見出し画像

【短編集】月曜日はウォーキング・デッド -音楽にまつわる創作ショートストーリー (3)

episode3. Raindrops Keep Fallin' on My Head

     ー雨にぬれてもー

「だって、雨に濡れたら歌いたくなるじゃないですか」
はしゃぐ子犬みたいに無邪気に、そのひとは笑った。

Monday

「ごめん!急用入ったから、モーニング代わって」
マスターからの電話でたたき起こされた。
ただでさえ朝は苦手で、ただでさえ無愛想な私は、思いきり不機嫌なため息で答えた。
「…モーニングなんて、やったことないです、無理」
「ほとんど客来ないから大丈夫!コーヒー淹れて、トースト焼けばいいだけ。サラダは作ってあるやつが冷蔵庫にあるから、それ出してくれればいいよ。ジュンちゃんならできる!わかんなかったらお客さんに聞いて。どうせ常連しか来ないんだからさ。」
…もう。こんな店だから、常連しか来ないんだよ。
腹の底からため息を吐き出し、やっとのことで身支度した。
しかも雨だ。サイアク。

「いやあ悪いね、無理言って。あ、こちら常連の山田さんね。この子、遅番してくれてるバイトのジュンちゃん。よろしく、じゃあね!」
機関銃のようにまくし立ててエプロンを押し付け、マスターは遁走した。
カウンター席に残された若いサラリーマンが、コーヒーカップ片手に笑顔で会釈する。
「あ…どうも…いらっしゃいませ…」
だめだ、スイッチ入らないままだ、私。顔がこわばっているのがわかる。
「コーヒー、入れましょうか?僕、上手なんですよ」
「あ、いえ、お客さんに、そんな…」
人懐っこい感じの人。営業マンかな。
「いいお店ですよね、ここ。隠れ家っぽくて。すごく気に入ってるんです」
年季の入ったレトロな調度品、名画のポスター、セピアに染まった壁紙を見渡して言う。
「…いつもいらっしゃるんですか?モーニング」
「平日ほぼ毎朝来てます。ここでこの音楽を聴いて、コーヒー飲んで、スイッチ・オンって感じです」もはやルーティーンですね、と、にっこり。本当に愛想いい人だな。
店内にはいつも、ジャズピアノのレコードが流れている。映画好きなマスターの趣味で、
「ムーンリバー」や「カサブランカ」など、古いスクリーンミュージックが中心だ。
 ―カランコロンカラン 
「あ、あの人も常連さんです。多分、サラダモーニングとブレンドコーヒー、かな」
ドアベルを鳴らして入ってきた新しい客について、小声で教えてくれた。
「じゃ、僕はそろそろ。ここに代金置きますね」
そう言って立ちあがると、開いたドアの向こうを見て、山田さんは固まった。
「え、まじか…」
きっと閉じかけたドアから見えたのは、天気予報泣かせの想定外雨模様だ。
「ああ、すみません、わたし雨女らしくて、よく降るんです。この傘、よかったらどうぞ」
「うわ、助かります。夕方、返しに来ます」
その傘、開くと内側にきれいな青空が描かれているの。すてきでしょ?
ちゃんと返しに来てくれそうだから、貸してあげますね。絶対返してね!!
遠ざかる後姿に向かって心の中で呟いた。
でも、返しに来てくれなかった。サイテー。


Tuesday

マスターに借りた傘は、いかにも100円均一ショップ、なビニール傘だ。
でも、ないよりはいい。今日も雨だから。
通常どおり夕方出勤だったのでたっぷり睡眠をとって調子がいい。
大学生だったころは真面目に早起きしていたから、こんな緩い生活考えられなかった。
でもこんな生活を続けてていいのかな、私。
考えない。今、突き詰めて考えたら深い穴に落ちて出られなくなる気がする。
「食べて、寝て、起きて、ちょっと働く。今はそれでいいんじゃない?」
お気楽なマスターが片方の眉毛を上げてヘタクソなウインクをした。
「明日は明日の風が吹く、Tomorrow is another day!ってさ」
「それ『風と共に去りぬ』ですね。マスター、絶対意識してますよね、その髭」
「だって、俺、バトラー船長の生まれ変わりだから」
「作中人物です。生まれ変わりません」
だから、『喫茶バトラー』なんだ。たしかにクラーク・ゲーブル演じるレット・バトラーはいい。
「あんな素敵な人が、なんで我儘なスカーレットなんかに、ってずっと謎」
「ジュンちゃんにはまだわかんないだろうよ」
「ところで、このあいだの婚活うまくいったんですか?」
店が暇なので雑談ばかりだ。
「いつもいつも婚活だと思わないでくれよな。野暮用だよ昨日は」
バツイチ中年のマスターはこの店を継ぐ前は有名店のバリスタだったのに、「シネマカフェを開業したい」って独立、「公私ともにソロになった」のだそうだ。ソロ、っていえば聞こえはいいけど。
「それに、探しているのは結婚相手ではなくて、この店の共同経営者なの!」
「それは必要。マスター儲ける気がないからこのままじゃ潰れますよ。そしたら私が困る」
壁の鳩時計が17時を知らせる。
拭いていたグラスを棚に収めると、私が向かうのは店の奥にあるスタインウェイのアップライト。レトロな匂いのするピアノの前に座ると、目を閉じてメロディが下りてくるのを待つ。アーチ形の窓から夕陽が差し込んでくる。
ああ、今日は「タラのテーマ」だな。いつもマスターが流すレコードで馴染んだ曲。
アメリカ南部のタラの景色を思い浮かべてゆったりと鍵盤を撫でる。
楽譜は使わず聞いたままの音を自分なりの解釈で自由に演奏する。
頭を空っぽにしてピアノに向かう。
それが今の自分に必要な時間だとわかっているから。
溢れ出てくる音に身を任せるように指は鍵盤上で踊る。
メドレーで思いつくまま流れるように次の曲に移る。
最後の和音の余韻が消えると、拍手が沸き起こる。
いつの間にか、店は常連客で満席になっていた。
マスターが大げさに、ヘタクソなウインクをした。
サイコーな時間だ。


