「精神疾患をもつ親と暮らした経験」(小林鮎奈さん・その1)
♬るーるる、るるる、るーるるー♪ りら子の部屋です。
ゲストは、小林鮎奈さん。精神科の看護師さんでいらっしゃいます。「精神疾患を持つ親に育てられた子ども」のお立場から、そして精神科看護師として働く中で、日々考えることなど、お話しいただきます。
ちなみに、りらの中のひとは男です。たまねぎ風ヘアでもありません。
これまでに私が出会った、ちょっと素敵な方をお招きし、黒柳〇子さんばりに話を伺ってしまおう。それが「りら子の部屋」です。どうぞごらんください!
ナースで心理師で「こどもぴあ」の中のひと
― 小林鮎奈さんです。ご本人さまからも、自己紹介をお願いします!
今回インタビューしたいって言ってくれたのは、「こどもぴあ」っていう家族会の活動に興味を持ってくれたのが大きいと思うんですけど、精神科の看護師の中で、家族とか当事者だってことは、すごく言いづらいと思うから、ある意味(私が)オープンにしていることに興味を持ってくれたのかな、と思うんですけど。
精神科の看護師になって今年で5年目です。5年目になりました(笑)何も変わってないですけど(笑)。
― 公認心理師の資格もお取りになった。
はい(笑)結構何もない人なんですけど。趣味とか特技とかないし。
― えー!(笑)
精神科で勉強しているのは、トラウマケアと、トレーニングコース受けけど、オープンダイアローグかな。
小林鮎奈さん。ゆるふわ系の$@*な方。(「$@*な」の部分は、ご本人様の強いご希望で、伏字とさせていただきます笑)
※2021年5月2日 小林さんご本人からのリクエストで一部修正しました。 旧)トレーニングコース受けましたけど、オープンダイアローグかな 後)トレーニングコース受けていますけど、オープンダイアローグかな 現場で活用できないかと、コース受講中だそうです。
こどもぴあは、当事者会でもあり家族会でもある
― 精神疾患の親を持つ子どもの当事者会「こどもぴあ」のお話を伺いたいです。ご紹介を。
精神疾患の親を持つ子どもの立場で、年齢は関係なく、親をみてきた子どもの立場で集まる、家族会でもあって自助グループでもあって。自分たちが「子ども当事者」で生き辛さを抱えている人が多いと思うんだけど、家族会としても、みんなの話を聞いて自分も元気になって、自分も話をして役に立ってっていうエンパワメント的な効果もある。
― どんな形式でやっているんですか?
形式としては(他所と)同じ感じ。東京のこどもぴあでは、3,4つくらいの活動があって。一つは、会って話しましょうという集い。年に4回やってます。あと、家族学習会っていうのがあって。他の家族会でも使っているテキストを輪読して、当時の体験を語り合ったりします。疾患についてや、発達段階ごとの体験や思いを、話せなかったことをシェアして、共感したりされたり、整理する。そういうプログラムがみんなねっとの学習会にあって、それを子どもバージョンにアレンジしたものを使って。もう一つは、配偶者の家族会と連携して、パートナーが病気になった場合に、もう一人のパートナーが来て、子どもとは別室で話すという。そういう支援ができたらいいっていうのを、ちっちゃくプラスアルファでやっている。あとは、代表や私がちらちらやっている発信活動。子どもの立場の発信は、こどもぴあが大きくなって注目されているから、やっていくかな。
札幌、東京、大阪、福岡、沖縄に(こどもぴあは)あって、その場その場で頻度も違う、学習会やってないところもある。全く同じ活動をしているわけではない。大事にしたいことは一緒だと思いますけど。
設立は2018年。5,6年前から活動はしていて、私が出会った人はすでに1,2年活動していて。私は、共感し合えるって体験をして、ここが大事だなと思って、ずっといたいなと思える場所だったから、続けるために何でもしたいなと思って。精神科の看護師になったのも、もともと興味あったからいつかなりたかったですけど、こどもぴあの役にも立つだろうから。自分も役に立ちたいし、この場が続けられたらいいかなって。それで続けるためには、会を設立するとか、代表副代表も必要になってきて。
東京で活動しているメンバーは、20人以上。参加人数は、去年の時点で200人くらいは。全国だともっといっぱい。今はオンラインだから、安全安心とスタッフとで考えて、15人とかしか募集できないけど、広い会場で募集したら50人とかなっちゃって、こんなにいるんだなってびっくりしましたね。あの時は“ひとりぼっち”の感覚だったけど、同じ感覚の人がいるんだ、って。
「大変な人が家にいた」という経験
― 精神疾患を持つ親のところで育った経験って、どのようなものですか?
私の場合は、小学校2年生の時に母親が発症しているけど、陽性症状が激しく出るっていうか、暴れたっていうか。で、体験したのは、「大変そうな人がいた」っていうか。私も大変でしたけど、それよりももっと大変そうな人が目の前にいるっていう、そういうことなのかな。
― 子どもとか思春期って、ただでさえ大変なのに、家にはもっと大変な人がいた、というのを、当時はどんなふうに受け取っていた?
それは、今だからそう思えますよね。当時は自分の感情なんて気づいてないですよね。当時は大変な人がいて、こっちもいっぱいいっぱいで、生活で大変なことが一番に来るから。例えばお母さんが急に暴れた。見てショックを受けたけど、そんなこと気づいてないし思ってないし、じゃご飯どうするのとか、学校の準備するとか。お母さんが髪の毛縛ってくれてたから、自分で簡単に縛る練習したのは覚えてます。そういうことに一生懸命になってたかな。
お母さんなりに仕事も一生懸命して頑張ってたんですよね。それを見て何となく分かるから、健気に一生懸命家事をしてお母さんに褒めてもらいたいとか、私も一生懸命だったんです。でもやってもやっても(母親の体調には)波があるから、一生懸命やっても報われない気持ちもあったと思うんですけど。で、一生懸命やれなくなって、何もやらなくなって、素行も悪くなって学校も行かなくなって、どうでもよくなって中学生になる(笑)。ある意味そうやって私を見て!というのもあったと思うんですけど。
ヤングケアラーっていうんですけど、ケアをしてきた感覚もないし、一生懸命やってももうだめだという時には、全て投げ出してしまったりもして。ヤングケアラーっていわれると、そんなふうにできなかったなあっていう感覚も生まれちゃうんですよ。複雑なんです。言葉にして切り取るっていうのがすごく難しい。すごい悲しかったというのも本当だし、有難かったっていうのもあるし。苦しかったっていうのも本当だろうけど、幸せもあったろうし。感情が真逆だっていうことがいっぱいあるから、うまく表しきれないな。
「精神疾患を持つ親に育てられた子ども」としての体験を、「大変な人が家にいた」とおっしゃる小林さん。大人になって出会った家族会・当事者会「こどもぴあ」が大切な場所となり、能動的に関わっているご様子が伝わってきたと思います。「こどもぴあ」のホームページはこちらです。ぜひ訪ねてみてください。
(つづく)
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