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自己紹介 - 大学時代の葛藤 -


前回は、進路のことについてや大学の試合を通じて参加した試合、出会った選手達や学校という場の意味についての私なりの観点について触れてみました。もし前回の記事を読まれていない方がいらっしゃいましたらこちらから是非💁‍♀️


高校時代からの目標でもあり、そして大学に進学する大きな理由の一つであったナショナルチームに選んで頂いたり、海外派遣や海外の選手と戦う機会を沢山頂いた大学生時代。

すべては思い描いたとおり順風満帆に進んでいるように思えましたが、人生は時としてうまくいかないものです。そして、やがて指針はゆっくりと狂っていきます…。

大学時代の葛藤

大学2年生の時に念願叶ってナショナルチームに選んで頂きました。
ナショナルチームに選んで頂けること、日本の国旗を背負うことは本来とても光栄で、誇らしい事のはずなのに私は逆にとてもプレッシャーに感じていました。
ナショナルチームなので当然な事なのかもしれませんが、同期のナショナルチームの選手はスター選手ばかりでした。その当時はまだ選考合宿もあり、選考会から年齢を問わず各世代の日本のトップの選手が集まります。今現在ツアーで活躍している実力者たちが勢揃いで、その中には賞金女王になった選手もいます。
正直、私にはこの場にはまだそぐわないという感じでした。無事に選考会を通過し、選んで頂いたにも関わらず、自分に自信を持つことが出来ず、そんな思いからかいつしか自分自身に必要以上のプレッシャーを掛けるようになっていました。
そのプレッシャーを振り払うかのように、体と心の声も聞かずにひたすら練習やトレーニングに打ち込むようになりました。

その結果、体を痛め、柔軟性を失い、自分のスイングやゴルフゲームの感覚も失ってしまいました。
《負の連鎖》とは正にこういうことをいうのだなと身を持って感じました。

3年生にあがり少し調子を取り戻し、国体での個人入賞やサンスポ女子アマではホールインワン&優勝+ドラゴンクイーンというどんちゃん騒ぎのような試合もあり、少しゲームを取り戻しましたが、良い時間は長くは続きませんでした…。

当時の記事です。

時は進み大学四年生に上がる頃でした。
4年生の夏にはQTを受ける予定だったので、3年生のシーズン終了後にギアをもう一段階上げて、さらにトレーニングの量と負荷を上げ準備に取り組みました。掲げた目標はQT一位通過。
冬の間、自主トレーニングとして毎日朝9時〜12時まで3時間ジムでトレーニング。
13-16時まではショットとショートゲームの練習。
その足でそのまま17-19時は部活のトレーニングという日々を毎日繰り返していました。

この頃、私のは「がむしゃらに練習する」という言葉以外は辞書になかったようです。

がむしゃら努力を履き違えていたのでしょうね。

暗黒時代の幕開け - スランプ -

そして大学4年生の春、ついに私にとって暗黒の時代が訪れました。
前年のサンスポ女子アマの優勝のお陰で、JLPGA開幕直後のヤマハレディースとフジサンケイレディースに推薦で出場させて頂きました。
ヤマハレディースの試合前、打球が少し引っ掛かり気味だったので、練習ラウンドで少しスイング調整をしたのですが、それが裏目に出てしまいました。私は学生時代、右の林の上から返ってくるような大きなドローを打っていましたが、この調整で球がまったくつかまらなくなり、練習ラウンドから右に行きがちでした。この当時はひたすら練習すれば身に着くという考え方しか頭に無かったので、練習ラウンド後も必死に修正しようとしましたが、とうとうこの不安を拭うことはできぬままついに試合当日を迎えました。そしてその不安は的中します。

ヤマハレディース初日スタート前
(めちゃくちゃ楽しそうなんですけどね。笑)

今でも鮮明に覚えていますが、葛城CC山名のNo.2。葛城CCの難関名物ホールでここは谷越えのミドルホールで谷を越えたまた向こうにも谷があるというレイアウトでした。
プロのトーナメントはいつも独特の緊張感があるのですが、1番ホールでパーオンながら高速グリーンにまんまとやられ3パット。それでバタバタしたのか2番ホールのティーショットは右に大きく曲がりOB, 暫定球もOBとなりとうとうドライバーの意味がわからなくなりました。

参考までにレイアウトを。

https://www.yamaharesort.co.jp/katsuragigolf/courses/yamana/02/

何がなんだかわからないまま1日が過ぎて行き確か82ぐらい打って初日は終了。
2日目は朝から大雨が降りしきっていましたが、まさにスタートホールのティーグランドに向かう途中でサイレンが鳴り中断。結局午後の2時近くまで待った記憶がありましたが、2日目は中止になり、呆気なく予選落ちが決定したことを覚えています。

