地中海のかぼす
Cabosser、キャボゼと頭の中でカタカナに直して呟きながら辞書を引くと、「でこぼこにする・へこませる」という意味らしい。すぐにベコベコになったかぼすのイメージがよぎる。ところどころに茶色の汚れがあり、へこんだ部分が色素沈着している。うすい外皮は頼りないなめらかさ。切るとすぐに果肉が露出する。うらぶれた見た目に反し、太陽に透かしたように清潔な色をしている。ここまで来たら、想像を早く現実のものにしたい。「かぼす」を引いてみる。la cabosse.完璧だ。la cabosse cabossée(動詞cabosser「へこませる」の受け身形). ラ・キャボズ・キャボゼ。リズムに弾んで悦に入る。ああフランス語をやってて良かった。汚れてうらぶれていたはずのかぼすは、いつの間にか安直なイメージキャラクターのように明るく笑い、靴を履いた足を片方、空に向かって上げている。
この話を、分かる人へすぐに伝えたい。こんなに面白いんだから。べこべこかぼすを発見するまでの経緯を話して聞かせるところを想像する。思考の流れを整理して、人に伝えるための言葉に直す。僅かな違和感が芽生える。一人気ままに考えていたときには注視しなかった部分が急に際立つ。疑問が一つ、すべり落ちる。フランス語話者たちの生活に、果たしてかぼすは登場するのだろうか?俄かに焦る。Safariを開き、検索窓にla cabosseと打ち込むと、どういうわけかカカオの実の画像がいちめんに表示された。かぼすではなくカカオ。辞書を見直すと、たしかに「カカオ」と記載されている。というより、一番初めにカカオとあり、かぼすは"二番手"の意味として登場している。つまり、日常生活における使用頻度はカカオの方が高いのだろう。焦りが増す。recette à la cabosse (かぼすを使ったレシピ)で調べ直す。チョコレートを用いたスイーツのような記事がたくさん出てくる。チョコとバターをたっぷり使用した濃厚なテリーヌ。美味しそうだ。どんどんスクロールする。キャラメルとチョコレートの二層ビスケット。堪らない。
かぼすはカカオに全面敗北していた。フランス語話者たちが生きる世界では、かぼすは食べられていないのだ。つまり私が考えたla cabosse cabosséeとは、理論上可能であるにせよ、実際にそのような表現を用いる人間はゼロに等しいという結論に至った。これでは自動翻訳より酷い。
外国語を使う際に気をつけなければならない事といえば、文法や単語といったものを挙げられる事が多い。100%正しい。しかしそれだけではない。見落とされがちだが、外国語はそのことばが使われている土地や人々の文化と共生関係にある。故に、フランス語辞典を開いてかぼすの箇所を探し当て、cabosseという単語に行き着いたとしても、それだけで満足してはならない。ご都合良ければ、どうか立ち止まって欲しい。日本に住んでいてすら、かぼす(スーパーで買うと高い。いわんや)を目にする機会は多くない。フランス語話者が生活しているのは、フランス本国、スイス、ベルギー、アフリカ諸国、カリブ海諸国など。彼らの生活に「かぼす」が登場する可能性が低いことを想像するのはそれほど難しくない。ここまで考えれば、la cabosee cabosséeが「生きていないフランス語」である事実に気が付く。辞書でも、かぼすではなくカカオが初めに書かれていた意味もより深く理解できるだろう。だから外国語学習はいつも、少しの謙虚さをもって行うこと。