Wednesday

閉店後の掃除をしていると唐突に、あるメロディが浮かんだ。
鼻歌を歌いながら掃除をする母を思い出したのだ。
これはたぶん映画『明日に向かって撃て』のテーマだ。
あの西部劇は、ロバート・レッドフォード好きの母と一緒に見た覚えがある。
子ども心に「なんて馬鹿な大人たちだ」と思ったが口には出さなかった。
いつも厳しく怖い母だったが、夢中になって映画を見ている横顔だけは好きだったな。

掃除を終えて、ホールのライトを消し、ピアノの前に座る。
曲の記憶を辿りつつ、明るく軽いテンポで鍵盤を叩く。
ラストシーン、絶体絶命の場面で軽口を叩いている主人公たちが脳裏に浮かぶ。
俺たちは自由さ、気楽にいこう。そんなふうに歌っているような気がした。
…ううん、気のせいじゃない。歌声が…。
はっとして振り向くと、入り口に誰かが立っている。
歌声はそこからだ。…ええと…山田さん…?
「ああ、すみません。知っている曲だったので、つい」
頭を掻きながら恥ずかしそうに肩をすくめる。
「ピアノ、お上手なんですね。ああ、僕は傘を返しに来ただけで、すぐ帰りますので」
「山田さんこそ、きれいな声ですね。声楽とか…?」
「あ、いや、学生時代に合唱を少しやったぐらいです。歌詞ももう忘れちゃって」
「私も耳コピなので適当なんですが、よかったらもう一回最初から」
「え、本当に?」
チャ、チャーン、チャ、チャーン。短い前奏。
“Rain drops keep fallin’ on my head…”
誰かと一緒に音楽、なんて久しぶりで、楽しい。呼吸を合わせて、音を重ね、奏でる。
そう、音楽は楽しいものなんだ。
いつから忘れていたんだろう。

灯りを落とした店内で、山田さんが「傘のお礼に」くれたコンビニスイーツを頬張りながら、柄にもなく自分語りをしてしまったのは、たぶん音楽の魔法のせいだ。
私は、やや「毒親育ち」であること、音大を自主退学してしまったこと、そのせいで親と絶縁状態であることなど、マスター以外に話したことのないプライベートな事情を語ってしまった。
「一時期、ピアノを弾くことができなくなったんです。何のために弾いているのか、自分の人生がわからなくなって。で、大学やめたの。遅れてきた反抗期、ってやつですかね」
「今のように、弾けるようになったきっかけは?」
「…この店、かな…」
アルバイト募集の張り紙を見て入った喫茶店で流れていたジャズ・ピアノ。それはレコードだったけれど、その自由奔放な表現に驚いて、気づけばテーブルの上で指が動いていた。
マスターは目ざとく察して、私をこのピアノの前に連れてきて、「好きに弾いていいよ」って。
「お客さんが少なかったからできたんでしょうけど。弾けた自分に驚きました。」
「そうか。ピアノ、売らないでよかった。前のオーナーの置き土産なんですよ、これ。」
マスターにこの店を紹介したの、僕なんです。少し照れ臭そうに山田さんが笑った。