悪夢はこれだけでは終わりませんでした。
もはやこれはただの序章でした。
お次は2週間後のフジサンケイレディース。
こちらも日本屈指の名門コース。

初日は雨だったと思います。
こちらも2番ホール。
右側に太平洋が望むホールで、未だに球は捕まらないのに、左からの強烈な風が吹きます。

またしても2球OB…。

数ホール進んで打ち上げのミドルホールだったと思います。
左のカート道、約80Yほど先に立つギャラリーの方にティーショットが向かって行った時に、ある4文字の言葉が私の頭をよぎりました。

《イップス》

そういうことなんだ。これがイップスなのかも。と。

言葉は悪いかもしれませんが、イップスなんて絶対にならないと思っていたんです。

ドライバーが大好きでそこそこ飛距離も出ましたし、自分のアドバンテージだと思っていました。それがまさか自分を苦しめることになるとは。

すごいライナーの球が向かって来たにも関わらず、そのギャラリーの方は「かんばれー!!」と励ましてくださいました。
さらに涙腺が緩みました。

なんとか2日間回り切りましたが、もう心も体もクタクタでした。今まで大好きだったゴルフでこんなに苦しんだのは初めてでした。

何をやっても上手くいかず、暗い出口の見えないトンネルに自ら迷い込んで行ったようでした。

光の見えないトンネル - 3つの条件 - 

最初のあたりは合宿や普段のラウンドではアンダーパーも出ましたが、試合になると全く別人。
左にビックバナナ🍌の様な殺人的高速カーブを打つ時もあれば、右30度の方向にポテンヒットのような天ぷらショットをドライバーで打つ時もありました🍤。

しかも、不思議なことにその症状が起きるのは”ティーグラウンド”と”ウッドクラブ”、”ティーアップ”という3つの条件が揃った時だけでした。
当時は3番アイアンがバックの中に入っていたので、その年QTを受けるまではほとんどティーショットは3番アイアンで打っており、3Iにはこの症状は起こりませんでした。
ティーアップせず、ティーグラウンド以外の場所であればフェアウェイウッドもこの症状は該当しなかったので、

3I →3W →ウェッジ→ワンパット→パーなどというパターンか
もしくは
DW→林→出すだけ→ライナーショット→ガッツパーというパターンで必死にパーを取り続けていましたが。

こんなゴルフではバーディーが取れるわけもなく、いつも苦しいゴルフをしていました。
いつもラウンド後はヘトヘトでした。
実際に、今、当時のことを思い出しながら書いているだけでも脳内ヘトヘトです。

何が辛いってどちらにも曲がるからターゲットをどちらかに絞ることが出来きず、真ん中を狙いティーショットを打つ前にいつも心の中で「お願いだから真っ直ぐ行ってください」と祈ってから打つようになっていました。
それがいつしか「お願いだから打てるところに行ってください」になっていました。

そんな状況でも世界大学ゴルフ選手権に出させて頂けとたこと、とても感謝しています。この試合で起きたある出来事により自分の中で強く、『英語をもっときちんと学ぼう!』と決意させてくれました。
話は逸れますが、私は日本語以外に英語と中国語を話しますが、両言語とも完全に独学です。
このことについては違う回でまたじっくり触れようと思います。

さらに余談ですが、いろいろと過去のデータを振り返っていたらこんなものを見つけました。

二人がもっといいスコアだったので※でしたが、よくあの状態のティーショットで最終日アンダーで回ってこれたなと。私事ながら褒めてやりたいと思いました😆

それはさておき、辛いシーズンは何も糸口が見えぬまま進みました。外では相変わらず笑っていましたが、家では毎日のように「今日こそゴルフやめてやる!」と泣き叫んでいました。
家族も苦しめました。
結果が見えなくても、練習とトレーニングは日々同じ様に続けていました。

朝3時間のトレーニングに日が暮れるまでショートゲームの練習。夕飯をかきこみ、夜9時を過ぎるまではほとんど練習場にいたと思います。

しかし意味がわからなかったのです。
これだけ練習しているのにも関わらず、結果が出ない理由が。
そして、糸口が見えない意味が。

ついに背中や首、腕などに痺れを感じるようになりました。
病院に行っても骨格や靭帯などには問題は見受けられず、整形の先生に、
👨🏻‍「筋肉痛かもしれないので少し休んで下さい」と言われました。
👩🏻「少しってどれくらいですか?」と聞き返すと、

👨🏻‍「1ヶ月くらいですかね〜」と。
👩🏻「…。」
まだシーズンの途中で、昔から1日でさえ休むことに抵抗と罪悪感を感じる私にとって、1ヶ月間もゴルフから離れるなんて考えられませんでした。

