梨沙
大学2回生の春休み、ベトナムで日本語教師のインターンをしたお話です。
私の部屋には、至る所に昔溢れた言葉たちが落ちている。 使っていないノートのどこかのページ、メモ帳の切れ端、ルーズリーフ、スマホのメモ帳の奥の方等。 このnoteも公開しているものの軽く3倍ほどは下書きがあり、 過去の自分が殴り書いたままになっている言葉が並んでいる。 私は、定期的に頭のてっぺんから足の指先まで体中が言葉で埋め尽くされている感覚になる。 そんな時に、最も吐き出すのに最適な場所を見つけては殴り書いているのだ。 どこにまとめるとも所属するともない言葉たちは、それ
2023年10月7日、歳を一つとり、24歳になったことにどこか安心した誕生日。 社会人になってからも「大人になりたくない」と言っていたのに、いつしか23という数字が窮屈になっていて、ああ大人になってたんだと思った。 私の2023年は、そんな年でした。 とにかく頑張って働いて、海外で息をする。 自分が撮った写真に見惚れて、いい時間をそこで過ごせたことに安堵する。 脳死でスマホを見ている自分に気づいて、慌てて本を読み生きた言葉を取り入れる。 2時間の異世界を求めて映画館に行き
今週は、 一回も音楽を聞かなかった。 一回も本を開かなかった。 一本も映画を観なかった。 一枚も写真を撮らなかった。 でも、毎日8:30から働いた。 仕事としての仕事は好き。 でも、生きることの大半を占めるものとしての仕事は好きじゃない。 ライフワークとライスワークのバランスが黙って崩れていくことで、いつの間にか自分が欠けていく。 一万円のご飯。 気を張って、自分の足りないところばかり数えながら食べると本当に味がしなくて、お金という価値基準が自分から離れていく。何に何円
お久しぶりです、りさです。 22卒として社会人の仲間入りをして1年が経ちました。 無事皆勤!コロナにもインフルにもならず、遅刻もせず、遊びのためにとった有給以外は無遅刻無欠勤で1年を終えられたことにまず感動。 えらいぞ私、よく頑張った。 すごいスピードで時間は過ぎていき、日々感じ考えていたことは簡単に忘れ、昔話として実感を伴わないものになっていくなと思います。 だからこそ、何を考え、何を感じていたか、書き残してみます。 私、1年目は、こんなことを考えながら働いていました
先日、23歳になりました。 これまで出会ってきた様々な人からお祝いの言葉やプレゼントをいただき、 とてもとても嬉しい日でした。 お祝いをくださった方、お世話になっている方、ありがとうございます。 「誕生日おめでとう」 のメッセージを送ること。 それは、誕生日を教えてくれるSNSに反応して、そのままおめでとうと打つだけで、手帳に一人一人の誕生日を書いて覚えてってしてた頃からすると、すごく簡単になったなあなんて思う。 人と関わることにたまにひどく疲れる私からすると、誕生日は縁を
先月の1日から社会人になりました。 16年間の学生生活を経てできあがった梨沙として、ピッカピカの社会人1年生!!です。 3月のギリギリまでひじょーに学生を謳歌していた結果、特に何の振り返りもせずバタバタと社会人になりました。 「学生生活の学びを振り返る!」というtodoを放置し続けて1ヶ月。 新しいコミュニティで新しい評価軸と常識に触れ、ちょうど大学生の振り返りが勝手に進んだので、いいタイミングやないか!と思い振り返りのnoteです。 もしよければお付き合いくださいま
なんだか言葉があふれる年末年始。すでにいろんなところでだいぶ語ったのにまだあるらしい。 どうせ語るなら卒論書けばいいのに、修正というのはどうにもこうにもやる気が出なくて日々延期。表整えるってね、やる気出ないよね。 なんて書き出しから察していただける通り、本日も言いたいことつらつら書くnoteです。 つらつら〜〜〜〜(過去一ゆるい予報) シュウカツ 2021年、頑張って生きたね!と思う1番の理由ここにあり。 就活という壁にぶちあたり、泣いて飲んで吸って吐いて過ごした今
約1年4ヶ月、就職活動と呼ばれる期間、 私は、ひたすら色んなことを考えて続けてた。 今日は、その一部。 「目の前の1人なんか、幸せにできない」 タイトルにもしたこれは、私の就職活動の第一歩、の、カケラ。 大切にしてくれる人、大切にしたい人がたくさんたくさんいる中で、 私は、目の前の1人なんか大切にしきれなし、幸せにできない。 就職活動が始まった去年の夏頃、そんなことを痛感していた。 自分がしんどい時にめちゃくちゃ助けてもらった人が目の前でしんどい時、求められた救いを渡
