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依存症と共依存 ①

私の私的な見解なので、学術的に間違っている部分もあるかもですと、前置きしておきます。

私は、福祉の仕事をして20年以上にもなるので、様々な人と話して、いろいろな家族の事情を知ってきました。
その中で、発達障害と依存性、そして依存性を支えるイネイブラー、依存と被依存の関係。

嗜癖には、アルコール・薬物などの化学物質や、食物などの物質に依存する〔物質嗜癖〕と、ギャンブルや買い物・仕事・宗教・窃盗・エクササイズなどの行為過程に依存する〔プロセス嗜癖〕と、性行為や恋愛や人間関係そのものに依存する〔人間関係嗜癖=共依存〕がある」

私の父は一時期、アルコールに依存していた。そして、母はイネイブラーだった。

イネイブラーは、依存症者のとるべき責任を周囲の人が肩代わりしてしまい、依存症者がひき起こしてしまった問題に自ら直面しなくてすむようにしてしまう周囲の行動をイネイブリングと呼び、そうした行動をする人をイネイブラーと呼ぶ」

イネイブリングが共依存を助長する。
イネイブラーは、必要とされることを必要とする。

私の家族は共依存だったので、共依存家庭で育つとおのずと、依存することも依存させることも覚えていく。

依存症の人は、自分の嗜癖を続けるために、イネイブラーを必要とする。何故なら、嗜癖により耽溺すると、現実生活が送れなくなるからだ。イネイブラーにより、生活や嗜癖のコントロールをしてもらわないと、生きていけない。

そして、イネイブラーは、自分を必要としている依存症の相手を愛している為、適度に依存させた状態を保つ。
これが共依存の原理。

依存症を持つ人は、イネイブラーを利用しつつ、依存を手放せない。
依存対象は、アルコール、薬物、ギャンブル、投資、食事、仕事、買い物、性行為、性癖、ゲーム、エクササイズ、子ども、親、恋人、進学、信仰や趣味、ネズミ講や犯罪も入るだろう。ホストキャバクラ、地下アイドルの推し活も、もちろんそうだろう。
ありとあらゆる依存症がある。

依存症の人は、依存対象を隠す。そして、依存し続けるために嘘をつく。
生活費が潤沢にあるはずなのに慢性的に金欠な家庭には、依存症が存在する場合が多い。

依存症の人は、働き者が多い。何故なら、依存を続けるためにお金がいるからだ。しかし、収入を上回る出費や、体力を上回る行動のせいで借金や疾病を抱えたり、ハイリスクな人生になる。
その、不安定な生活のパートナーがイネイブラーなのだ。イネイブラーは、苦しみながら、生活を支えながらも、依存症の人を手放すことができない。何故なら、依存症側の巧みな言葉や態度が、必要とされている自分の存在価値や自己肯定感を高めるからだ。
この共依存は、実に絶妙なバランスで継続される。
バランスが崩れるとすれば、依存症の人が、過剰なストレスに耐えれず、依存行動が押さえられなくなったときではないか。
もう一つは、イネイブラーが、依存症の人を見捨てたとき。
どちらも、依存症の人にとっては、危機的状況だが、イネイブラー側は、心理的な空虚感にさいなまれ、しばらくは心に穴が開いた状態になり、無為な状態になる。

そして、再び、2人は元の木阿弥に戻る。これが共依存のサイクルである。




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