休めぬアスリート - 罪悪感との葛藤 -

しかし、ある時あるインタビューでセルヒオ・ガルシア選手が「オフーシーズンは1ヶ月間クラブを握らないで好きな人とバケーションに出かける、ゴルフのことは何も考えないで過ごすんだ。」と答えているのを見かけます。
何をやっても糸口が見当たらないので、それを見たのをきっかけに、仕方なく試合が無い週に1週間だけゴルフも練習もやめてみました。
彼の様に旅に出かけて自分探しをしてみたかったのですが、当時は自分の経済力が無かったためにこの選択は自動的にボツに。そんな自分がまた惨めに感じるという、負の連鎖。
その当時、大学に進まずプロに転向した同世代の選手が活躍しているのをみて、自分の中で焦っていたんだと思います。
自分がもがき苦しみイップスになった大会で同じ高校に通っていた同期の大江香織プロが優勝し、さらには別の同期の子が日本女子学生で優勝をしました。
それに対して自分は『こんなところで何してるんだろう…』という考えに打ちひしがれました。

旅行に行くことは出来ないので、家でひたすらDVDを観る生活。

生気がないというか常にぼーっとしているというか。
自分の人生やゴルフについてもたくさん考えましたが、もはや軽い鬱状態です。

いっそのこと本当にゴルフを辞めてしまおうかとも考えましたが、『love and hate』の関係ですね。
好きなのに上手くいかないのが悔しくて。

こんなに苦しいのにゴルフを辞められなかった一番の理由は、

人生の半分以上の時間をゴルフに捧げてきたのに、今自分からゴルフを取ったら私の人間としての価値ってどれくらいなんだろう。勉強もまともにしてないのに社会に出て何が出来るんだろうという考えが自分自身を苦しめました。
ゴルフを取ったら何も価値の無い人間なんだと自らを哀れみ、今までゴルフしかしてこなかったし、自分にはゴルフ以外何も無いんだと。
そんな恐怖から、ゴルフにしがみつくことしか出来ず、苦しいままゴルフを続けました。

こんな調子なのでQTも敢なくファーストステージで敗退。
キャプテンなのに団体戦は全国大学対抗戦以外選んでもらえず、屈辱と挫折を味わいました。(コメでもなかったですが出場メンバーから外れたり、合宿でアンダーでもメンバーから外れたり😶)

皮肉なものです。努力し続ければ、努力は報われる。この苦境から抜け出せると信じてがむしゃらに練習していたのに、それがさらに状況を悪化させていたなんて。
色々な世界を見た今は、当時の成績や状況を悪化させていたのは、ひたすら練習をしたことが招いた結果だということだとわかりましたが、井の中の蛙とはこういうことを言うのですね。
それ以外のビリーフが見つからず、ただただ練習するしかなかったのです。
いわば、名古屋を出発して、東京に行きたいのに、時速300kmで福岡方面に向かっていたようなものです。

こんな感じで解決策が見えぬまま辛い1年間が過ぎて行きました。

しかし、母親のお陰であることをきっかけに私のゴルフと人生に大きな転機が訪れます…。

今回もお付き合い頂きましてありがとうございます🤗
次回は私の転機について書いていきたいと思います✍🏻
現在の私の基盤ともなる出会いや出来事についてです。

記事を気に入って頂けたら、ぜひサポート頂けたらとても嬉しいです。
皆さんからのサポートが、もっと沢山の向上心に満ち溢れている若い世代のアスリートをサポートすることに繋がります🙏
もちろん「スキ」もモチベーションに繋がるので、気に入って頂けたらスキを押して頂けるととても嬉しいです😆
よろしくお願い致します🤗

Acknowledgment

最後になりましたが、ナショナルチームに選んで頂いたことや試合の代表選手として派遣して頂いたこと、練習環境を提供してくださった各関係者の方々、ゴルフ場関係者の方々、道具提供をしてくださったり、試合のプロのトーナメント推薦をしてくださった各メーカーの方々、取り上げてくださったメディアの方々、経験や知識を惜しむことなくシェアしてくださりサポートしてくださったOB,OGに大変感謝しております。
試合を通じて、ゴルフだけでなく新しい文化に触れ、さらには自分のことについても沢山学んだり経験をしたりすることが出来ました。

そしてナショナルチームの委員さんや事務局の方、大学連盟各関係者の方、メーカーさん、コーチ陣の方、先輩方に大変温かくご指導頂きました。
その経験は私の人生にとってとてもかけがえのない財産となり今でも私の中でレガシーとして残り続けています。このような素晴らしい機会を頂けたことに大変感謝しております。
そしていつも無条件の愛を注いでくれる家族にも感謝しています。

写真出典
JGA様
サンケイスポーツ様
葛城CC様
Pinterest

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岩周 里紗(Risa Iwachika) - Next level 〜 別のレンズから物事を見つめて -
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