シギリヤの朝
筆者は2024年9月にシギリヤロックへ行きました。シギリヤロックは天空の城でユーチューブで見たときには、ここはぜひ行きたいと思っていた場所です。
シギリヤはスリランカの内陸部にある村で、バンダナライケ空港から車だと3時間、ニゴンボからバスを乗り継いだり、コロンボから電車やバスを乗り継ぐともっとかかります。筆者はバンダナライケに着くのが深夜1時ごろだったので、その辺に泊まって朝から移動よりは一気に行っちゃおうと思い、高かったけど送迎を使って夜中移動しました。
シギリヤに4時ごろ着くと、ホテルの人は迎えてくれましたが、部屋は空いていないのでロビーで待つことに。そしてロビーは一階にあるのではなく、屋上にあったのでした。オープンエアーでエアコンなし。でも夜だったのでそんなに暑くはありませんでした。東京の熱帯夜のほうがはるかに暑かったので不思議な感じでした。
移動中にうとうとしましたが、ここでは結局眠れず、1時間半後にシギリヤロックへの送迎となったのでした。まだ暗いなか移動です。
シギリヤロックにはすでに多くの人たちがいました。日の出を見るために朝登る人たちです。
えっちらおっちら登ってゆき、途中の足の部分のところで日の出でした。
ここからさらに登ります。
階段は手すりはありますが、手垢であんまりきれいじゃなく、またオープンなのでちょっとスリルありました。それでも次第に見えてくる大自然の全貌は目を見張るものがありました。
そして頂上。ちょうど太陽が全部出てきたくらいの時間で、大変清々しい。東京からシンガポール経由でさらにバンダナライケから深夜移動後のほぼ徹夜状態でしたが、気分は大変良く、ここでしか見られないこの風景を見ることができて非常に結構な時間でありました。
ここは5世紀のシンハラ王朝の王宮の跡です。5世紀にこの岩の上に王宮を建設できる力をかつてのスリランカ人は持っていたのです。
その後シギリヤは没落し、修道院として使われていたものの忘れ去られていましたが、1875年にイギリス人が再発見しました。シギリヤレディのフレスコ画とともに。
いまでは土台しか残っていませんが、しっかりした造りであることは行ってみると分かります。
この王宮をつくったカッサパは父親を殺して王位をとったため、自分の弟モッガラーナから攻撃されることを恐れて、こんな岩の頂上に王宮を造らせたのだそうです。親を殺したわりには気が弱い。
カッサパは結局モッガラーナに滅ぼされシギリヤは陥落。その後アヌラーダプラに都は移りました。このような歴史を持つシギリヤロックですが、なにはともあれ、この絶景は行かないと見れないし、見れて良かったと思った次第であります。
シギリヤロックはシギリヤレディというフレスコ画でも有名です。
シギリヤレディは撮影禁止なのでどこかのウェブサイトを見て欲しいですが、綺麗な壁画でした。そして下山。シギリヤの朝、スリランカ最初の朝は、このように大変有意義に過ごせました。
次の日、朝のジョギングで別方向からシギリヤロックをまわりこみました。そのあとピドゥランガラ方面に向かったところ、野犬の群れに行く手を阻まれたあげく襲われ、あやうく戻ったのでした。一匹ならまだしも数匹では勝てないのであります。
(Jan/2025)