見出し画像

端島、長崎から

明治から昭和にかけて、我が国の産業を支えた島が端島です。江戸時代から細々と始まった石炭の採掘は、明治になって三菱(いまの三菱マテリアル、過去の三菱鉱業、三菱商会)が開発を加速させました。年間約25万トンの石炭を生産していたそうですが、石炭需要が減ったために1974年に閉山しました。現在は一般人はツアーで行くことができます。

端島は長崎半島沖4.5kmにあり、長崎港からは約18km、およそ40分ほどの船旅になります。しかし着いても波が高いと上陸できません。年間で100日程度しか上陸できないので3割くらいの確率です。この日は運良く上陸できました。

炭鉱跡

赤レンガ造りの炭鉱総合事務所跡や坑道へのリフト跡が見られます。

端島の石炭は良質だったので八幡製鉄所に送られ、製鉄用原料として用いられました。鉄は鉄鉱石、石灰石、石炭から製造されます。石炭はまず蒸し焼きすることで、揮発成分が飛んだ炭素純度が高い多孔質のコークスと呼ばれる状態にします。コークスと鉄鉱石が高炉で反応します。高炉は2000℃を超えるため、コークスCがCOガスとなり、そのCOが鉄鉱石から酸素を奪ってCO2になることで純度の高い鉄Feができます。鉄Feは高純度である必要があるので原料である石炭も高純度でないといけないので端島の石炭が使われたのですね。ちなみに石灰石は高炉前に鉄鉱石を焼結させて顆粒にする役割に加え、高炉では鉄鉱石からSiを奪って鉄の純分を高める目的で使われます。

端島は我が国最初の鉄筋コンクリートアパートが建てられた地としても有名です。

30号棟跡

1916年、大正5年に7階建ての30号棟が建てられました。この稿を書いているのが2024年なので100年以上前からこの建物があったのです。端島の人口は5000人を超えていたので上へ伸ばす必要があったのです。当時の最先端をいっていた島だったのでしょう。

海から見た端島の建物

端島には住宅や商店、映画館、小中学校も神社もありました。一般人はそこまではいけませんが、鉄筋コンクリートで全てが造られた町はないと思います。どの建物も風化劣化が激しくいつまでもつのか分かりませんが、保存して欲しいものです。このような島は世界に例がないと思います。

端島を離れます

端島をあとにして長崎に戻ると夕方です。

稲佐山から海側をみる

夕陽が海に沈んでゆきます。太平洋側に住んでいる筆者にはめずらしい日の入りです。

長崎の夜景

長崎の夜景は、函館と神戸に並んで三大夜景とされているだけあって非常にきれいです。長崎Breezeや長崎小夜曲を歌いたくなります。

かつては長崎の出島が外国とのコンタクトウィンドウでした。その後は三菱が長崎造船所を造り、造船の拠点でした。明治42年(1909年)に設置されたカンチレバークレーンはまだ動いています。国産ではなくスコットランド製ですが。

長崎から

長崎は九州の端で行きにくいかもしれませんが、我が国の産業遺産を見て歴史を知るために行ってみる価値がある場所だと思います。
(Dec/2024)







いいなと思ったら応援しよう!