また、動き出す
止まってた腕時計の電池、そろそろ入れないと。
そう思って、良さそうな時計店にGoogle Mapであたりをつける。
なんでこんなことになってるかといえば、これまで世話になっていた、おじいちゃんが切り盛りする時計店がコロナ禍のせいか店じまいしてしまったからだ。なんやかんやで動かないまま2年近くほっぽってしまったんじゃないだろうか。
私の時計は小指の爪くらい小さな文字盤で、電池もちっちゃい。はじめてそのおじいちゃんのお店に行った時も、「この電池の在庫があるのはうちの店くらいだよ」と得意げに言って、「ちいさいねぇ〜、ちいさいねぇ〜」と、楽しそうに電池を交換してくれた。
最後に時計をきれいに磨いてくれて、いい時計だから大切にね、と手渡された。
たしか新宿のマルイで2万円くらいで買ったシチズン。
でも、値段とかブランドで言ってるんじゃないことは伝わってきて、「そうなんです」と答えて、時計を受け取った。そう、私にとって最高の時計なんだ。やっぱりそうだったんだ、と本当に感激した。
そのおじいちゃんのお店が閉まってしまったのならしょうがない。この時計も潮時なのかもなんて傲慢にも放置していた。
今日訪れた時計店。「ごめんください」と扉を開けるのがぴったりの店構えで、でも咄嗟にそんな気の利いたことを言える人間ではないので、こんにちは〜と扉を開けた。明るい女性の声が店の奥から応答した。今すぐ交換できる電池があるなら交換をしてほしいのですが‥と申し出て時計を渡す。
おお小さい、などといいながら、颯爽とルーペを取り出して時計を見聞する。ブラシもササっとかけたりして、その一連の仕草や座っている様子がとてもよくって、私もお店の椅子に腰掛けて、店内を見回したり、作業を盗み見たりして待った。
時折、店の奥から、彼女の父親と思われる人の声がする。どんな時計が、どんな用件で持ち込まれたのかを聞いてるみたい。
彼女はそれに、電池の交換!ちっちゃくてかっわいいの。シチズン!かわいいのー!と答えていた。
そうなの、ちっちゃくて、かっわいいの、私の時計。
もう胸がいっぱい。
彼女もやっぱり最後にきれいに時計を磨き上げて、シチズン、こんなの作ってたのね、と言って返してくれた。
また、時間が動き出した。
この世にちっちゃい電池がある限り、大切に使い続けるぞと決意を新たにして、来た道を戻った。
夜、スーパーでスイカを買う。スイカ食べると体にこもった熱がとれて、スッキリとするね。
猫もちっちゃくてかっわいいの。