Thursday

「え。山田さんって、何歳なんですか?」
翌日、マスターに事情を確認して驚いた。だって、どう見ても20代前半、社会人なりたてに見える童顔…。
「多分、30代だよ。区役所でも中堅じゃない?ああ見えて、しっかりしてる人よ。生活課で、いろんな人生を見てるからかなあ。」
前のオーナーは老夫婦で、長年ここは音楽喫茶として町の人に愛されていたんだって。でも年齢的に限界で、跡取りもなくてさ。ちょうどそのころプータローになって区役所に相談に行ってた俺に白羽の矢を立てたのが、山田さん、ってわけさ。オーナーとも、音楽や映画の話で盛り上がっちゃって。奇跡的な出会いだ、って。
条件は「週1日、クラシックレコード鑑賞の日を設ける」だったんだけどね、客になったオーナーが「クラシック飽きた」って言いだして、今に至る、よ。
今やみんな、孫同然のジュンちゃんにメロメロ状態。いや、君が来てくれてよかった。
「だから今日もよろしくね」と下手なウインク。
「繁盛してるんだったらバイト料アップしてくださいよ~」
―カランコロンカラン―
入ってきた客を見て、私の心臓が一瞬凍り付いた。
「な…んで、ここに…」
「あちゃー、ちょっと早すぎ」マスターの呟き。


隙のない出で立ちで現れた女性が緊張した面持ちでこちらを見据える。


母だ。



Friday

「昨日は演奏中止だったらしいですね」
閉店間際に訪れた山田さんが、差し入れのどら焼きを手渡しながら言った。
遠慮せずいただきながら、わたしは仏頂面を少し緩めた。
「多分ご存じでしょうけど、マスターとは口をきいていません」
「でしょうね。マスター、反省していましたよ。時期尚早だった、ってね」
「余計なお世話なんです。お世話になっていて言うのも、ですが」
「優しいけれど、不器用なんですね、マスターは。だから奥さんともうまくいかなかったんだろう、と想像しちゃいます。良かれと思って、先走ったり。言葉足らずだったり。」

遠くで雷が鳴っている。照明が時々、不安定にまたたく。
店の奥で、ピアノが震えているように見えた。
「小さいころ、いっぱい叩かれました、手を。練習が足りない私が悪い、ミスした私が悪い、そう思っていました。でも、コンクールで賞を取った時、すごく褒めてくれて。ああ、頑張ってよかった、次はもっといい賞を、って。」
譜面通りに弾きなさい、もっとしっかり感情をこめて。
だんだん、自分が操り人形のように思えて。音大に合格して、すごい人たちの中に放り込まれて、初めて気づいたの。私は「空っぽ」なんだってことに。空っぽな人形の私、ピアノがうまくひけなかったら何の価値もない人間だ。
「おかあさんは、そう言ったの?」
「ううん。でも、きっとそう思ってます。あのひとは、私を自分の分身だと思ってる。それがこんな情けないやつでがっかりしてるの。」
「そうか。ジュンさんは、がっかりさせて申し訳ないと思っているんだね。お母さんの気持ちばかり、考えてしまうんだね。」
涙があふれて止まらない。堰を切ったように。なぜだろう。
「叩いたりされたのに、お母さんの気持ちを一番に考えてしまうんだね。」
きみは、優しい子だね。
山田さんの声は優しい。
しっとりと包む霧雨みたいに。
「僕もさ、自分の気持ちより人も気持ちを優先する癖があったからわかる。優先できているときはいいんだ。こたえられなくなったとき、きついよね。自分を責める。そして結果的に相手を嫌ったり憎んだりしてしまう。誰も幸せにならないのにね。」


いつの間にか、店を出て、雨の中に立っていた。
遠く、雷鳴が聞こえる。
傘を。傘をささなきゃ。
「君の声を無視しちゃだめなんだよ」
「私の、声?」
「そう。君の声は、君しか聞いてあげられないじゃない」
ピアノを弾くの、好き?
「ピアノを弾くのは、好き」
ほら、そんな感じ。それでいいんだ。
「たとえば、君の傘、青空の絵が素敵だったけど、僕は本当はね、雨が好きなんだ
だって、雨に濡れたら歌いたくなるじゃない?」
“Rain drops keep fallin’ on my head…”
雨の中、両手を広げて山田さんは歌いだした。
映画のワンシーンのように、ミュージカルスターのように。
楽しそう。
ううん、楽しい。透明な鍵盤の上で指が勝手に動く。弾きたい。

“Nothing’s worrying me
Nothing’s worrying me ”

その瞬間、雷が鳴り、バケツをひっくり返したような大雨になった。
私は慌てて店に飛び込む。山田さんを残して。
「山田さん、よかったですね!大雨!」

なんだかわからないけど、可笑しくて笑っちゃう。
私の言葉が聞き取れたかどうかわからない。
雨にはしゃぐ子犬のように無邪気に、そのひとは笑った。
“Nothing’s worrying me”

                                   The end


2021年5月29日、アメリカの歌手 B.J.Thomas さんが亡くなられました。享年78歳。謹んでご冥福をお祈りします。

この「雨にぬれても」( Raindrops Keep Fallin' on My Head)は彼の代表作でした。

https://www.youtube.com/watch?v=mJlPNfIsn_s

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?