依存症と共依存②
さて、本題はこれから。自分は依存症じゃないと思っている人は多々いるだろうが、一線を運良く越えていないだけかもしれない。
発達障害 ADHDの傾向があると、この問題を抱えている人が多いかと思う。何故なら、感情の制御が効きにくいからである。
自分一人が依存症であれば、あまり周囲には迷惑がかからないが、依存症の人は、依存を続けるために、必ずといっていいほど周囲を巻き込む。お金が必要だからだ。
金づるを見つけると、必ず笑う。声高らかに。私はこの声を何度か聞いたことがある。
依存症と周囲の人間との構図は見えにくく、複数の依存関係が隠されていることもある。
多いのは、お酒とギャンブル、買い物、食事、イジメや暴力、暴言やモラハラ、これらのことは、常習になると快感を伴う。
快感を得るために、行動を続けてしまう。対象が原因ではなく、自分の中に原因がある。
これを続けてさせてくれるのが、支え手のイネイブラーである。時に、イネイブラーが、第三者を被害者として差し出すこともあり、虐待もその構図の中にあると思う。
イネイブラーは、常に善行で、被害者として装うため、周囲にはかわいそうな人として映るが、依存症の人が嗜癖に耽溺する手助けをしているので、コントロールをする側である。イネイブラーは、自分の立場を自覚し、しっかりしなければいけない。
依存症は、底付き体験が必要と言われ、いわゆる、底辺まで墜ちないと治らない場合もある。
イネイブラーが、手放し、また、手を差し伸べる度量を持つことが必要だと思う。
依存症を治すのは、本当に難しい。依存先も変わっていく。依存を手放すと廃人になる。イネイブラーは、過度に依存させないという使命感で支えていかないと、共倒れにもなりかねない。
依存症の問題は奥が深い