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[AC]兄弟への恋心、と勘違いしたものの正体
母のことはかなり受け入れた。
それでも、定期的に毒を吐いた方がいいかも?
そんな気がする。
受け入れた、大丈夫👌と思っていても、
私の中にいる母の分身は、相変わらず毒を垂れ流している。
その毒は徐々に私を蝕んでいく。
ふと昔の寂しさや怒りを思い出しては、仕方なかったよね…と受け入れていたけど、そうじゃない。
母の言動は仕方なかったかもしれない。
けど、私はそんなふうに片付けなくていい。
怒っていい。
吐き出していい。
母を受け入れることより、
私自身の感情を受け入れてあげないと。
そんなわけで、今回は兄の話。
40代の兄と母の、捻れた関係について。
飲み込んできた気持ち悪さを吐き出したいと思う。
その過程で、見えるものもあるだろう。
1 | 兄の歴史
1.1 | 夫よりも夫な長男
幼い頃から兄は優秀だった。
ひらがな・カタカナ・アルファベット・足し算・掛け算…と、就学前にはひと通りマスター。
イラストと文字が裏表の積み木では、文字の方に興味があった。
毎日、襟付きのシャツを汚すこともない。
「右を向きなさい」と言えば右を向く、従順な子どもだった。
息子に妻を奪われたヤキモチから、父に殴られていた兄。
母が高熱でも食事の支度を待つ父とは対照的に、枕元で絞りきれてないタオルを母の頭に乗せる幼い兄。
それが母が誇らしげに語る、私が知らない兄の幼少期だった。
夫よりも夫だった、という母の気持ちもわかる。
そんな幼い兄を想像しては、胸がギュッと掴まれるような苦しさがある。
そして私もまた、そんな兄が誇らしく憧れで…というには行き過ぎた感情。
1.2 | 恋心なのか、他の何かなのか
弟を含めて兄弟が大好きすぎる私。
恋心にも似たこの感情に罪悪感を抱き、ずっとその正体がわからなかった。
兄弟へ感じてはいけない感情と思い込み、ずっとひとり仕舞ってきた感情。
しかし、夫へ感じたものとも違う不可解さ。
その正体、今回の振り返りでようやく突き止めた。
恋心なんて純粋な好意ではない。
そのこと自体には、心の底から安堵しているが。
その正体こそ、今回の寂しさの先に見つけた私の生きづらさを紐解くキーだった。
1.3 | “できない”葛藤、“できる”葛藤
兄は6歳も離れているので、兄弟というよりは父親代わりといってもいい。
母と兄は私にとって、神様のような存在だった。
私が小学校に上がる頃、兄は中学受験を終えた。
日本一と言われる名門校に入学。
田舎の小学校からは初の輩出で、神童と言われていた。
クラスの女子から黄色い悲鳴が上がるのも見たことがある。
塾でもそれはそれは大事にされていた。
そんな兄の歪みが表に出はじめたのは、この頃だと思う。
“できる人”というのは、私のような“できない人”とはまた違う葛藤があるようで、羨ましいとは別になんとなく歪みを感じていた。
“できる”と認識されると、できて当たり前を期待されるようになる。
私はそこが“できない”という限界で、文字通りできなかった。
しかし、兄はその期待に応えることが“できる”ゆえの葛藤。
“できた”らその上を求められる。
維持することは当たり前。
やってもやっても、期待に限りがない。
日本一の志望校に5年生の時点でA判定。
側からは悩みが見えない兄は、隠れて塾へ行かなくなり成績も落ちた。
1.4 | 天才ゆえの悩み
とはいえ、志望校は合格。
滑り止めは落ちた、いや落とした。
滑り止めは仏教校で坊主が校則。
絶対に行きたくなかったようで、ギリギリ落ちるような点数を計算したらしい🤣
凡人の私には到底理解できない、もはや本当なのか嘘なのか冗談なのか…ちょっと意味がわからない😇
志望校…と言っても日本一だから(母が喜ぶだろう)、そんな理由だと思う。
強いていうなら、私服OK👌というメリットはあったのかもしれない。
念願の中高生活。
学校へ行かない日々もあったのだろう。
とはいえ、天才しかいない学校ゆえ放任主義。
最低限の出席日数を満たせば、実力主義だ。
私学ゆえに学校側も黙認。
なんなら、「勉強しろ」と言ってやるような子どもたちではない。
放任しててもやる時はやるし、どれだけ目をかけてもやる気がなければやらない。
兄には都合のいい環境だったかもしれない。
中学受験からの歪みが徐々に大きくなっていった兄。
大学受験では志望校を落とした。
滑り止めは受かっていた。
通常であれば大手を振って入学するような滑り止めを、アッサリ蹴る。
なぜ受けたのかもよくわからないが、
天才の意図を理解しようとするのは諦めた😇
そして、浪人生活が始まった。
翌年の受験も落ち、
20歳を超えて突如、兄は姿を消した。
ようは、家出した。
当時、私は中学生だった。
「見つからなければ離婚する!」
と母は荒れた。
とはいえ、私たち子どもからすれば離婚騒動なんて通常運転だった。
しかし、父は兄を探して駆け回ったようだ。
20歳も超えた兄の心配、などではなく
今度こそ離婚されるという危機感だったのではないだろうか?
