食べちゃダメ?
拒食症とかではないけれど、「食べちゃダメ、っていう声が聞こえる」って娘が言い出したことがあった。
それは私も中学生の頃に自分で自分に言っていたことでもあったから、そうなの、って私はゆっくり言って、娘をそーっと抱きしめた。
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何で人間は、食べないと生きていけないんだろう、って本気で思ってしまうような子供だった。
食べてくために働かなきゃとか、食べてくために仕方なく、とかいう表現に、とても違和感を覚えてもいた。
人が、ものを食べる姿、にあまり美しさを感じなかったというか、それは食事のマナーとか品性とかだけではないところの、もっと根源的な、食べないと生きていけない人間の哀しさみたいなものを感じてしまうような、私はそんな子供だった。
そんな子供だったからなのか、あるいは家庭環境のせいなのか、中学生になった私は、食べる資格なんて、ないよ、って自分に言い聞かせるようになった。
産まれなければよかった、って思われて、母親からも愛されないようなあんたなんか、食べる資格なんて、ない。
そんなことを自分に言い聞かせながら、生きていた。
食事時、は苦痛なだけで、だから、娘が私の作った食事を、うまーい、って美味しそうに食べるのを見ると、ああ、私はちゃんとこの子に、ごはんがおいしい、って思わせてあげられてる、って、私はちゃんとこの子を愛してあげられてる、少なくとも、この子は、食べる資格がない、とか自分を責めるような子供時代は送らずに済んでいる、って思えて、それは私にとって、とってもほっとすることだった。
娘を抱きしめた私は、娘の背中をゆっくりなでる。
そう、そんな声が、聞こえるの
それは、つらいね
誰の、声だろう
「わかんない」って娘は言う。
私はなおも心を澄ます。
娘の背中をなで続ける。
ふっと、何かを感じる。
ああ、これだ、って思う。
だから私は、その存在に向けて、伝える。
そう、あなたはそんなふうに言われちゃったんだね
食べちゃダメ、なんて言われたら悲しいよね
つらかったね
でも、もう大丈夫だよ
あなたの気持ち、分かったよ
だから、安心して
この子は、あなたじゃ、ないの
あなたとこの子は違うの
だから、この子は、これからも、おいしいものをたくさん食べる
あなたのことも思い出しながら、食べるよ
だから、安心して
あなたのつらさは、ちゃんと、分かったから
娘の背中をさすりながら伝えていると、その存在のつらさが溶けた、って分かる瞬間が、ある。
そうすると、去ってゆく。
娘も、落ち着いてきて、「お腹すいた」ってケロッとして笑顔になってる。
じゃあ、食べよう、って私も笑う。
娘と私が、多分、ひとつ光の仕事をした瞬間。
どんな霊か、夫のあるいは私の家系のご先祖さまか、詳しいことは分からない。
もしかしたら、昔の私自身であるのかもしれない。
分からないけれど、とにかくも、ひとつ、誰かの魂を癒やした瞬間。
越智啓子さんの本で、引きこもりや精神的な疾患の人などは霊を癒やす光の仕事をしている、なんて読んだのはもう20年以上前で、それは私にとって目から鱗のような衝撃だった。
声が聞こえる、と娘に言われた時、私はふっと、そのことを思い出した。
何バカなこと言ってるの?
誰の声が聞こえるっていうの
って頭ごなしに否定するわけでもなく
いいから早く朝ご飯食べて学校行ってちょうだい
ってその場しのぎのことを言うわけでもなく
何より
私はちゃんとあなたを可愛がってきたでしょう?
産まれなきゃよかったなんて一回も思ってないしちゃんと愛してきたでしょう?
それなのに何で昔の私みたいなこと言うの?
って感情的になって娘と自分を責めるようなこともなくいられた、のはありがたいことだった。
もちろん、いろんなタイプ、パターンがあるだろうから、娘のような幻聴が全て、霊と関わること、とは言い切れないとは思う。
ひどい摂食障害や精神疾患の中でも時期的なものも含めて、命に関わるような危険性のある場合には、服薬だったり専門的な治療は決して欠かせないだろう。
でも、急に、精神的なバランスを崩すとか、学校行きたくないとか言い出した時、その子を通して、ご先祖さまなり何なりが、癒やされたいと思ってる、そんな場合も、あると思う。
だから、ほんの少しでも、その存在に声をかけてあげて、つらかったね、って言ってあげてほしいな、って。
あなたもいっぱいいっぱいつらかったんだね
そのつらさ、分かったよ
でも、この子は幸せに、生きるよ
あなたの分まで
だから、一緒に幸せになっていこう
その霊が癒やされることで、多分、生きてる私たちも、また癒やされる。
ご先祖さまの霊であれば、その家系そのものが、大きく大きく癒やされることになる。
それは、ものすごい、光の仕事だ。