カメラが好き、写真を撮ることが好き。 人でも、景色でも、なんでも、「あ、好き、撮りたい。」って。 最近は毎日写真となんかしてる。 撮って、レタッチして、SNSにアップしてる。 昔の写真も、今日の写真も、関係なく、毎日毎日、撮って、残して、撮って、残して。 大切な人たちが笑っている瞬間、お気に入りの服を着て嬉しそうな姿、モクモクと立ち上がった入道雲、綺麗な夕焼けとそれに照らされた世界、ドラマが起こりそうな道、ひんやりと静かな空気 そこで、その時、生きる人たち。生きている
「なんで?」 時にはこの言葉を心待ちにし、 時にはこの言葉に嬉々として語るのだけれど、 時にこの言葉は、怖い。 私が何を答えるかに関係なく、その人が言いたいことを言うための枕詞なんだろうなと思うから。 何と答えても、その返答に簡単に「蹂躙」されてしまうんだろうなと思うから。 “「興味がない」と「蹂躙」には、何故か相互作用がある。興味を持てないんだから仕方ないじゃないと身も蓋もない正論を言う人は、興味がないなら放っておけばいいのに、という身も蓋もない正論を、何故無視できる
コロナや大学のおかげでお盆も祝日も長期休みも関係ないような一年だったけれど、今はしっかり年末気分。 お坊さんと同じくらいの必死さで12月も走り抜けて、蟹が待ってる実家へ帰っています。 仕事はたくさん残ってるけどそんなことはおいといて2020年を振り返る! 1. 出会った映画いわゆる「エンタメ」にたくさん触れた1年。 まずは映画から。 ①行き止まりの世界に生まれて「傷だらけの僕らが見つけた明日」 最も惨めな州ランキング第3位、アメリカのラストベルトのうちの1つ、ロックフ
当時わからなかった言葉の意味、本の意味が、突然ある日はっ!とわかることがある。 私が最近「はっ!」となったのは重松清さんの『ゼツメツ少年』。 高2ではじめて読んだ本で、とてもおすすめなのでぜひ。 私のnoteもとってもとっても読んで欲しいのだけど、ネタバレどころか解釈の誘導になるので、一旦みなさんポチッとして読んでみてください。 ===== タイトルにある通り、この話は「ゼツメツ」しそうな子供3人が中心で進むストーリー。 「このままだとゼツメツしてしまう」 不登校の
2020年10月6日23時59分、 きっと厳密には10月7日の14時過ぎくらい、 私の「ハタチ」終了。 写真は携帯に入っていた「あの頃は可愛かったのに」なりさちゃんです。 憧れていた振袖はいつの間にか後輩が着ていて、 お年玉は今年からもうなくなって、 「数えるのが最後の歳だよ」なんて色んな人に言われて、 事実肌の調子から「加齢」なんてワードを実感するようになってきた、 そんな21歳。 なんだか、本格的に「オトナ」スタート。 21歳という年齢と、就職活動も相まって「なり
最近私に響くのは、日常の切り方が絶妙すぎる具体的な言葉か、日常の一瞬とまっすぐ垂直に抽象化された言葉のどっちかだったりする。 その日常が、東京になった瞬間に切なさや美しさが増すのはなんでだろう。 中目黒、新宿、渋谷、六本木。 その、「具体的な地名を出しとけば景色がある程度伝わるだろう」という傲慢さ。 具体的なイメージはなくても、「たくさんの冷たい人」とは裏腹な「きらびやかで視覚的にうるさい街」という偏見で乗り切れてしまうのが悲しいんだか嬉しいんだか。 そんな、傲慢で寂しい
そんなにすぐには強くなれないなぁなんて、この時間まで起きてる自分に教えられる。 夜は向き合う相手が自分しかいないから、どうしても頭と心が止まらない。 今の自分を考えると、どうしても今の自分を作ってる過去にまで思考が飛んでいく。 簡単には捨てられないし捨てたくない時間はまるで呪いだなァ。 このなァって書き方は、あーあって空を見上げながら言いたい気分を表してくれる気がして好き。どーしよーもないんだよ、なんてカラッと笑いたくなる私の気分。 でも、そんな逃げられない過去とどう
「本を読むことは、そこで描かれている人の人生を生きてみること。」 私にとっての読書です。 中学に入ってから本を読むペースが一気に落ち、最近ようやく復活。 小説以外はラリルレ論しか読破したことがない私ですが、本の影響を大きく受けてきた人の1人です。 久しぶりに実家で長い時間を過ごし、なんとなく当時読んでいた本をずらっと羅列したくなりました。 私にとっての読書を、発信してみたくなりました。 そんな普段より自己満足マシマシのnoteです。 書くこと目的のnoteなので、1か2