最後は、日本で進学するのならどこに進学するのか?でした。

前述したように、将来のことも考えゴルフ以外にもきちんと知識を身につけたかったのですが、私が進学を検討していた大学は残念ながらお金がかかり過ぎてしまうのと、都心であることからゴルフの環境が整っておらず諦めざる終えませんでした。
一方、東北福祉大学は私が高校生の頃から監督に目にかけて頂き、尚且つ言わずも知れぬゴルフ強豪校。沢山悩んだ末に東北福祉大学に進学することに決めました。

大学時代 - 海外選手との出会い - 

大学入学後、目標としていたナショナルチームにも選んでいただき、海外での試合にも派遣して頂いたり、その他にも日米対抗戦でアメリカ🇺🇸のトップの大学の選手と戦う機会や世界大学選手権などにも出させて頂きました。(余談ですが、TOPY CUPで来日していた選手と先日オーストラリア🇦🇺で会いました)

藤本佳則先輩や、松山英樹君の練習姿やプレーを間近にみて学ぶことも出来ました。

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Courtesy : JGA
2010年 クイーンシリキットアジア太平洋招待 in ニュージーランド
1番左は元世界ランクNo.1のLydia Ko選手(ニュージーランド)

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2010年 世界大学ゴルフ選手権 in スペイン・マラガ
有名な人が沢山写っていますね。

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2010年 TOPY CUP 日米大学対抗戦 with アリゾナ州立大学
右後:私の後ろに写っている選手はScott Pinckney選手。

最近は怪我をして手術をしてからツアーを離れていますが一時期はPGAツアー、ヨーロピアンツアー及びKorn Ferry Tour(Web.comツアー)を主戦場に戦っていた選手。そして、ローリー・マキロイ選手の幼馴染みだそうです。

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こちらも2010年のTOPY CUPです。 

with University Of Arizonaと個人推薦チーム
ここに写っている選手はLETとSymetraツアーの選手がメインかな。

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2012年 世界大学ゴルフ選手権 in チェコ共和国•リベレツ
この時にスポーツには国境は無いんだなって身を持って感じました。

学校という場所

大学4年間でゴルフに向き合う時間やゴルフ関係者と関わる時間はとても多かったですが、その一方で、その外側の人や勉強も含めゴルフ以外の事柄と触れ合う時間や機会が非常に少なかったです。このことに対し、今でも非常に後悔しています。

私は学校を社会の縮図だと捉えていて、将来社会に出ていくために必要なソーシャルスキルを構築する場だと考えています。学校では沢山の人と出会い、付き合い、交流し、違いに触れあい、学び、受け入れる機会が与えられます。時にはその違いに悩み苦しみ、自分を見失ったりするときもありますが、これを誰とどのように乗り越えていくのかを試行錯誤することにより、人間として一回りも二回りも大きく成長させてくれる場所だとも考えています。

ここで築いた人間としての礎、そして人間関係は将来の自分にとってかけがえのない財産になると思っています。せっかく機会があったのにも関わらず、その機会を有効に活かさずに、自分のコンフォートゾーンに浸っていたことにとても後悔しています。もっと沢山の人と関わっておけば良かったなと深く反省しています。

この事をさらに痛感したのは不調に陥った時でした…。

アスリートだけでなく、誰しもが経験する可能性のあるスランプ
次回は私の経験をもとに、様々な模索をしていた時代のことについて書いていきたいと思います✍🏻

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