警察に連絡しても、成人した人間の居場所はたとえ息子であっても探せない、ということだった。
まあ、成人男性の家出だ。
本人の意思が尊重される、ということも兄の計算済みだった気がする。
しかし、
どんな伝手を使ったのか父は兄との連絡をとることに成功し、兄は家に帰ってきた。
「おまえが家に帰ってこなければ、お母さんは離婚すると言っている」
そう言って父は、いや実質的には母が、兄を脅して家に連れ戻した。
日雇いのバイトで食い繋ぎつつ費用を貯め、あと数日後にはこの地域から飛ぶ予定だったらしい。
1.5 | 神様の人間らしさ
帰ってきた兄が靴を脱ぐより前に、母は包丁を差し出した。
「私を殺してあなたも死になさい」
当時はとんでもないことが起きたと思ったが、
今思えばとんでもないのは母の思考回路だけだった。
兄もそのくらいの脅し、脅しとわかっているからこそ慣れたもので、サッと包丁を受け取って背後に隠した。
その後の流れは覚えていないが、その後の2年合計4年の浪人を経た。
その浪人期間、兄は特別勉強している風でもなくネットギルドのオーナーとして活躍していた。
そんな兄の部屋に、私は入り浸って勉強しつつ兄のゲームを眺めていた。
勉強にゲームに人間関係…なんでも卒なくこなす多才な兄。
才能をムダ遣いしているようにも見えるし、何に対しても本気になれない不器用さに、兄弟としての愛しさもあった。
それまで神様だった兄の、人間らしさ。
ようやく兄弟になれたような、ある意味私はホッとするところもあった。
おそらく浪人最後の数ヶ月、サラッと赤本を叩き込んでセンターと面接だけで、兄は地方の大学へと進学していった。
2年後に私も進学できた程度の偏差値。
あの天才が、だ。
なんなら、一年目に受かった滑り止めの方が難易度が高い。
それでも、大学の4年は興味のある勉強をできたのだろう。
兄にとっての浪人は、点数を上げるためなどではなく、自分探しの時間だったようだ。
母の言いなりで、幼少期にできなかった自分探し。
ようやく何か見つかったのかもしれない。
大学院を卒業した兄は、時期を同じく大学を卒業した私と共に、Uターン就職で実家へ戻った。
こうやって振り返ってみると、大学に入学した頃には兄は落ち着いていた。
私と違って反抗期と向き合い、浪人に家出と母の過剰な期待を折ることに成功し、自分探しができたのだろう。
浪人期間と大学生活は母から解放され、むしろ優等生を諦めた母に甘え、好きなように過ごせたのかもしれない。
会社でも大事にされ、愚痴を吐きながらも仕事に趣味にと、今ではそれなりに楽しそうだ。
2 | 母と兄の歪んだ絆
2.1 | 長男で夫で手のかかる男
一見すると、ハッピーエンド。
それなのに、私の目に映るこの歪み。
それは母の看病をしていた幼い兄のまま、未だに母の夫代わりを演じていることだ。
兄は母にとっての長男と夫の二役を演じている。
一切の家事をせず手のかかる男。
母の手料理を好物にしているマザコン長男。
経済面で支える夫。
母の愚痴や相談を聞く夫。
仕事の愚痴をこぼす夫。
いつまでも親離れできない情けない息子。
を演じて、母を支えている。
その現状を作り出した原因に、自分が噛んでしまっていることが一番悲しい。
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