「片袖の魚」全文書き取りをしました
先日、大好きな詩人である文月悠光さんの「片袖の魚」という、文月ファンの私が今最も好きな詩、を全文書き取りしてみた。
細やかな息遣いが聴こえてきた。
句読点。「その」という連体詞の配置。一連目と最終連の同一の一行「あなが誰かのものになっていく。」の効果。
小学生の頃、全文書き取りの宿題をよく出す先生がいた。きれいに書かないと駄目、指定された教科書に載っている小説を10枚以上を書き写すという宿題は「指」を酷使した。数日かけて全文を書くのだが、そのせいで、小学2年生で鉛筆ダコが出来てしまう私!
全文書き取りの効用を知ることもなく書き写すのは、時間のかかる「嫌な」宿題だった。テレビを見ながら書いていた私には、小説の中身を「より深く知るため」という宿題の趣旨がまったく伝わっていなかった。
それでも書いたことで何か変わったのかな。
何事も「やらされること」というのは、伸びない。日々の生活や仕事のなかで「やらなくてはならない事」は、たくさんあるが、それを自主的にやるか、やらされているとみるか、で日々のクオリティは全く違う、と私は思っている。
どうせ、等しく、この世から早かれ遅かれみんないなくなるのだから、「やらされてること」にため息つきながら、日々を消費するなんて私は嫌だな。
自分の人生は自分にしか歩けない。
そんなのわかってるし聞き飽きたけど、だったら「つまらなくする」のも「楽しくするのも」自分次第だ。
元に戻りますが、文月悠光さんの「片袖の魚」が掲載されている詩集「わたしたちの猫」は、ナナロク社のHPから購入できます。
「片袖の魚」の英訳も読めるこちらから読んでみてください。
英訳もまた違う発見があります。
日本語にはない語(ニュアンス)が感じられて、冷たい水槽に触れたような気がしました。(なぜ、水槽なのかは、ぜひ詩の全文を読んでみてください)
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