統合とか愛とか
ツインレイ関係でよく使われる、統合、という言葉が、私にはずっとピンとこなかった。
統合を目指すとか統合したとかしないとか。
ただ、体の関係になる、ということでもなさそうだったし。
男性性と女性性の統合、とか、中庸、とかそういう意味で使われてもいたり。
いろんな人が、いろんな文脈で、それぞれの価値観で、統合、という言葉を使っているように私には思われた。
そして、そのたびに、私の頭は混乱していた。
そういうのも経た上で、今、私が考える統合とは。
自分自身の神性を見出すプロセスそのもの、だと思っている。
プロセスだから、統合には終わりがない。
生きている以上、いや、死んでからも、統合は続く、つまり魂の学びと成長は続いて、より大きな、まばゆい光を目指してゆく。
だから、一歩一歩、一日一日が、統合へ向かう旅路、のようなもの。
そう考えれば、自分は統合したのか、自分たちカップルは統合しているのか、とかに必要以上にこだわることはないのではないかと私は思う。
一歩一歩、進むだけ。
愛をもって、進むだけ、だから。
彼と出会う直前くらいまで、私にはさまざまなことが起きて、夫だったり母親だったり、親戚や夫の親族との関係もことごとくギクシャクしていた。
そんな中で彼と出会い、ろくに話もしないうちからもう頭から離れない彼を思ってたくさん泣いたり自分自身を振り返ったりする中で、私は、ひとつ、気付いた。
あれ、私ってこんなにも愛に溢れた人間だったんだ、って。
私、本当は、そうだったんだ、って。
いろんなことがある中で、縮こまって、ホコリをかぶっていた、私の心。
そのホコリをとってみたら、そーっとやさしく拭いてあげたら、そこには、あったかい愛があった。
私の心。
本当の私。
本当はこんなにも私は愛を持っていた。
誰もが本来は光であり、愛の存在なのだろう。
でも、日々の喧騒や雑事、人間関係のいざこざは、そのことを忘れさせちゃう。
だからこそ、時には静寂の中に身を置いて、自分と対話してあげたほうが、いい。
ホコリをかぶった心を拭いてあげて、磨いてあげて、愛や光を思い出す。自分自身の中に見出してゆく。
それが、統合、につながると思う。
そうであれば、統合、はやっぱりツインレイとかに限らずに、誰もが目指す場所であり、宇宙が、ここまでおいで、って手招きしているゴールなのかもしれない。