どこに行くの?
まだチャネリングを習い始めて間もない頃、瞑想中に額がじんじんして、熱くなってきたことがあった。
第三の目、という言葉を思い出した私は、途端に怖くなった。
これが開いたら、私の目には何が映るのか。
私はどうなってしまうのか。
私の口からは嗚咽がこぼれた。
ただ、怖かった。
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彼に出会って、ぐちゃぐちゃになった心をただ落ち着かせたくて、それで始めた瞑想なのに、逆に彼の気持ちが入ってきたり、いろんなビジョンを見せられたり、挙げ句私はチャネリングを習って、身の周りの生き物や自然のみならず、目には見えない世界の天使や天狗やいろんな神さまと、宇宙と、つながることができるようになった。
私は、別にスピリチュアル系とかではなかったしむしろリアリストだったから、今、自分がこうして書いている文の字面を見ただけで、何か、笑えてくる。自分の変わりように。
でも、私は生まれ育った家庭環境のこともあり、周りの人間と信頼関係を築くとかできていなかったし、そもそも、人を信頼する、ってあんまりなかった。
それはつまり、人の世界、と目に見えない世界、との境界がそんなになかった、その境界を軽く飛び越えることができる素地を私が持っていた、ということでもあったのだと思う。
いろんな存在とお話できるようになった時に、そんなことを考えた私は、大好きな存在の一人、狐さまに聞いてみた。
だから私はずーっと孤独だったのかな、って。
こうやって見えない世界とお話できるようになるために。
『そういう人がどうしても必要なんだよ、宇宙と地球の橋渡しのために』
そう、狐さまは教えてくれた。
弁財天さまやほかにも綺麗な輝いてる女神さまたちが私を取り囲んで、この子も早くこっち側に連れてきましょうよ、と話している。それを、私を守護する存在が、この子にはまだ修行が必要、と止めている。
そんなことも、あった。
取り囲まれた私は何も言えずに、座り込んでただぼろぼろ泣いている。
こっち側、ってどこ?修行って何?。私、どこに連れて行かれるの、何をさせられるの?って。
やっぱり、ただ怖くって、こういう存在とお話できるようになっただけで、自分の霊性を開花できただけで、私にはもう十分とも思えてはいたけれど、それと同時に、もういいです、とはさせてもらえないんですよね、っていうことも、瞑想中に見せられる、大き過ぎるビジョンと共に、私には分かっていた。
チャネリングできたり、高次元からのメッセージを受け取ることができるようになった人の中には、自分は神だ、とか神である◯◯の生まれ変わりだ、とか言い出すようになる人が一定数いるらしい。
でも、私たちは、地球上にいる、人間だ。
決して神では、ない。
神ではないからこそ、今修行してる。
人間だからこその学びを通じて。
いついつまでの支払いどうしようとか、健康診断の結果がとか、子供のことでハラハラさせられたりとか、毎日毎日、日常の雑多なことに振り回されながら。
いっそ神ならばこんな雑事がなくてラクなはず。
神ならば、その地位に守られる部分もあるはず。
でも人間である私たちは、人間としての日常生活を、しっかりと地に足を付けて営むことがまず第一で、その上で、天の意思を、声を、降ろさないといけない、と私は思う。
人間だから、負の感情をぶつけられることも、あるいは禍々しい念をもその身に受けてしまうこともあるだろう。
でも、そこで安易に、私は神だ、に逃げない。
人間として生き抜く中で、時に、自らの力の使い方に悩んだり、天に求められていることの大きさに怯んだり、そういうのはあって当然だと思う。
でも私だったら、むしろ、そういう人に相談したい、その人から、天の声を、聞かせてもらいたい。自分は神です、って言うような人よりも。
第三の目が開きかけた後、私は守護の存在に訊ねた。
第三の目が開いたら、どうなりますか?
『ただ、目の前のことをするだけだ』
私の守護霊は、そう言った。
何も変わらないということだろうな、とその頃には私は思えるようになっていた。
そう思いながら朝食を何となく作っていた私に、守護霊が、続ける。
『愛を込めて』
はい、と私は答えて、背筋を、のばす。