栃木県と日光、そして二荒山
日光は世界的に有名な観光地です。日光は栃木にありますが、栃木県はあんまり有名ではありません。栃木県の影は薄いのです。一部の不見識な人たちは日光が栃木県であることを知らないし、宇都宮が栃木県であることも知りません。しかしながら栃木県は一つの共同体を成しています。その共同体を形作る一つの要素は二荒山神社でしょう。
二荒山神社は二荒神を祀った神社です。二荒神は下野国の神で、9世紀から栃木県中央部で信仰されていた神なのだそうです。現在、二荒山神社の総本社は宇都宮と日光にあります。祭神が異なるため異なる別個の神社ですが、二荒山や二荒神という共通項を持っています。日光二荒山神社の祭神は男体山で、男体山を二荒山とよんでいます。
さて二荒山はなんと読むのでしょうか。栃木県人は「ふたらさん」と読みます。栃木県に住んだことがあるかどうかは二荒山の読み方で判断できます。宇都宮二荒山神社は「ふたあらさん」というんだと書いてあるサイトもありますが、そんな区別してよんでる人は見たことがありません。栃木県には他にも特徴的な読み方をする地名があります。徳次郎もその一つです。
栃木県は5-6世紀の古墳時代から人が住んでおり、下毛野氏が支配していました。下毛野氏は崇神天皇からくる皇別氏族です。二荒は「にこう」と読め、日光の語源だそうです。男体山、二荒山、日光山と関連があることがわかります。日光二荒山神社、輪王寺、日光東照宮が二社一寺として有名な日光は、徳川家康が神格化を狙って選んだ場所です。
8世紀に勝道上人が大谷川近くに四本龍寺を建て、そこから男体山に登頂し、湖のほとりに中禅寺を建てたのが日光の開山でした。家康は日光には一度も来たことはありませんが、遺言で駿府の久能山から一周忌を過ぎた後に日光に小さな堂を建て勧請せよ、そして八州の鎮守となろうと言ったそうです。それには天海が影響を与えています。天海という僧侶は家康の側近でした。そして天海は輪王寺の住職でした。源頼朝ら関東武士の山岳信仰の霊場である日光は室町時代がピークだったので、天海は日光を再建したかったのでしょう。
日光は、江戸、すなわち東京の真北、北極星の方向にあることから、それを理由にする話もあります。北極星は支那では宇宙を司る神なんだそうです。家康もそれを使って神格化されたかったんだと。いつの時代にも親中派はいるのですね。だいたい日光は神仏融合が進んだ地で、例えば男体山、大国主命、千手観音が一体としてとらえられています。そこに支那の北極星伝説はなじまないでしょう。
浅草から東武特急で2時間もあれば行ける日光はいまや外人だらけです。まだうざいほど多くはありませんが、富士山や京都みたいにならないように管理してほしいなと思います。
(Jul/2024)
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