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トンネルを抜ける / Day16 緑の目の彼女

   抜けるような真緑の目を持つ親友と出会ったのは、18歳の時、大学1年の時に行った、英国でのホームステイ。初めての海外。初めての語学学校。日本人の子とつるんでしまったら、英語が上達しない!と思い込み教室の扉を開くと、その思いに反して見事なまでに日本人がいない。フランス人数名、ドイツ人1人、そして残りは全員スペイン人。そのスペイン人のグループの中に、退屈だと言わんばかりに唇を尖らせていたのが、彼女だった。

   同じ18歳とは思えない華やかで大人っぽい髪型。みずみずしい若さをたたえる健康美に映えるファッショナブルなスタイル。そして何より度肝を抜かれたのは抜けるような真緑の目。一目惚れ、ではないけれど一瞬で魅了された。今も変わらないけど、自分の中にある「美しさの基準」に響く人を見つけると思わず声をかけずにはいられない。拙い英語を駆使し、ナンパの如く一生懸命彼女に話しかけたのは今もいい思い出だ。

   私達は、海が近い片田舎の街で、約1ヶ月かけがえのない時を過ごした。彼女はもちろん、大挙して留学してきたスペイン人達は、偏見ゼロの掛け値ない愛を持って私を歓迎し、私はどっぷりそのコミュニティの中に溺れた。'言語'を超越したところで、友情や愛が交わされ、そしてそれが成立するということを体一杯で体感したあの時間。別れの日、私は誰よりも泣いたし、競うように写真をみんなと撮った。

   メールもインターネットもない時代。私達の交流ツールは、手紙でしかなかった。帰国した後も、スペイン人の友人達と私はあの時の記憶が消えてしまわないようにとばかりに、何度も何度も手紙を送りあった。いつか行きたいスペイン。でも20数年前のスペインは、今と違いまだ治安もそこまで落ち着いておらず、たかだが1ヶ月少し英国に住んだ私にとって、未知なる遠い国でしかない。いつ皆に会えるんだろう。そんなことを思いつつ1年が経ったクリスマスの時期。愛が溢れたクリスマスカードがいつものようにスペインからたくさん送られてきた。

   淡いピンクの封筒。裏を見ると、差出人は、緑の目の彼女の苗字にはなっているが、名前が違う。そして更に見るとあの彼女の特徴的な文字でもない。何か胸騒ぎがした。恐る恐る開封するとこう記されていた。「私達の愛する娘、パトリシアは今年の夏、交通事故で亡くなりました。彼女は、英国のホームステイから帰国した直後から亡くなる直前まで、いつもあなたのことを話していました。いつかあなたがスペインに来る時は、私達はあなたを娘の大切な友達として迎えたいと思う」。と。英語ができない両親は、私にこの事実を伝えたいがために代筆を頼んでまで知らせてくれていたのだ。

   一番大好きな友達が19歳で死んでしまった。絶対に会いに行こうと思っていた友達が死んでしまった。体が折れるほど泣いても泣き足りないほど泣いた。追い討ちをかけるように、その後両親が事故の直後に、「彼女の机の引き出しに入っていた」という、私宛の手紙を開封しないまま送ってくれた。そこには、私に会いたいという連呼に加え、「私との友情は永遠」という言葉が愛らしいイラストと共にあった。

  この時に激しく私の体に植え付けられのは「後悔なく人を好きになり、後悔なくその時間を存分に体感する」ということ。いつまた会えるかわからない。その確証は誰にだってない。10代の後半に人との距離に悩みがちだった自分に、「好き」という気持ちを素直にストレートに出していいんだよと教えてくれた、彼女とスペインの仲間。

  約20年以上経った今、交流するツールは手紙からメールに代わり、時には顔を見て話もする。大学4年の時、彼女の家を訪ねた旅をきっかけに、何度も何度もスペインの友達に会いにいく。家族が増えたり、家族を失ったり、私達は互いに紆余曲折ありながらも今日まで生きている。。旅に出る時必ず持参する彼女の写真。宝石のような目をした彼女は19歳のまま時が止まっている。目尻のシワが増えた私の顔をきっと悪戯っ子のように指差しながら笑って見てるといつも思う。8月は彼女の誕生日。パトリシアお誕生日おめでとう。永遠に愛しているよ。


  




   



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